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死ぬときに後悔すること

「俺ね、もう部長に言ってやろうと思ってさ」

座っていても長身は隠せないものだなと思いながら、柄の長いスプーンでフルーツパフェの底をさらっている彼の器用な手元を見ていました。

「なによ、『言ってやろう』とか、偉そうじゃん」

彼のへの字に曲げた口元に、最後の桃が放り込まれ、文句は続きます。

「俺のミスじゃないってわかってるのにさ、他の社員の前で叱ったからさ、もう引っ込みがつかないんだよな、部長も。でもさ、他の社員のミスも責任を取るものだとかなんとか言い始めてさ」

「ふーん」

フルーツパフェをたいらげた口から大きく息を吸うと、途端に声のトーンがもう一段上がり、怒りがあふれ出てきました。

「俺さ、中途入社の平社員なんだよ!ヒラ!その俺に、どんな責任とれって言うんだよ!全くよ!」

25歳で3度目の転職

確かに、48歳で平社員というと世間的にはなかなか厳しい評価かもしれません。彼は、これまでも数回転職はしてきたようなのですが、それは全て家庭の事情でした。大学卒業後に入った中堅企業は、父親が急に倒れ、入社2年目で退職。家業を継ぐために地元に帰ることになりました。家業は造り酒屋。聞こえの割には地味な仕事で、職人も減り作業のほぼすべてを家族で賄わなければならなかったそうです。必死で取り組み始めたのはよいけれど、経理に手を付けてみたら借金だらけ。悩んだ末、酒屋を二束三文で売り払うことにしたそうです。
3度目の転職は25歳でした。履歴書審査で落ち続け、アルバイトを転々としてやっと居酒屋の店長になったのが30代半ば。そこの社長が彼を気に入ってくれて、入った会社が関連企業の今の会社。正社員になれたことが嬉しくて、自分の仕事じゃないことも頑張ってやってきた。でも年数を経ても「あいつはなんでも言うことを聞く」という印象がしみつき、部署移動しながら今に至ってしまったそうです。

食べ終わったフルーツパフェの汚れたグラスに、オレンジの皮が張り付いているのを眺めながら、彼の転職相談が始まりました。

年齢もここまでくると、考え方も固まってきます。苦労してきたとか、順風満帆だったとかいうこととはほぼ関係なく、正しい間違っているの判断に自分なりの根拠が付いてくるからでしょう。

中年の転職で議員になった女性の話

中年の転職というと、女性でこんな例がありました。彼女は議員秘書になりたくて弊社に面接を受けに来ました。確か、当時47歳だったと思います。話を聞くと、今いる会社をクビになったというのです。吸収合併されたので、立場が良くないのはわかっていたけれど、営業成績を理由に「勤務懈怠」が認定された、と。話はひどいものでした。吸収合併の直後、新しく就いた部長に呼び出され業務の整理を命じられました。整理と言ってもすることが見つからず、それまでの資料や売り上げ目標を設定してきたグラフなどをファイリングし、目次をラベリングした程度。3ヶ月経った頃、突然法務から呼び出され、業務懈怠により解雇となる、との通知。あまりに酷い話で私も言葉を失っていましたが、彼女は冷静でした。

私はこの仕事をしたくて生まれてきたのかと疑問に思っていた頃だったので、これが良いきっかけなのかもしれないと思いました。私は高校生の頃から「秘書」という仕事に憧れていました。テレビドラマを見たのがきっかけですが。そして、中年になってしまいましたが、憧れの秘書になるチャンスなんじゃないかと思って。

サバサバした口調に、私も同調しました。ただ、難点がありました。話の内容から、要領の良い感じの人ではなかったのです。おまけに、パソコンが得意とは言えない様子。これはどう見ても議員秘書には向いていません。人の面倒を見るのが好きで、合併した社内の相談を聞いて歩いているうちにクビになった彼女は、秘書より議員が向いています。私はその場で「あなたは秘書は無理だけど、地方議員に向いていますよ」と伝えました。少し驚きつつもまんざらでもなく、「少し考えます」と言って帰っていきました。その3か月後「立候補を決心しました」と言ってきた彼女はまさにキラキラに輝いていました。

もう50になりますけど、死ぬときに後悔したくないと思ったんです。


その彼女は、今は二期目の地方議員です。一回目の選挙はギリギリの当選でしたが、「魔の二期目」と言われる選挙はトップから5番目で当選しました。仕事の実力が認められた結果です。

死ぬ時に後悔すること

文句を言っている彼の目を見て、この件を思い出しました。

「あのさ、死ぬ瞬間に後悔するとしたら、なにがある?
「なんだよ、急に。死ぬ瞬間?考えたことないけどな~」と言いながら、ポツリポツリ探し出しています。

アイドルの◎ちゃんの握手会に行けばよかった。この年でそんな若い子が好きなのかと思われるのが嫌で周りにファンだって隠してたから、一度も行ったことがなかった。
海外旅行でさ、ハワイって行ったことなくて、行けばよかったって思うだろうな。首からレイ掛けてもらって、アロハ~ってやってみたかった。
あー、俺、腹いっぱい白飯が食いたい!炭水化物ガマンするのが癖になってたわ。あー、白飯食いたい!

白飯より甘いもの止めた方が健康にいいんじゃないの?と私が笑うと彼は「だよなー」と言って大笑いしました。

そして、ふと笑いが止まり、彼の視線が空をさまよい、真顔になったと思うとこう言ったのです。

俺、酒、好きだったんだ。親父の作る酒ってさ、良い匂いがするんだ。子どもの頃から蔵で親父の仕事見てると良い匂いがしてさ、たまに甘酒をこっそり飲ませてくれるんだ。それが、旨くてさぁ、、、。俺、あの時、借金の額に驚いてさ、さっさと売っぱらったんだよな。今ならあの程度の金で驚きゃしない。あんなことしないな。でもあの頃まだガキでさ、、、。

そこまで言うと目は涙でいっぱいになっていました。
大きな手にポタポタと涙をこぼしながら彼は言いました。

俺、酒、やりたいんだよ。酒。もう一度、親父の酒を造ってみたいんだ。

テーブルの紙ナフキンで涙をふいていた彼を見ていて、私の心配はもういらないと思いました。

退職のご挨拶

それから半年たったころ、彼から表題に「退職のご挨拶」とあるメールが届きました。ひな形の退職メールでした。それからどうしているのか、まだ彼には会っていませんのでわかりません。でも彼がどこに向かっているのかは、わかる気がしています。

あの日の最後のセリフがそれを教えてくれていました。

俺、死ぬときにはさ、俺の作った「親父の酒」をペロッとなめて心臓が止まったら最高だなって思ってたんだ。
俺、その時さ「良い人生だった」って言えるわ。
ああ、それだ、それだなぁ、俺。

いつか彼から連絡が来たなら、その時は彼の作った「親父の酒」をふるまってもらえる時なんだろうと、根拠はなく、でも、心からそう思っています。

今頃、頑張っているんだろうな、あいつ。
まけるなよー!楽しみなよー!
頑張れー!
がんばれー!!


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