見出し画像

Nerve-wrecking Exams... 〜ワタシ テスト ニガテ ナノデ〜

2005年10月13日と14日の日記。
米国ヴァージニア州の片隅にある日系企業の現地法人で、日本人駐在員である「ぼす」の元、秘書兼通訳兼「やっかいごと よろず引き受け業」的な何でも屋さんとしてのお仕事を終え、しばらくぶりに日本に戻ってきた時の日記。
─────────────────
勉強中、なのである。

ブラジル人に間違えられながらも外国免許切替の予約をしたのが先週の火曜日。問題の試験はいよいよ明日だ。

技能の方は反対車線さえ走らなければ、まぁなんとかなるだろうと思っているのだけれど、とにかく心配なのが筆記試験。

「知識の確認程度」と言われても、とにかく自信がない。これっぽっちも、ない。カケラもない。国際免許は持っているけれど日本の免許は持っていないどころか、日本でハンドルを握ったことさえないのだ。不在だった12年近くに及ぶブランクが重くのしかかり。

父が見つけてきてくれた道路標識一覧を前に悩む。今まで気にしたことがなかったので正直ちんぷんかんぷんだ。

一通り目を通しておくように言われた 学科試験の練習問題にも頭を抱える。「二重追い越し」って何だろ。そもそも「追い抜き」と「追い越し」の違いって...?だいたい「転回」なんてコトバ、聞いたことないし。「Uターン」じゃぁダメなんだろうか。うー。

気分転換に散歩に出掛ければ「いたわりゾーン」を発見。なんだこのオレンジの標識。見たことない。...ない、よなぁ。気づいてなかった、だけ??まさか、こんなことまで試験に出ないよなぁ。考えれば考えるほど自信がなくなっていくのである。

画像1

■□■□■□

そして迎えた試験当日。

とにかく、緊張したのである。
受験前から「落ちる気満々」だと言ったら、早起きして免許センターまで車を出してくれた父に笑われてしまったけれど、まったくもって受かる気がしなかった外国免許切替試験。

どうやら受験者達の中で日本人はワタシひとりだけのようで、なんだかとても場違いな感じ。「通訳同伴」の朱印が押された封筒を手に、どうにも落ち着かないまま受付を済ませ、ポルトガル語が飛び交う中で手持ち無沙汰に待つことおよそ1時間。

画像2

ようやく別室に呼ばれて面接が始まったのだけれど
出入国日や米国滞在期間、免許取得時のことなんかを、かなり細かいとこまで根掘り葉掘り質問される。だけどいくらなんでも10年以上前にジョージアで受けた試験の内容まで覚えてないです、ええ。
ゴメンナサイ。

ヴァージニアの免許証には更新日しか記載されていないので、いちばん最初の取得年月日が不明な点が引っかかりそうになったけど、一応前回の更新日から1年は経過しているので最終的には大きな問題とはならず。10年以上運転していた証明はできなかったものの、少なくとも1年以上は運転経験があると認められたので「若葉マーク」は必要ないですよということになり、とりあえず面接は終了。

画像3

通訳同伴で来ている他の受験者達の面接がまだまだ
長引きそうだというので、時間をつぶすように言われて退室。手持ち無沙汰のまま、更に待つこと1時間。退屈しきった頃に、名前を呼ばれて視力検査の部屋へ行き、信号の色確認で「赤」「黄色」の後に思わず「みどり」と答えてしまい、はっとする。

...そうだ。日本じゃ「青」信号だったっけ。

少々焦りながらも、そのまままた別室へと向かい。
いよいよ問題の筆記試験、なのである。どうなる?どうだろ?どうしよう...。なんかちょっとオナカイタクナッテキタカモ──────。

ところが。
かなり緊張していたワタシの思いとは裏腹に、フタを開けてみれば正誤問題がたったの10問。

しかも「黄色の点滅信号」や「交通整理の手信号号」「横断歩道での歩行者優先」だとか「シートベルト」「踏み切りの渡り方」の他「駐停車禁止」「追越禁止」「転回禁止」といった標識にまつわる
基本中の基本事項のみ、だったのである。(追い越しと転回、覚えておいてよかった)

制限時間の10分も長く感じられるほどで、なんだか
あっさり拍子抜けしてしまったまま一旦退室。試験結果が出るまで、更に待つこと30分。

やがて、ポルトガル語が堪能な若い試験官のおにいさんがニコニコしながらやってきて、全員合格だとワタシ達に告げる。みんな初対面だけれど、そしてきっともう二度と会うこともないんだろうけれど、なんとなく生まれる連帯感。これであとは、所内を走る実地試験を残すだけである。

コースを見下ろせる2階の部屋に移って試験の説明をするおにいさん。

「午後イチで始めるので、コースをよーく覚えておいて下さいね」

え?? なんですと???

てっきり助手席から教官が出す指示通りに走るんだとばかり思っていたワタシは軽くパニックに。

う、嘘でしょう??
まずは場内1周してから発着地点に停車。2周目が終わったら、右折して、左折して、S字でクランク。そのあと右折して障害物よけて、もう一度右折して左折して障壁のとこで右折して......???あれ??

あまり得意でない、というかどちらかと言うととても苦手な縦列駐車も車庫入れもないけれど、それ以前にコースが覚えられない。売店で地図を30円で売ってますから、とおにいさんが言っていたのであわてて行ってみれば、既にお昼休みで人影はなく。「13時にもどります」の手書き札がレジの横に置かれているだけではないか。

仕方ないのでカバンからメモ帳を取り出して、自分で地図を描いてみることに。

おなかの虫もぐぅと言っているけれど、呑気にゴハンなんて食べてる場合じゃぁなくなった。
いい匂いのする食堂の方は見ないようにして、試験コースを見下ろせる部屋へ再度向かう。なんとか描き上げた地図を片手に、今度はまた階段を降りて実際のコースをぶつぶつ呟きながらぐるぐると歩いてみたのだけれど、左足に靴ずれができてしまい少々ヘコむ。なんだか幸先悪いなぁ、もう。

ポルトガル語が堪能な係官のおにいさんのコトバを思い出しながらコースを2回通り歩いてみて、なんとか順路を頭に叩き込み。姉に脅されていた「S字」と「クランク」の道幅が案外広いことに安心しつつも、あとはひたすら「左車線」「左車線」と念仏のように口の中で唱え続ける。

逆走したりしませんように。


どきどきしながら待っていると、ついにワタシが後部座席に乗る順番がまわってきた。受験者は、助手席に教官を、後部座席に次の受験者を乗せて走るのだ。つまり、今運転してるキノシタ・ゴンザレス・マリサさん(仮名)が終わったらいよいよワタシの番、ということである。

キノシタさん(仮名)が極度に緊張してるのは後部座席からも感じられ。S字で何度も切り返す彼女の狼狽っぷりを見ていると、悪い悪いと思いつつもなんとなく安心してしまうワタシである。おかげで緊張もだいぶほぐれてきた感じ。これなら、きっと大丈夫。キノシタさん(仮名)が道順を3回も間違えてくれたおかげでコースの確認もばっちり。

嗚呼、だけど。

そんな感じで余裕たっぷりでいられたのも、運転席に座るまで。道順を間違えないことと、「左車線」を走ることばかりに気を取られていたことも災いし

右左折の度にワイパーが作動。

さすがに「うぃ〜ん 」と乾いたフロントガラスをこするのが5回目ともなると、助手席から教官が舌打ちしながらワイパーを止めようと手を伸ばす始末。どうして日本は右ハンドルの左側走行なんだろ...最後に戻ってきた発着場では思いっきり左側のタイヤをこすっちゃうし。

車幅感覚もズレまくりのワタシに、試験後に色々とダメ出しする教官。スピードが出すぎだとか、右折後もすぐ走行車線を走れだとか、左折時の巻き込みにもっと気をつけろだとか、曲がる方向に車を寄せろだとか(右折時はセンターライン側に、左折時は路肩側に)とにかく次々注意されてしまい、うなだれるワタシ。もう、教官の顔どころか自分のつま先しか見えないよ。そして更に追い討ちをかけるようにウィンカーは右側ですよ、と特に念を押されたあとは「ここは日本ですからね」とトドメを刺され。

これじゃぁ受かる筈ないよなぁ、と思って待っていたら、例の若い試験官のおにいさんが今度は少し困った顔をしながら登場。結果は、やっぱり不合格。しょぼん。

唯一の救い(?)は、今回実技の合格者がゼロだったこと。これでもし落ちたのがワタシだけだったら、もっとヘコむよなぁ。そんなことを思いながら次回の受験票を手に、沈んだ気持ちで免許センターを後にした金曜の午後。

来週こそは無事合格しますように...。

追記: 翌週もまた撃沈しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?