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ホームレスだった頃の夜。

上京して5年目となる。
はじめの1ヶ月と少しの間は家が無かった。
つまりホームレスだったわけだ。

僕がどうしてそんな状況になったのか

結論からいうと意図的にそうした。

そこには大きく分けて二つの理由がある。
まずはそこからお話していこう。

一つ目
作中にホームレスが出てくる作品に出会う機会が多かったから。

劇団ひとりさんの「陰日向に咲く」
樋口有介さんの「枯葉色グッドバイ」

などなど他にもドラマや映画でも偶然多く目にした。

別にその登場人物の生き方に憧れたわけでも心情を読み解きたかったわけでもない。
ただ単純にいつかそんな役を演じる機会があるかもしれないから良い機会だし経験しておこうと安易に考えただけだった。

二つ目
ホームレスの知り合いの言葉。
知り合いというと語弊があるかもしれないが、よく話すホームレスがいたのだ。

彼は通称シゲさんといい、大阪で僕がよく屯していたアメリカ村の三角公園を拠点としているホームレスだ。
嘘みたいな話だがシゲさんはとてもお洒落な男性なのである。
衛生面は決して良くはないがとにかくお洒落。おそらく日本一お洒落なホームレスだ。

ある日シゲさんは大金を拾った。
7万円だったか10万円だったかとにかく大金を拾った。
もちろん普通は交番に届けるべきだがここでは目を瞑っていただきたい。
シゲさんはその拾った大金を何に使ったのか。

あろうことか服とファッション雑誌に全てを費やしたのだ。

それを聞きつけた僕はシゲさんにどうして食べ物や飲み物のために貯金しておかなかったのか尋ねるとシゲさんは答えた。

「悩むのがめんどくさい。何食べよう何飲もう、お金があれば悩む。だったら今欲しいものを買う」

深いのか浅いのかよくわからない返答に戸惑ったことを覚えている。

ただその感覚に可笑しさを覚えたのは事実で、そういう環境だからこそ生まれる発想もあるのではないかと思った。

以上の2点が僕の引き金だ。


上京する際の細かな日程決めは物件の状況によって決定すると思うが僕には家がない。

バイト先の人たちが7/2に送別会をしてくれると言ってくれたのでじゃあその次の日7/3に東京へ行こうと決めた。

家族にも周りの人達にもその日程を伝え家を決めずにしばらく過ごすという話もした。
いま思うと家族はどんな気持ちで僕を送り出したんだろう。今度聞いてみようと思う。

ちなみに東京への交通手段は新幹線。しかもグリーン車。
2時間30分後に野に放たれる男が座る場所ではない。

しかしこれは僕なりのエンターテインメントだった。
グリーン車で東京に着いた男が行く宛もなく彷徨うという緩急を人生に少しだけつけたかったんだと思う。
それともうひとつ、僕はバイト先のお客さんから上京するためのカンパを頂いていた。
常連さんからはじめましての方まで幅広くカンパしてもらいかなりの額が貯まった。
どうせならそのお金は中途半端に使うのではなくきっちり上京という名の下に使用したかった。

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昼過ぎ頃に東京に着いた。

友人と食事をするために阿佐ヶ谷駅に向かう。
食事の時間までは駅前のロータリーのベンチに座り鳩と空を交互に眺めた。
ベンチでの赤ベコタイムは2時間ほどだったと思う。

友達と合流して食事を終えて僕は行き場を無くした。

夜の街を歩く。

先程のロータリーで外国人3人が楽しそうにお酒を飲んでいた。
僕はコンビニでお酒を買いしれっと混じる。
そんな僕を3人は明るく受け入れてくれた。

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そんな3人も帰ってしまった。僕はまた一人になり夜の街を歩く。

一件だけ明かりが灯った場所を見つけた。
中を覗くと小洒落たBARだった。
僕はとりあえずそこに入りメーカーズマークのハイボールを頼む。
隣の席には短髪で歯はガタガタ、腕には一面のタトゥーが入った40〜50代くらいの男性がマスターと陽気に話していた。
僕の手元にハイボールが届くとマスターが「関西の人?」と尋ねてきた。
どうやら店に入る際の「まだいけますか?」という僕の言葉で関西人だと気付いたらしい。
そこからマスターとタトゥーのおじさんと3人で話をした。
僕がその日に上京してきたことや役者業の話もした。
タトゥーのおじさんがマスターからケンちゃんと呼ばれていたので「僕もケンちゃんです」と言うと生き別れた兄弟と再会したかのように喜んでくれた。ケンちゃんなんてザラにいるけどそこはもう空気感だ。
とにかく阿佐ヶ谷のケンちゃんと大阪のケンちゃんが出会ったのだ。

僕がホームレス状態だと話すと阿佐ヶ谷のケンちゃんは「じゃあ今日は良いとこに連れてってやる」と言い僕を店から連れ出した。マスターは不気味な笑みで僕を送り出した。

ケンちゃんに連れられ細い道を通り暗いビルの下に着く。
そのビルの階段を上がり二重扉を開くといかにもアンダーグラウンドなBARがそこにあった。
ケンちゃんはマスターに「大阪のケンちゃん連れてきた」と言い僕をカウンターに座らせた。
辺りを見渡すと雨も降っていないのに髪が濡れた女の人が頭を振っていたり、ネクタイを肩にかけ項垂れたスーツ姿の人がいた。

その時の僕の頭の中を綴ろう。

終わった。僕の上京は数時間で終わった。
そりゃそうか、たまたま入ったバーでいかにもヤバそうな人と出会い連れられてきたんだから。
このまま変なクスリを強制的に勧められ、それに手を出したことをバラすぞと脅され、住み込みで夜はバーテンダー昼はヤバい仕事を手伝わされ、そのストレスからまたクスリに手を出し、依存し、、、、、

的なことがカウンターに座る僕の脳内を駆け回っていた。


「ケンちゃんまた手汚して」
バーのマスターが阿佐ヶ谷のケンちゃんに言った。
「酒飲んだら忘れるから」
阿佐ヶ谷のケンちゃんは答えた。

僕は阿佐ヶ谷のケンちゃんのタトゥーだらけの腕をよく見た。
それはタトゥーではなくケンちゃんがお酒を飲んだ際に忘れないようサインペンで腕に書いたメモだったのだ。
おそらく毎日のようにお酒を飲んでいるから数日分の記憶が腕に書き留められタトゥーのようになっていた。

少し気が楽になった僕は1つずつ状況を確かめていった。

濡れ髪で頭を振っていた女性は近所に住む常連で風呂上がりすぐに店に来て店内にかかるロックな曲にノって髪を乾かしていただけだった。
項垂れたサラリーマンは奥さんと離婚するかどうかの瀬戸際でシンプルに落ち込んでいるだけだった。
ちなみにこの奥さんというのは有名人なのだがもちろんここでは言えない。
どっちにしろ変わった人だったが僕の中から怖いという感情はなくなった。

結果的に僕はその場所で朝まで楽しくお酒を飲んだ。
縦長の店内の奥には簡易的なライブスペースもあり、各々楽器を演奏してデイドリームビリーバーを歌ったりもした。

朝方店を出る時にマスターが「行くところなかったらいつでもおいで」と言ってくれた。
手を振るケンちゃんの手には大阪のケンちゃんという文字が刻まれていた。

僕は店を後にしそのまま昼間時間を潰した駅前のロータリーのベンチに腰をかけまた鳩と空を眺めた。

その日以降も色んなことがあった。
立ち飲み屋での役者との出会いが後のミュージカル出演に繋がったり、気付けばアイドル御用達の古着屋の店長になっていたり。
これはまたいつかnoteにまとめようと思っている。

ホームレス生活。

毎日外で寝ていたわけじゃないし色んな人にお世話になった。
だからホームレスを経験することで得ようとしたものが手に入ったのかは正直わからない。
でも確実に得たものはある。

人との出会い、人の優しさ、人の温もりだ。

クサい言葉かもしれないがそれが全てだと思う。

今は壁も屋根もある。週間少年ジャンプにタオルを巻いた枕じゃなくてふかふかの枕で寝れる。
時間を気にせず好きな時間にお風呂も入れるし見たいテレビも見れる。
そんな恵まれた環境だけどあの時のアグレッシブさと人と人との繋がりの大切さは忘れないでいたい。

熊田健大朗

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