拝啓、赤ずきんさん。
ばあちゃんが死んだ。
いつもと何ら変わらないこの家。唯一違う所はどこにもばあちゃんがいないこと。仏壇にばあちゃんとじいちゃんの写真が寄り添っている。僕はじいちゃんに会ったことはないけどきっと鴛鴦夫婦だったと思う。
物心つく前に両親を亡くした僕にとってばあちゃんは母親代わりだった。大学に入ってこの家を出るまでずっと2人で暮らしいてた。ぼーっと部屋を眺める。月に1度は帰っていたけどなんだか懐かしく感じた。身長を刻んだ柱の傷。ばあちゃんの達筆な字で数字が書き込まれている。一番低い数字からゆっくりと首を上げていく。思い出が走馬灯のように蘇る。ばあちゃんは僕によく言った。
「綺麗な字を書きなさい、そうすれば心も綺麗になるの」
ばあちゃんの字をお手本によく練習した。学校の先生に綺麗な字だと褒められた時は走って家に帰り机の上にそっとノートを置いた。
柱に背中を当てて今の身長を書き込んだ。178せんち。相変わらずばあちゃんの字と似ている。いつからこんなに似てきたんだっけ。僕はばあちゃんが大事なものを入れていた棚の引き出しを開けた。僕の昔のテストや作文が丁寧に収納されていた。
「汚ねぇ字だな」
その場所に僕の思い出が入っていた嬉しさと字の情けなさが頬を緩めた。一通り目を通して元の場所へ戻そうとした時だった。棚の中に見覚えのない缶を見つけた。何かのお菓子の缶。缶の蓋を開けると中から十数枚の封筒が出てきた。差出人は
“赤ずきん”
僕は一番底にあった封筒を開き、中にある便箋を取り出した。
ばあちゃんは赤ずきんと名乗る人物と手紙を交わしていた。相手はおそらく女性でどこかの公園で出会った事がきっかけのようだ。詐欺にでもあったんじゃないかと少し不安になったが、お金を要求されているわけでもなく、文面や残りの手紙の枚数を見るに彼女の手紙を受け取ってほしいという希望を叶えてあげていたのだろう。面倒見の良いばあちゃんらしい行動だ。
ひとつ気になることがある。赤ずきんと名乗る彼女の“少し生きてみた甲斐がありました”という言葉だ。死のうとしていた人の言葉に聞こえる。ばあちゃんは死のうとしていた彼女に声を掛けたのだろうか。いや、出会ったのは公園だと書かれていたし何か違う気がする。僕は手紙を通して彼女のことが気になりはじめた。そして2枚目の手紙へと手が伸びる。
彼女は日常のたわいも無いことを手紙に綴っていた。まるでその日の出来事を母親に、一生懸命楽しそうに伝える幼稚園児のように。僕は3枚目、4枚目、遂には最後の手紙まで一気に読み終えた。どの手紙にも彼女の日常が記されていた。僕が気になる彼女とおばあちゃんの出会い、彼女は死のうとしていたのか、のヒントとなるような手紙は無かった。不思議なことに彼女の字は少しずつ綺麗になっていて、その字から僕の心に彼女の過ごした日常が刷り込まれていった。月に1度帰って来る僕と、月に1度送られて来る手紙。おばあちゃんはきっとこの手紙を凄く楽しみにしていたんだと思う。僕は机に封筒を並べ、まるで目の前に彼女が居るかのようにきちんと正座をし、彼女に感謝の意を込めて呟いた。
「ありがとう」
封筒にはきちんと彼女の住所が記されている。会いに行こうと思えば難しい距離ではない。ただ会いに行ったところでどうするんだ。「孫です。手紙ありがとうございました。ところであなたは誰ですか?」とでも言えばいいのか。ばあちゃんが亡くなった報告という程ならすごく自然な流れで会える。いくつか会いに行く理由を考えたが実際のところ気は進まなかった。僕は彼女とばあちゃんの不思議でどこか温かな関係に立ち入るべきではないと思っていた。でも、だからこそ彼女にばあちゃんの死を伝えるか否か、答えの無い問いに僕は頭を悩ませた。一度手紙を棚に戻そう。そう思い封筒に手を伸ばした時、僕はあることに気が付いた。消印の日付がどれも月の頭、1日だった。はっと携帯を取り出し日付を確認した後、小走りで郵便受けへ向かった。郵便受けには彼女からの手紙が入っており、そこにはいつもと変わらない日常が記されていた。僕は彼女にばあちゃんの死を伝えることを決めた。返事が返ってこないという理由だけで彼女にばあちゃんの死を知って欲しくなかったからだ。部屋に戻り棚の中からばあちゃんの手紙のセットを取り出しペンを握った。ばあちゃんと瓜二つの字で「拝啓赤ずきんさん 私は少し遠くに行くことになりました」と書き始めた。僕は見知らぬ赤ずきんさんに最初で最後の嘘をついた。
おばあちゃんが死んだ
と言っても本当のおばあちゃんじゃないの。おばあちゃんに会ったのは去年の今頃だったかな。ちょうど私が生きるのをやめようって思ってた頃。あ、勘違いしないでね、死のうとしてたわけじゃないから。この違いはアインシュタインだってわからない私の心の複雑な部分。
私昔から何にも興味がなかった。教室でみんなが昨日やってたテレビ番組のこと話してても観てないし、流行りの服もどうだってよかった。友達はもちろんいなかった。かと言ってイジメられてたわけでもなくて、ただ空気みたいに過ごしてたの。頑張って生きてるふりをしてた。ある時ね、大学の近くの駐車場に住みついていた野良猫が道路に出た瞬間、車に轢かれて死んだの。私その猫が駐車場から出たのを見たことがなくてさ、はじめて駐車場から出たって思ったら轢かれたの。その時になんかぷつんって私の心の糸みたいなのが切れた。生きるのやーめたって。で、そこから私は今のうちに思い出の場所を巡ろうって思うわけ。数少ない、大したこともない私の思い出。死ぬ時はあっさり死にたいから走馬灯候補を今のうちに見て回ろうって。大学を辞めて毎日ふらふら歩き回ったりした。私の走馬灯候補第12番、あまり顔も覚えてないおばあちゃんと逆上がりの練習をした公園に行ったときね、昔みたいに鉄棒を握って逆上がりしようとしたら全然できなくて。
「私、結局逆上がりできないんだ」
逆上がりができないのも、こうして言葉がポロって口から出ちゃったのも可笑しくて1人で笑ってた。そんな時におばあちゃんが声をかけてきたの。
「楽しそうね」
凄く驚いたのを覚えてる。声をかけられたことじゃなくて私はいま楽しそうだったんだってこと。そこからおばあちゃんとお話した。昔の私と今の私のこと。おばあちゃんは何も否定せずに聞いてくれた。そのうちおばあちゃんは私のことを赤ずきんちゃんって呼び始めた。赤いパーカーを着てフードかぶってただけなんだけどね。ちゃんとおばあちゃんにこれはフードってこと伝えたんだけど横文字は苦手みたい。そろそろ帰ろうって思った時におばあちゃんが言ってくれたの。
「赤ずきんちゃん。あなたの心のことは私にはわからないわ。でもね、さっき笑ってたあなたも、今私とお話しているあなたも、私の心の中でしっかり生きてるの。だからね、難しいことなんて考えなくて良いわ。あなたらしく過ごしなさい」
その時どんな気持ちだったのかよく覚えていない。急に涙が溢れてきておばあちゃんに抱きついたのだけ覚えてる。帰り際、おばあちゃんは手紙を書くからと言って私の住所を聞いてくれた。その3日後だったかな、おばあちゃんから手紙が届いたのは。
それから私とおばあちゃんの文通が始まったの。私は月に1度、その月に挑戦してみた事とか、日常で起こった事とか、おばあちゃんの心の中で生きてる私に息を吹き込むように過ごして言葉を綴った。おばあちゃんからの手紙は嫉妬しちゃうくらいお孫さんについての事が多かった。大好きなんだね。いつかおばあちゃんに紹介してもらおうって思った。
文通を始めて11ヶ月。11通目の手紙で私はおばあちゃんの体調が良くない事に気が付いた。手紙にそう書かれていたわけじゃない。ただ達筆なおばあちゃんの字が少し崩れていたから。凄く心配だったけどおばあちゃんが何も言ってこない事を私なりに勝手に解釈して私も普段通り手紙を書いた。そこからおばあちゃんの字はみるみる崩れていった。
今朝ポストを見たらおばあちゃんから手紙が届いてた。封筒を開けて手紙を見たとき、おばあちゃんが亡くなった事にすぐ気が付いた。だって字が綺麗になってたから。もちろんそれだけなら体調が良くなった可能性もあるけど、もう一ついつもと違うところがあった。拝啓赤ずきんさんって書かれてたの。おばあちゃんはいつも拝啓赤ずきんちゃんって書いてたから。それとこの手紙を誰が書いたのかも予想がついた。おばあちゃんが手紙で孫の字は私とそっくりなのよって言ってたから。全部を理解した上で私は手紙を読むことにした。
お孫さんの字は本当におばあちゃんとそっくりだった。おばあちゃんが元気な時に入れ替わっていたら気がつかなかったかも。
「私、輝いて見えるんだ」
ベランダから空を見た。思ったよりいい天気じゃなかった。おばあちゃん、私、輝いて見えるんだって。おばあちゃんのおかげだねきっと。こんな事言ったらあなた自身が輝いてたのよって言われちゃいそう。いつかお孫さんと、オオカミ君とブラックコーヒー飲めたらいいな。オオカミ君、どんな目で日常を見てるのかな。どんな耳で音を聞いてるのかな。どんな言葉を口にするのかな。おばあちゃん、私、また手紙を書こうと思います。それがいつになるか、どんな手紙かなんてわからないけど。今まで通り手紙に綴れるような日々を過ごせるように。
私は死ぬ
特に大きな病気を起こさず生きてきた私だから気付くことのできる感覚なのでしょうか。私はもう永くないでしょう。人はいつか死ぬものですが、その足音にはどうにも慣れることができないようです。人生を一つの文章だとすると読点を打つ瞬間がいくつかありますが、もうすぐ句点が打たれる私の人生に最後の読点を打ったのは彼女でした。
赤い頭巾を被った赤ずきんちゃんとは近所の公園で出会いました。御使いの品を忘れた子供のように、人生という森を彷徨っている彼女をどうにも放って置く事ができませんでした。家に来た頃の孫と重なって見えたのでしょうか。それから彼女とはお手紙を交わす仲になりました。彼女から月に1度届く手紙には素敵な日常が綴られておりました。私はというと孫のことばかり、彼と過ごした時間を再確認するように筆を握っておりました。
また孫の事を書いてしまった。毎度毎度そう思いながら手紙を書いております。私にとって赤ずきんちゃんも孫のようなもので、そんな彼女の日常を眺めるとどうしても私が知らない孫の日常に気が向いてしまうからだと思います。赤ずきんちゃんから昨日届いた手紙には友達ができたと綴られておりました。自分の事のように喜びながらもやはり私は、孫には友達がいるのかしらと考えてしまいます。今から手紙を綴りますがきっと孫のことでいっぱいになるのでしょう。いう事をなかなか聞いてくれない手が邪魔しないと良いのですが。
孫の身長が書かれた柱を手でなぞり時の早さを痛感しました。私が思っているよりきっと孫はしっかりしているのだと思います。きちんとありがとうを言える人になっているのだと思います。手紙にはあんな風に書いてしまったけれど。同意を求めるよう仏壇の前に座ると幸せな気持ちになりました。
「もうすぐ会えますね」
私の長く温かな文章にそろそろ句点が打たれるようです。
『拝啓、赤ずきんさん』 作:熊田健大朗
第5回ブックショートアワード最終候補作品
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