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幸運の神様は、嫌な顔をしてやってくる

最悪の時わかること=友達 or    NOT

これまでの人生で「最悪」ってどんなことがありましたか。

他部署の売り上げ減を理由に会社をクビになった。
同僚が情報持って敵会社に転職した。
彼女の浮気相手が親友だった。
スタッフにお金を持ち逃げされた。
可愛がっていたインターンが自分の悪口をSNSに書き込んでいた。

見るだけでも嫌な気分になりますが、私もこのような嫌なことは人並みにありました。
でも、今も思い出そうとすると心のブロックが立ちはだかり、記憶を呼び覚ますのに時間がかかることもあります。よほど嫌な出来事だったのだろうな、と今は他人事のように思えますけれど。当時は「人生オワタ」と思ったようなこともありました。


何も悪いことしていないのに、嫌なことってあるものです。

私にとって嫌なことNO.1というと、最近お招きいただいたclubhouseで話したことです。数年を経て、当時の自分を懐かしく思い出せるのはその時の辛さを消化したからなのでしょうけれど、そうは言っても当時はいっぱいいっぱいでした。


それは、議員秘書を引退して、会社を軌道に乗せようと必死でもがいていた頃のことです。仕事が入ってきてもお金にならなかったり、全く方向性の違う仕事で大きなお金儲けの話が入ってきて迷ってみたり。頑張ってやってはいるんだけど、スッキリ進まない時期がありました。ちょうどその時、信頼している知人からある人を紹介されました。東京で事業を始めたいので、そのサポートをしてほしいという案件でした。内容を伺うと、自分は地方にいるので不動産屋と事務所を探したり、スタッフを雇ったり、設立のパーティーを開いたりしてほしい、と。求められている仕事の内容は、議員秘書出身の私には超ウルトラカンタン、お茶の子さいさいなことばかりでした。不動産屋さんに駆け込んで選挙事務所を探す、選挙スタッフを募集して面接して決める、役割分担を決めて教育する、立候補表明パーティーを開く等々。議員秘書でやってきた仕事とほぼ同じ内容で、得意なことばかり。それをするだけで毎月コンサルティング費用が入ってくる。私はこの仕事を引き受けたい!と思いました。

紹介された方はちょっと有名な人でした。でも、ご紹介頂いてお顔を見た瞬間、「あ、嫌だ」と変な印象が私の感覚を横切りました。でも、私はこの仕事を引き受けたかった。提示されたコンサルティング費用はさほど大きな額ではなかったのですが、当時の私には労の少ないとても魅力的な仕事だったのです。


結局、その仕事は2カ月で破談となりました。
その方は、費用を立て替えた様々な契約、パーティー等の準備費用等は、ありとあらゆる難癖をつけて支払ってくれません。立て替えた金額は、小さな額からどんどん膨らみ続け、会社を動かし始めたばかりの私にとっては大金となっていきました。しかも、私が紹介した著名な方々の名簿を利用し、その方々にアポをとり仕事をすすめているようでした。

お金のことが気になり、紹介した人が向う側に取り込まれてしまったことを悔やみ、眠れない日が続きました。ほぼ鬱だったと思います。

裏切られた、というより、契約書すら交わしていなかったお人好しな自分に嫌気がさしました。議員秘書という仕事柄、さんざん嫌な場面は見てきたのに、自分のこととなると全くダメな自分に腹が立ちました。でもどんなに悔やんでも後の祭り。私のもとから去っていった人は二度と戻ってきませんでした。

後悔後を絶たず

私の場合は、「後悔先に立たず」ではなくて「後悔後を絶たず」。次から次へと後悔がやってくる。それまでの人生経験が全く生きてない大失態でした。

このことがあってから半年くらいたった頃からでしょうか、選挙の仕事がぼちぼち入りだし、気持ちの整理もつき、次第に仕事に集中できるようになっていました。ある選挙で地元に入り仕事をしていると、その県の地方議員から次の選挙の依頼を受けるということが続けざまに飛び込んでくるようになりました。次々と、本当に次々と降ってわいたように仕事が飛び込んでくるのです。その頃からです。私は移動先から移動先へ、飛行機と新幹線、列車だけでなく、フェリーやバスも利用して全国を選挙で飛びまわるようになっていったのです。

そんな超多忙な日々のビッグイベントでもある統一地方選挙で、抱えていた候補者が全員当選となったことがありました。とても複雑な選挙だったこともあり、感慨無量でボーっとしていた時、ふと気が付いたことがあります。

それは、今回の選挙の大成功は、やりたくない仕事をお金のために引き受けてしまった後悔から生まれた成果なのではないか、ということでした。やりたくないことなのに、自分で自分をごまかして「やりたい」と思い込ませて引き受けた仕事。だから、失敗したのだけれど、あの時私のネットワークを利用するだけ利用して使い捨てたあの嫌な人との最悪の出会いが、成功に向かい始めた人生の岐路になっていたのではないだろうか、ということです。

気が付いたらもう止まりません。私の変化はこれだけではありません。

あの嫌な出来事ことがあったからこそ、自分の直感を信じるようになっていること。パッと見て「嫌だ」と思う人とは付き合わないと決めてこられたこと。

ですから、表面だけのお付き合いで会食をすることもなくなり、スケジュールに余裕がでてきました。時間の余裕は気持ちのゆとりをつくってくれます。家族や大切な友人が困っている時に「どうした?」と駆けつけることができるようになったのです。あの出来事以来、私のスケジュールには心のゆとり時間も生まれていました。

大切な人を大切に扱うことができるようになったのは、あの嫌な出来事があったから気づいたことでもありました。

最悪の出来事は、最高の教訓となることがあります。ものは考えよう。
幸運の神様は嫌な顔してやってくるのかもしれません。

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