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最初で最後の…

こんにちは。Kumiです。

先日、衝撃のニュースが飛び込んできた。

「母校の隣にある弁当屋さんが閉まるってよ」

!?!?!?!?!?

在学中、全校生徒が食べたんじゃないという弁当屋さん。
母校のソウルフードといってもいいくらい、3年間食べ続けた人もいる。

私は、持ち弁だったので食べたことがない。ときどき弁当を買っていたが、登校途中に立ち寄る売店で予約していたので、利用する機会がなかったのだ。

「きょうは何注文するー?」「なに頼んだ―?」「やばい、注文忘れていた」「弁当取りにいかないと」という同級生の言葉を聞いていた。
でも、在学中に食べることはなかった。

在学中に食べなかったら卒業したら食べよう。

その言葉が実行されずに卒業して10年が経とうとしていた。
そんな時、閉店のニュースが風のうわさで届いた…。

閉店前に、食べに行かねば…!!

そう思い、最初で最後となる弁当を電話で注文し、食べたのであった。

思い出と共に振り返りながら、書いていこうと思う。


普天間高生の胃袋を満たす点心

高校の正門を出てすぐ

点心と聞けば、中華料理を思い出すだろう。
それと同時に飲茶も一緒に出てくるのではないだろうか。

「点心」=弁当屋さん

この方程式が結びつくのは、普天間高校に関係ある人々のみ。

私の言う点心は、
普天間高校の隣にある「中華どんぶりの店」のことだ。

宜野湾市普天間の普天満宮近くにある県立普天間高校。
戦後、石川高校の野嵩分教場として開校した同校は、現在校舎にあった旧農業試験場跡に移転し、野嵩高校となった。その後、普天間高校へと名称を変更し、現在に至る。
開校してから78年。
その間多くの卒業生を世に送り出してきた。
著名人だと、喜納昌吉さん(ミュージシャン)、比嘉梨乃さん(女優、タレント)、佐喜眞淳さん(前宜野湾市長)ら。

そんな普天間高校の隣に、一つのお店が開店した。
いまから28年前の1996年ごろのことだ。
「点心の店」
当時は点心という名前で出していたそうだ。
だが、点心と聞くと前述の中華料理を思い出す。
故に、どんぶりを提供する同店は「中華どんぶりの店」の改称。

普天間高校生に受け継がれる「点心」は、いつのまにかソウルフードとなっていた。

毎日、どこかの教室で誰かが「なに注文する?」「注文してない!急げ―!」という。
お昼になると、校門前に注文した商品を受け取る人であふれる。

注文方法はシンプル。
2校時の休み時間までに校門前にある注文箱に食べたいメニューと「学年、組、出席番号」を書いて入れる。
4校時が終わり、昼食時間になると校門前にいる「点心のおじさん」(お店のオーナー)から弁当を受け取る。
受け取りの輪にいるのは、在校生や教職員。
たくさんの人が校門前に集まるのだ。

時を同じくして、売店も同じ状況に。
弁当や飲み物などを求めて生徒、教職員が大勢詰めかける。
一度入ったらしばらく出れない。
一種の満員電車ならぬ、満員店内。

点心と売店は、普天間高校の昼食時間を象徴するシーンかもしれない。


最初で最後、受け取りにいったら…

閉店のニュースを聞き、会社にいる数少ない普天間高校卒業生と点心のメニューを食べることに💡

卒業生を含む外部の人は、朝に電話で注文して受け取る。
電話注文以外は受け付けていなかった。
しかも、その日の受注数に達すると受け付けてもらえないので、確実に注文できる7時半に電話することにした。

初点心。ドキドキ💓

受け取り時間と名前を聞いて、お店に受け取りに向かった。

店内に入って開口一番に「注文した?」と言われ、「しました!」と伝える。
確実に伝わるワードと、普天間高校卒業生を伝える。

どぶんりがたくさん

注文した数が多かったので、待ちながら少しだけゆんたく。
その時に、ポロッと「初点心」と言ってしまった💦

怒られそうな雰囲気になったが、今日食べるから!と言って許したもらった。

よかった😌

卒業生の誰々がよく食べに来る、私の会社で普天間高卒多いのかなど。
合わせて、卒業年言っていないのに、近い年代の人あげたら一発で卒業した期と年齢がバレた。

28年間お店を続けて、普天間高校生と接し続け、卒業しても帰ってこれる第二の普天間高校と言われるだけあるな。

20〜30分、ゆんたくして商品を受け取り。
会社の戻って、受け取った商品を並べて写真撮影。

9品並ぶって圧巻だなぁ

どんぶり8品、春巻き(2本)の計9品
3人でシェアしながら食べるのでサイズは小。
これで合計1500円以下って安すぎる。

でも、高校時代を思い出した。
高校の時に買っていた売店の弁当もボリューミーで、品数が豊富なのに300円台だった。

高校を卒業して大学、社会人とステージが変わって、昼食で食べるご飯が1000円台になっていたから「安い」と思うようになっていた。
思い返せば、私の弁当の歴史は300円からスタートしていたんだ。
今思うとお手頃の価格で提供してくれていた売店や点心には頭があがらない。

7品つまんでどれも美味しい。
ベースとなっているオリジナルソースがいい味だしているの。
それに、辛いものが一切ダメな私でも麻婆丼はペロリと平らげられるくらいマイルドな味だった。

後日談

後日、食べたチキン丼

会社の先輩が言っていた、人気No.1の「チキン丼」が食べてくて食べたくて。
別日に点心に行くという先輩に頼んでチキン丼を注文して受け取ってもらった。

その日は終日外の現場にいたので、レンジでチンして夕食で食べましたが、ペロリと平らげていた😳

さらに、家族も食べたいとなり、8日も注文して受け取り。
閉店までカウントダウンが始まっているからが注文数が爆増。
7時半に電話したのに注文が危うかった。
(普天間校卒業生というワードのおかげで注文できたっていうくらいに)

海辺の東屋で

高校生に戻った1日を過ごせてよかった。
そして、母校のソウルフードを食べて思い出の味にできてよかった。

点心のおじさんがオーナーを務める別店舗で弁当販売を再開した噂を聞いたらすぐに買いに行こう。

最後に

同店は、普天間地域再開発の為、本日(8月10日)閉店する。
28年間、毎日お弁当を作り続けた。
一度も値上げせず、高校生が買える値段と満腹になる量を提供した。

28年間、私たちの胃袋を充してくれてありがとう。
普天間でよかった🙌
この味を今の在校生、未来の普天間高生が食べられなくなるのは残念だ。
でも、思い出の味として記憶に残る。


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