青藍



もう何十年も前の話。


まず私の母は若かった。
そしてお嬢様で、でも反逆心が旺盛な母だった。

そんな母が武道館でのコンサートに連れて行ってくれた。
理由は自分がどうしても見たいから。
でも子供は置いていけないからと、学校を早退させて支度して準備万端で私と妹を連れ出した。

現代のように女性が働くこともままならない時代。

その上、若くして私たちを産んで、やりたいことも沢山あり我慢も沢山していただろう母。

でも、これはたぶん譲れなかったんだろう。

そのミュージシャンはジョージ・ベンソン。

当時乗っていたアメ車のサンダーバードに小学生の私と妹を制服のまま詰め込んで、自分はおめかしして、武道館に乗り込んだ。


私と妹にとっては初めての生の演奏。
初めての武道館。
全てが衝撃的で、幼心に強烈な印象を植え付けられた。

それ以来、私も妹もジョージ・ベンソンの大ファンになった。




そんな母の影響でBlue Noteで働き出した私。


働くうちに何年目かにお忍びでジョージ・ベンソンが来た時はチビりそうになった。




そしてついに、ジョージ・ベンソンのBlue Note Tokyo出演が決まった。


私はもうとっくに辞めてはいたけど、大枚叩いて母を連れ出した。


私が小学生の時は、母が私を問答無用に連れ出した。

その当時はジョージ・ベンソンも家でよくかかってる人だ、との認識しかなかった幼い私。
でも楽しかった。子供心にも興奮した。



そして今度は母を私が連れ出して行ったBlue Note Tokyo。



実はその少し前から母は認知症が始まっていた。



でもあの時のように母はおめかしして。
違ったことは私も一緒におめかししたことくらい。
そして、私を最初に連れていってくれた時のように
興奮して、はしゃいで、嬉しそうだった。



今はホームに入っている母。
でも今も私が同じようにアメ車で迎えに行って、
ジョージ・ベンソンをかけると、リズムを取ったりして嬉しそうに、
楽しそうにする。



音楽ってすごい。



そして私の母はすごい。



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