7月21日(日)
<今日の礼拝説教「霊的な賜物」の中心聖句>
一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。
コリントの信徒への手紙一 12章7節
日曜日の午前中に梅雨明け宣言が出されたようです。朝から蒸し暑かったので、室温を22度に設定してクーラーをつけました。ところがいくらたっても涼しくならず、今日はよほど暑いのだと心配しました。室温が高いので、そのあと温度調整をしてくださった方が「リモコンが暖房になっていました」とお知らせくださいました。どうりでいつまでも涼しくならないわけだと納得しました。笑えないミスをして申し訳ないことでした。
礼拝の後、お茶の時間が少し長くなり暑さが増してきました。そこで歩いてこられた方を、車で送ってくだることになりました。礼拝後の時間帯は暑い盛りです。今年は水分補給だけではなく、帰りの暑さ対策も心掛けなければと思わされました。
夏休みになり、子どもたちのおられるご家庭では普段とちがう楽しい計画があるのではないかと思います。泉南地域の海水浴は、二色浜海岸や新しいモールに隣接したビーチが整備されたとのことでした。一度は行ってみたいと思いながら暑くてとても行けそうにありません。
若いご家庭には海に山にと楽しく過ごされたらと思います。今週も主のお守りをお祈りいたします。
7月14日・礼拝説教要約
説教「主を記念して」 濱田美恵子牧師
コリントの信徒への手紙一 11章17‐34節
コリント教会には相変わらず混乱が続いており、今度は食事が無秩序に行われているということである。ある者は先に来て勝手に食べつくし、あるものは飢え、あるものは酔っぱらっている、という教会に全く秩序と愛のない状態である。
パウロはこれに対して、教会の晩餐は「主による新しい契約」であり「主の記念」であり、「主の死を告げ知らせるもの」であると教える。教会は「家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をする」ことから始まった。パウロは主の晩餐にあずかるにあたって、それぞれ自分のことをわきまえ、まずは時間を待ち合せて共に「主の体」にあずかるという信仰と愛をもった食事の秩序をコリントの人々に示した。