リノベーションスクールで地域の関係が壊れた話

ひとつ前の投稿から続きます。

◆罵倒の終焉

強面のスクールマスターの、不動産の所有の有無を確認した後の
なめるな!!!!

を聞いて絶句していると、

「コジマさんの言っていることは正しいけど、共感できない

という結論にようやく、帰着します。
「オーナーの気持ちを察しろ」ループが終わり、この異様な空気に終わりが見えて助かった。と思うも
この人たちは何を言っているんだろう?と考え込む私。

正しい、けど、共感できない、ってどういうこと?

そして班長(ユニットマスター)が得意げに

「コジマさんは人を惑わせるから、帰って欲しい

と言い放ちました。

人を惑わせる、って。。?
市がおおもとの発注者なのに、ユニットマスターにそんな権限はあるのか。
そして、サブユニットマスターは、リノベーションスクールが終わって
東京から来たユニットマスターが帰った後に、プロジェクトの実現に向けて伴走する役割があって地元推薦のひとが就いているのに
ユニットマスターが帰らせても大丈夫なのか。。

正しいこと言ってるけど共感できない、そして、人を惑わせるから帰って欲しい、が結びつかず
ただただみんなの前で罵倒され続けたことに、気力と体力を消耗して
「帰ります。」と私は荷物を持って立ち上がりました。

◆なぜこうなってしまったか

気がついたら、真夜中の0時前になってました。
廊下に出たら、キーパーソンの市の職員さんが号泣しながら
「帰らないでください。。」と言う始末。

私はただビアバーが成立するために条件を現実的に擦り合わせていただけなのに、人間性まで踏み入ってみんなの前でしつこく罵倒されて、
異様な空気過ぎて怖くて誰もかばってくれなくて、帰って欲しいまで言われたら、立つ瀬が無いし、帰ります。
と、そこで初めて泣きました。本当に胸が、痛かった。

スクールに決まりがあって、市の職員は手となり足となり働かなきゃならないけど、スクールの内容に市は一切、口出ししてはならないんです。
と職員さんが泣きながら話すけど、
仮にそこに胸を刺されているひとがいたとしても、口は出してはいけないのかと思った。発注者にだいぶ遠慮させるこの力関係が、歪んでいる。

さて、なぜこんなことが起きてしまったのか。
こういうことが起きないよう、自戒も込めて整理します。

①長期視点で地域を見れず、仕事都合の超短期視点

東京から来たスクールマスターとユニットマスターの仕事のパフォーマンスは、最終発表に表れます。
彼らが非常に困るのは、最終発表で物件オーナーが、物件の事業案を拒否すること。
トイレの水回り工事など初期費用がかさんだり、安い家賃を提示されたりすると、物件オーナーが難色を示す可能性が高くなるし、それは絶対避けたい。
絵に描いた餅であっても、こんなにいい案が出ました!と最終発表をして
物件オーナーが喜ぶ構図をなんとしてでも作り、
市長と、市民の前でいい恰好をしたい。ユーチューブでもライブ配信したい。

アイディアの具体的な実現性は、二の次(のように見えました)。
だって、ワークショップが終わったら、東京のワークショップの人たちは地域を離れるし、あとは本当に少額のお仕事料しかいただいていないサブユニットマスターの役割(ほぼボランティア)。あとは自走して貰わないと、という理屈で責任を持ちません。

そう感じたのは、去年のリノベーションスクールの最終発表を観覧しているとき。市民が観覧する公会堂で、各グループがアイディアを発表していく中、せっかくの場なのでアイディア実現に向けて、助けを呼びかけたり、質問を受けたりもすればいいのに
スクールマスターのおじさんはひたすら、三日間でグループメンバーの顔つきがどう変わったか、どういう徹夜をして白熱したか、を熱弁してました。

②地域と対話する姿勢がない

なめるな!の発言は、相手をなめてないと出てきません。
不動産の所有の有無でマウンティングするなんて、言語道断。

私は、いいお店をつくり、それが続くための土壌づくりを至って真剣にしていました。立地条件の悪いところに出店するのならば、リスクを全部事業者に背負い込ませてはお店が続かず、早々に潰れてしまう。
その現実的な条件を相談したときに、最初から怒鳴るのは良くない。
そもそも、対象物件を事前に把握しているなら、想定賃料を調べてきてもいいはず。ユニットマスターが、事前に想定賃料を調べていないことにも驚愕しました。下調べ不足で、見当違いに罵倒するのも良くない。

なおかつ気になったのは、アクトと言われる講義で、
いろんなところで同じ講義をしてきたであろうコピペのような東京の事例ばかりを話すこと。
伝える原理、原則は同じであっても、講義する地域に合わせた
具体的な提案があってもよかったのではないかと思います。
地方のひとに東京の事例ばかり話しても、一種の高揚感は味わえるけど、行動に落とし込みにくい。東京から離れた地方の一市民にとっては夢物語で終わってしまうし、話された事例の応用スキルがあるひとはほんと一握り。
もし〇〇の地域だったら、〇〇してみたら?などと、地域のひとが動き出しやすいような、地域に歩み寄る講義があると期待してました。。

③プライド&酔っ払い

私は、自分で意識していなくても指摘が鋭いらしく
今回の件を何人かの友人に相談したところ、自分が頭いいってことを自覚した方がいいと言われました。
だから、ワークショップに真剣に参加するあまり、相手のコンプレックスをグサグサ刺してたのかもしれません。そこは私に非があります。ごめんなさい。

けど、ひとつ言わせて欲しい。ああいう罵倒になったのは、スクールマスターとユニットマスターが、ワインで酔っぱらっていたからもあったのかも。
私は、今回は特に女性や子育て世代の市民に参加して欲しいという意図を聞いていたので、最初から徹夜まがいのプログラムスケジュールを反対していました。もしちゃんと健康的な時間に一旦解散するようなプログラムスケジュールだったのならば、あんなことにならなかったのだと思います。

◆罵倒されたスクール、その後

二日目の夜に罵倒され、帰って欲しいと言われ、
その後、スクールスタッフからは何も連絡が無く、フェイスブックからはハリボテのようにスクールは大成功だったと伝えられる。(地元の人を差しおいて主催者やユニットマスターが最前列に写る集合写真にスタンスが現れるし違和感があるとは、建築業界の友人弁)とても傷つきました。

スクール開催後しばらくしてから、スクール運営事業者ではなく
市の職員さんから連絡がきて、どういう対応をすべきか相談をされます。

スクール前に、地元のまちづくりをしていく一般社団法人の共同理事になっていたので、
罵倒してきたスクール事業者と、今後関わっていくけど
割り切って付き合える?とのこと。

東京のスクール事業者と必ず関わらないといけない理由は明確にわからないけども
もし今後仕事で関わる必要があるなら、
ワークショップのような話し合いの場で執拗な罵倒をしない、公の場で人間性を否定しないという先方の謝罪が欲しいと伝え、市の職員さんの同意を得ました。
このまま連絡も謝罪もないまま、何もなかったかのように仕事で関わるなんて
まるで、セクハラされたのに、そのまま黙って我慢して仕事して、って言われるようなもの。先方への不信感が募ったままでは、一緒に仕事できません。。そしてまた同じことが起こりかねない。

◆謝罪を求める。そして脅される。

そして、数日経って
市の職員さんからの電話で、こじまさんは個人的な感情で謝罪を求めているのではないか、と
一転、揚げ足を取られました。
先方の罵倒を、ヤクザみたいだった(本当にそうでした)と形容したことで、そういう考え方の人とは仕事ができない、と。

さらに、私がリノベーションスクールで何があったか周囲に伝えていることについて、フリーランスとして仕事がしにくくなると、脅されます。こじまさんの何の得にもならないし、損するだけだよ、と。

私は、何も自分の損得で動いていないし、
そもそも自分の損得で動いていたら、罵倒されていません。
ただ現実的に事実を捉えて、未来をつくりたいだけで、建設的な話し合いを求めていました。

また、街を考えるにあたって、違う考えの人がいるのは当然で
問題なのは、考えが違うことじゃなく
まちづくりを推進する方々の、違う考えの人がいたときの対話や対応の仕方でした。対話の姿勢がまちに関わる姿勢の要なのに。

私は人の好き嫌いを抜きにして対話をしていたのに、威圧的な態度に出てこられたのがショックで、
なめるな!とか帰って欲しいと言われないような対等な立場での話し合いを望んでいました。

◆自分の権威のために、地域のつながりも壊していく

しかし、謝罪には一切触れず、
対話の場を先方の都合でセッティングするも、前日の夜にドタキャンされる。
そして、先方との対話の場、ということで日程を再調整したにも関わらず
予定日時の30分前に、対話の場は設けられないことを通告される。

そして、一方的に
先方との対話を調整しても状況が変わらないと判断した
との理由で、一般社団法人の理事を抜けてほしいと市の職員さんに告げられました。

ただただ哀しかった。
他地域から上陸された方々が、非を認めたくなくて、普通に対話ができずに
こうやって、地域の関係性も壊していくのだなと思いました。

もしかして、わたしの状況が特別だったのかも、と思い
客観的に見ようと、スクール事業者がプロジェクトをしていた他地域を訪れ、スクールきっかけでうまれたゲストハウスにも泊まり、関わった複数人の方にお話を聴きました。地域の人との対話や気持ちを無視した傍若無人なふるまいは珍しくないようでした。そして、地域の関係性を壊していくところも。

酒飲んで罵倒、謝罪なし、仕事なくなる発言。。
本当に地域のことを思った行動には見えず、違う意見のひとを退けていく。

東京流やお上目線を押し付けるやり方は、もはや人口減少しているいまに合っていないし
街をつくるなら、地域をじっくりと育てていかなければならない。
そう考えたことは、後の記事に。

最後に、リノベーションスクールは、街を活性化するきっかけとして有用という意見もありますが、
「きっかけづくりとして有用」はどんな事象に対しても言えます。
京都アニメーションの放火事件だって、京都アニメーションの希少さがわかった、だなんて言えるし、「~のきっかけになった」というのは、無用なポジティブシンキングでしかない。

大事なのは、長期目線で、目の前のひとに愛を持って、対話することであり、
もし不慮の事故で、相手を傷つけてしまったのであれば
ごめんなさい、と言える心を持ちたい。わたしも。

お時間いただきありがとうございます。