Taoism - 道教
Alan Wattsが道教について書いた本を読んだ。
日本人なら道教の「道」って何?って聞かれたら、なんとなく分かる・・・ていう感じがすると思う。
でも説明してって言われたら、たぶんできない。
「気の流れ」も同じで、あって当たり前のものなんだけど、「気」って何?って聞かれると、なんと説明したら良いかわからない。
イギリス人のAlan Wattsが英語で説明するTaoism(道教)の解説はWittyで、
「言葉にすると経験が損なわれる」と書きつつも、英語だからこそできる解説が展開されていた。
途中、西洋と東洋を比較する箇所があっておもしろかった。
西洋は「時間軸での因果関係」を基に、物事を判断する。
東洋は「その時の人や物がどのような位置関係にあるかの図」を基に、物事を判断する。
これって私にとっては、何か、アルファベットと漢字の違いみたいなものだなと感じる。
漢字は絵みたいなもんだから、読む時、意識は全体のデザインを捉えようとしている。
漢字は英語で「キャラクター」と呼ばれ、「レター(文字)」でも「ワード(単語)」でもない。
漢字はキャラ😆
東洋の物の見方は、心理学者カール・ユングの言うコンステレーションみたいで、置かれた状況でのあらゆる事柄の位置関係が、何かを示唆しているそれに気づき、その流れに学び委ねる、みたいな感じ。
頭が "Frantic" になった時、こういう物の見方は心を穏やかにしてくれる。
だけど論理的な思考が必要な時は、英語のリニアな考え方が、よほど合理的だよなと思ったりもする。
英語の論文の書き方を見たら、それがよくわかる。
どっちも上手に使えると良いな、と思った。