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新テニミュ感想

新テニミュの発表は楽しみでもあり不安でもあり、という気持ちだった。
本当にあの世界観を表現出来るのか? とも思ったし、それにわたしは『テニミュ』が好きだったのでわたしは3rdの締め括りをみて、てっきり3rdで『テニミュ』は終わり新テニミュ一本で行ってしまうのだと思っていたので。
しかし、『4thもやる』という発表には驚いたのを覚えている。

新テニミュキャスト発表の際はもっと驚いた。
わたしがここ何年か見てきて、ファンをしているキャストの名前がそこにあったからだ。
芸歴もあり年齢も高いので彼がテニミュに出演することがあるとは、夢にも思わなかったし、物凄くうれしかった。
それ以外にも多数の実力者、卒業キャストの別キャラクターでの再登板、いろいろな界隈から集まったキャストを見て『これは今まで見てきたテニミュと違うものになるだろう』と感じながら稽古の様子を伝えるTwitterを見ていた。

実際観劇に行った東京公演、感じた通り『今まで見てきたテニミュ』とは違うテニミュがそこにあった。
初めから歌やダンス、芝居の技術があるキャストによって、これまでテニミュではキャストの若さと元気というエネルギーのみで押し切られていたテニミュのメソッドが、きちんと輪郭を帯びてそこに立っているように感じた。
若さと元気によって生み出される煌めきに力を感じて応援する、というのがテニミュの魅力ではあるし、そういうテニミュがわたしも好きだけれど、新テニミュを観て『このクオリティの物もテニミュでやりたかったんだなあ』と制作陣の思いも感じたし、わたしも新しいテニミュの形を観ることが出来て目から鱗の気持ちだった。
ただ、わたしが観に行った公演は東京公演が開幕してすぐのものだったからか、いつもなら『チーム』という集を重視しているテニミュが、いまいちそれぞれ、U-17と中学生、また、3番コートと5番コートが『ひとつのチーム』にみえなかった。
歌、演技、ダンスなど個人が持つ武器のみで舞台を成り立たせているような、そんなテニミュではなかなか感じることのなかった力技を感じたのも不思議な感覚だった。
それから、今までのテニミュだと上手いキャスト、まだ力量の足りないキャストはそれぞれいてもチームの中で上手く馴染みあって、そのチームの味を最初からみせてくれていたように思う。
しかし新テニミュでは個々のレベル差のコントラストが際立っていて、前に出る人が変わると、テレビを見ていていきなり違うチャンネルに変わったような感覚を覚えた。
新テニミュでレベル差を強く感じたり、チーム感を感じなかったのは、それぞれの持つ経験の差や武器の違いはあるだろうけれど、今までテニミュであった合宿がなかったり、コロナ禍に於ける稽古体制(大人数が集まっての稽古を出来なかったり、今まで互いを知るためにしていた食事を共にすることが出来なかったりなど)の難しさがここに出たのかなと思った。
ただわたしがそれを気になったのは『テニミュ』を観てきたからで、テニミュを観たというより、違う舞台を見たような気持ちになったけれど、『新テニミュ』としてはこれが正解なのかなとも思ったし、それぞれ色々な場で経験を重ねているキャストが演じることで、舞台としての解像度が上がっているテニミュにとにかく感動した。
欲を言えば、今回描かれなかったシーン(不二と手塚の対戦であるとか、もう少ししっかり観たかった真田と幸村の試合であるとか)をいつか別の機会に観せてほしいなと思ったりして、東京公演の観劇を終えた。

それからカンパニーは大阪公演を経て、凱旋で東京へと戻ってきた。
入江奏多がダブルキャストで、東京公演で観た、泰江くんが持つ雰囲気の柔らかさと強さのある入江奏多の集大成が観られなかったことが残念だったけれど、凱旋からはテニミュ卒業生で入江奏多に声を当てている相葉くんが演じるので、それを観るのも楽しみだったし、やっぱり相葉くんは時を経ても『テニミュ』が上手いなあと思ってしまった。
凱旋で2ヶ月ぶりに観たカンパニーは東京公演とはまるで変わっていて、まずはそれにとてもびっくりした。
まず、東京公演で感じた『チーム感のなさ』がまるで嘘だったかのようにしっかり出来上がっていた。舞台の上に立ちながら日を経ることで、それぞれのキャラクターへの理解度も、キャストへの理解度も高まったのだろうなと感じたし、遠征したことで団結力も高まったのだろうなと思う。
それから、テニミュでいつもつい観てしまう『ベンチワーク』が出来上がっていた。東京公演ではわたし自身初観劇だったので殆ど感じることのなかったベンチワークだったが、凱旋では意識していなくてもそれぞれのキャラクターの存在を感じてしまうほどのベンチワークがあった。
それがあるからか、凱旋では『ああ、テニミュだ』と漠然と思ったのを覚えている。新テニミュの『テニミュらしさ』が深まっていた。テニミュらしさがどういうものか上手く言語化出来ないけれど、感じたわたしも漠然とした感覚なのでこれが上手く言語化出来る日が来たら追記したい。
また正直、わたしがファンをしているキャストの役は原作でもあまり試合シーンがないので、新テニミュでもそんなに際立つことは無いんだろうなあと考えていたし、実際東京公演を見た時もそのままの思いを観た後も抱いたけれど、凱旋公演ではそれがまるで違って、ベンチワークでめちゃくちゃに目立っていた。
どんなキャラクターか、ヒントが原作よりもファンブックで少し読み取れるくらいのキャラなので、その人となりはいまいちわからないし、わからないままなのだと思っていたけれど、彼のベンチワークでそのキャラがしっかりと浮き出されたように思えて驚いた。
ファンをしているキャストが演じるキャラだから、と原作を読み返したりアニメを見直したけれど、彼がベンチワークで作り出した面は初めてみる性格だったので、びっくりもしたし、その性格が愛らしくてとても予想外にそのキャラクターも好きになってしまった。

テニミュを観たことで、そんな風にキャラの捉え方が変わった自分がいて、やっぱりテニミュは凄いなと思う。
原作を創り出しているのは許斐先生だけれど、様々なメディアでテニスの王子様について考えているひとがいて、その中にテニミュがある。テニミュの中では脚本や演出や、テニス指導や、様々なひとがそのキャラクターがどうあるべきか、どういう人なのか、チームはどういうものかを考えて、教える。それを学び、原作やアニメを観たキャストが、そのキャラクターがどういうものか思考しながら、自分の身体を使って立体化させる。
それを観た、わたしのように特にキャラクターに魅力を感じていなかった人間も、そのキャラの魅力を知って、好きになる。
様々なひとたちの想像力と努力と熱意のフィルターの果てに、観劇するわたしがいて、そこにそのひとたちが作り出してきたものが届く。
改めて考えると、織り重ねられる軌跡の尊さみたいなものに、果てしなくて美しいと感じてしまう。

そんな感じで、凱旋では東京公演とはまるで違った姿をカンパニーはみせてくれて、上手いひとたちは変わらず上手いが、東京公演ではパキッとその人のシーンだけ違う舞台に見えていたものが、なだらかにカーブを描くように馴染んでいて、それぞれのチーム感も生まれていたように見えたし、カンパニーとしてもまとまりを感じた。
伸びしろを感じていたキャストの伸びも物凄くて、特に跡部景吾役の高橋怜也くんが元々上手かった歌の迫力、それから歌に乗せる感情の強さが増していて驚いた。演技力もそれに伴うように上手くなっていて、一回りも二回りも成長したようだった。
これが初舞台というのが信じられないくらい、堂々として、美しく、強さを兼ね備えた跡部景吾で、テニミュで様々なひとが織りなしてきた跡部景吾の歴史の続きを、しっかりと受け継ぎ演じている様に思えた。これからどんな舞台に出演するのか、ここからどう成長していくのか、とても楽しみなひとだ。
凱旋でのアンコールソングのディスタンスも最高にハッピーで良かった。私服を見て高校生たちもテニミュの世界のひとたちだなあと思ったし、いつかディスタンスを一緒に歌える日が来るといいなあと思ってしまう。

今回新テニミュの楽曲はテニミュで聴きなれた佐橋さんではなく兼松さんだと知って、楽曲の雰囲気が少し違うなと思っていた違和感に納得した。
違和感というのも違うのだけれど、楽曲のキラキラ感がテニミュだと外で浴びる陽のキラキラ感だったのに対して、新テニミュはLEDライトの様な光感のようだった。
どっちもキラキラしているけど、音楽を聴いただけでテニミュ後のキャラたちの成長を感じて『これが新テニミュなんだ』と一瞬で理解したことを覚えている。
それと同じ音楽を何度か繰り返して印象づけているのが、今までテニミュであまり見なかったミュージカルの手法だなと感じた。

この続きを今後やるのか、それとも今回描ききれなかったものをやるのか、再演をするのか、新テニミュの続きはまだ何も明らかになっていないけれど、またいつか新テニミュを観たいと強く思う。
新テニミュを観たことで、やっぱりテニミュって楽しいじゃん! とわたしは改めて思ったので。

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