6月30日(日)
【 招きの御言葉 】
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。 ヨハネによる福音書15章5節
<今日の礼拝説教「モーセの祈り」の中心聖句>
生涯の日を正しく教えるように教えてください。
知恵ある心を得ることが出来ますように。
詩編90編 12節
先週に続き蒸し暑さの残る雨の主日でした。昼過ぎからは雨は降ったりやんだりの一日でした。6月最後の主日は諸事情により久しぶりに前任の先生をお迎えしての礼拝で教会員はみな楽しみにしていました。
礼拝後には先生ご夫妻を囲んで楽しいお茶の会を持ちました。手作りのチーズケーキをお持ちくださり、切り分けていただきました。教会でも長老がゼリーを用意してくださり、楽しいおしゃべりと豊かなお茶会となりました。
7月1日は能登地震から半年となりました。いろいろなところで能登の復興の遅れが報告されています。能登の方々にとって一番つらいのは、「忘れられること」とありました。そして「がれきの中で復興のための重機の音がしないので、取り残されているように思います。」との報告が心に刺さりました。「覚えているということは愛すること」と以前聞いたことがあります。わたしたちはどこも様々な困難を抱える教会ですが、互いに祈りに覚え、主の御計画の完成のために力を尽くして歩んでまいりたいと思います。
梅雨に入って暑さはまだそれほどではありませんが、湿度が高いです。また大雨の警報の出る回数が増えています。体調を整えながら今週もお元気にお過ごしください。皆さまの日々の生活が守られますように。またご家庭の上に主の御祝福が豊かにありますように祈ります。
6月23日・礼拝説教要約
説教「神の栄光を現す」 濱田美惠子牧師
コリントの信徒への手紙一 10章23節-11章1節
パウロは「食べ物はすべて主のもの」だから良心の問題として詮索せず何でも感謝して食べるよう語った。だが、ある人が食事の席で「これは偶像に供えられた肉です」と言うなら、その人の良心のために、その肉は食べないよう教えた。それはキリスト者の与えられた自由を自分の利益のためではなく、他人の利益のために用いるべきだからである。
そこでパウロはコリントの人々に自分と同じようにキリストに倣うよう勧める。コリントの人々が食べるにしても飲むにしても主イエスに倣うのであれば、そこに神の栄光が現れるのである。だから、主イエスが定められた聖餐のパンとぶどう液を感謝して受ける時、神への讃美が起こり、主の栄光が現れるのである。