who i am

車椅子ランナーってすごいな。伊藤智也選手。

車椅子マラソンでは2大会ビリだったって…🤥

で練習重ねて準優勝。映像見て、車椅子のマラソン、ランナーの人口が多いのに驚いた。

障がい者のアスリートって、少なくてそこまで競ってないんじゃない?健常者アスリートと違って頑張ればオリンピックに出るのもそこまで難しくないんじゃないのかな…。

ある意味、障がい者でよかったと思えることも人生であるんじゃないかなとオレは思ってるところありました。

でも、ほんと、間違ってます。

誰が好きで自分の体を動かなくしたりしますか…。

伊藤選手は左目は失明、左腕も麻痺しているって知った。

車椅子ラグビーの池崎 大輔選手は、握力がない、と知ったとき、どうやって漕いでボールもって投げてるの?😲‼️両手で合わせて投げたり、片手に乗っけたボールを振るように投げているようでした。

時々、思うのが、健常者でも苦しい。障がい者も、苦しい。では、どっちがいいの?

五体満足で何の生きにくさも感じてないように見える人は中身もそうなの?そんなわけない。

見た目、車椅子だから大変だ。山登りはできないし、行きたいところに自由に行けない。

でも、おれはそうなったことがないから実際にそうなった時の自分の気持ちがわからない。

人には、人の生き方がある。悪くも良くも、自分だ。

自分が生きづまっていて苦しいのは、その時自分しか見ていないし考えてないから。

周りのいろんな人の状況を思い出すと、自分なんか幸せだよな、気持ちが足りないだけだよなって思えてくる。

でもそれでも、おれは健常者だ。

健常者同士の社会で、生きている。

そこには、"当たり前"の人たちの当たり前の差別もある。

オレは、心が狭い。心の広い人を見ると、ああいう風になりたい。と思う。

何のために走るのか。

たいした理由はない。人に解って欲しいためじゃない。そりゃ、妻になる人がいるなら走る人の事をバカにしない人であって欲しい。

自分の体力を維持、向上させたい。マラソン大会でタイム更新したい。今まで続けてきて走らなくなったら、もう再開したとき、今のように走れなくなってるから。身体が引き締まるから。走る前は、ダルくてかったるくて走りたくないのに、走ってる最中にああ、やっぱり今日も走ってよかった😃と思えるから。走ったあとの充実感が他の出来事を越えてるから。生きたな、って感じるから。

ほら、見ろオレを。こんなに走れるんだぞ。お前ら走れるのに走らないのはキツいことするのが嫌なんだろ。そのくせ人が走ってる姿を見るとバカにしてるんだ。

なんて、思っていても自分の走りは良くならない。

オレはオレ。ジコマン、ケッコー😃

人は、ジコマンで生きるのが解れば人の恣意的な思いを気にするのが良くないと気づいた。

それは、一人で生きている時間が長いから。本当は、他者とわかりあいたいのだ。

猫同士がすり寄って眠っているように、ありたいのだ。

なんちて。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?