見出し画像

電車の中で娘の靴を脱がせなかった母親と、その隣に座った私の思い出


ドアを開けると、折り重なるように灰色の雲が空を覆っていた。

・・・雨降るかも

私は慌てて玄関を振り返り、靴箱の隅に押し込まれていた折りたたみ傘を手にとった。傘に被せる袋はもうとっくに失くしていた。カバンが濡れたら嫌だなと思いながらも、袋のない傘を鞄に放り込んで家を出た。
半休だと思ってゆっくりし過ぎた。時間がない。

駅までの道のりは、表通りを避け、家のすき間を縫うようにナナメの道を通れば徒歩8分。表通りを通れば11分。急げば次の電車に間に合う時間だ。私は水たまりを避け、いつものナナメの道を急いだ。

画像2

スーパーマーケットが左手に見える頃、踏切の信号音が聞こえてきた。次の電車が入ってくる!私は開き始めた踏切を、突進するように走って渡りきり、改札にsuicaをタッチするとまだ停まっていたその電車に飛び乗った。と同時に扉が閉まり、ホッと車内を見渡すと、丁度お昼時だからだろう、車内はガランとしていて立っている人はいなかった。私は、扉の左側、3人掛けの車両連結部分に近い方の席に腰を下ろした。ひと席開けて隣には、小さな子どもを抱いて座っている女性がいた。

出がけに鞄に押し込んだ傘が、ナナメに突き刺さっていた。私は膝の上で鞄を整え直していた。ふと隣を見ると、さっきまで空いていた隣の席に、後ろ向きになって膝をつき、窓の外を眺めている子どもがいた。女性に抱き抱えられていた子が膝から降りたのだろう。年のころは2歳くらいだろうか。薄いピンクの花柄のカーディガンに水色のデニム。どこかで遊んだ帰りか。靴の底には乾いた泥がへばりついていた。

私は、靴を脱がせず座席に座らせていることが気になった。座席に泥がつきそうだ。しかし、隣の女性はというと、ぼんやりと前を向いたまま。全く気にする様子がない。20代後半か、30代に差し掛かる頃だろうか。女の子の母親らしく、小ぎれいな身なりをしていた。ふんわりと大きくカールされたヘアスタイル。マザーズバックがブランドものなのもオシャレに見える。
ただ、私は女の子の靴についている泥が気になっていた。

画像3

次の乗換駅に着くと、たくさんの人が降りて行った。乗客が減り、がらんとした車内。隣の女の子は、大きな声で騒ぐでもなく同じ姿勢で窓の外を眺めている。

ーー早く着かないかな。

私はその子の隣に座っているのが嫌だった。でも座席を変えるほど、嫌だったわけでもない。ただ、電車が揺れるたびに、その子の靴の泥が座席に付くかとハラハラするのが嫌だったのだ。隣のお母さんは変らずぼんやりと前を眺めている。私は、その子の後頭部でポニーテールの先が大きく揺れるたびに、気になる泥のついた足元を見ていた。

その時だった。電車がガタン!と大きく揺れると同時に、私は鞄を抱え、思わずこう言っていた。

「お母さん、この子のお靴、脱がして差し上げたらいかがですか。
座席が汚れます。」

思わず口をついて出た言葉に、私は自分で戸惑った。でもそれ以上に驚いたのはその女性だろう。

驚いた顔をして私を見てから、彼女はこう言った。
「あ、でも、靴の底は座席に付いていませんから」

たしかに。

その子は後ろ向きに座席に膝をつけて窓の外を見ているのだから、座席に付いているのは靴の甲。たしかに、その通り。
その通りです。

でも一度開いた私の口は治まらなかった。

「でも、お母さん、あなたが教えて差し上げないと、お嬢ちゃまは座席に座ったら靴を脱ぐということを、ずっと知らないまま大きくなるのではないですか?」

私はそこまで言って激しく後悔した。言ったことを後悔したのではない。
子どもに向かって敬語を使ったことだ。

「教えて差し上げる」んじゃなくて、子どもになんだから
「教える」が正解。

品の良さそうな相手の雰囲気に、あたかも「子ども」を敬うようにして言ってしまった自分が情けなかった。
まったく肝心なところで私は肝っ玉が小さい。

その女性は、キッと前を向いたまま女の子を膝に抱きかかえた。
女の子は空気を察してか、おとなしく前を向いて黙っていた。

勤務先までの電車をこんなに長く感じたことは無かった。

ーー早く降りないかなぁ。

次の駅でも、その次の駅でも、その母子は私のひと席隣にまんじりともせず座っていた。私も今さら座席を移るのは気が引ける。

6駅過ぎ、次の駅のアナウンスがあった。この変な緊張感にも少し慣れたような気がしてきたとき、その女性は女の子を抱きあげサッと立ち上がった。

ーーやっと降りる。

そう思ったとき、その女性は、私に真っ直ぐ向き直り口を開いた。

「先程は、教えて頂いてありがとうございました。」

彼女は、私に頭を下げていた。
度肝を抜かれるとはこのことだろう。

彼女は私の隣で気まずいまま通り過ぎた6駅の間、何を学んだのだろう。
自分は娘の靴もちゃんと見ていた。でも、知らない人が注意をしてきた。
座席に座ったら、靴を脱がせろ、と。
自分は見ていた。間違ったことはしていない。
でも、確かに、座席に座る時には靴を脱ぐ。このことを知らないばかりに、娘はいつか誰かに嫌われるのかもしれない。こんなことが積み重なると、大人になって、私の目の届かないところで、幸せのチャンスを見失うかもしれない。

そんな葛藤があったあったのだろうか。

私は、この母親の娘への深い愛情が見えたような気がして、
思わず涙がこみあげてきた。

「お母さん、頑張って。お嬢ちゃま、良い子に育つわ。楽しみね」

私は、こういうのが精一杯だった。電車の扉が開いていた。
母親によく似た艶やかな栗毛を風に揺らし、その子は電車を降りて行った。私は、さっきまでその子が、手をかけ眺めていた窓から、ホームを歩いて行く母娘の後姿を目で追っていた。

私が降りるのは、その次の駅だった。
改札を抜け、地上に上がるエスカレーターに乗ると、ガラス張りの天井から青空が見えた。

ーーなーんだ、傘、要らなかったな。

キラキラと光を放つ水たまりを避けながら、私は、澄み渡る青空をもう一度見上げた。

画像1

もう20年前になるでしょうか。
私がまだ議員秘書だった頃の通勤電車でのひとコマです。
あの女の子も、そろそろお年頃。お母さんに似ていたら、スッキリとした美人さんに育っていることでしょう。
お母さん、頑張って子育てしたのだろうなぁと思います。

雨が降りそうな空を見ると、今でも時折思い出す、電車の中の素敵な出来事のお話しでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?