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旅記 帰郷

 明日、どこか行こう。仕事が終わってから唐突にそう思った。ここ最近の馬車馬の如き働きに精神が限界を迎えていた。

 先日は高山市一宮、水無神社を参拝したところでした。生雛祭りには毎年多くの参拝客が訪れるといい、古典部シリーズ『遠回りする雛』のモデルにもなりました。(この「モデルになった」という表現には疑問があって、モデルのほうが先にあるのにどうして「なった」とモデル側が変質したかのような言い回しなのだろう。確かに作品イメージが付与されるという意味では変質しているけれど……)

 そのさらに前には高山市で氷菓の痕跡をあらかた回っていました。残すは加茂荘花鳥園のみ。行ってしまおう! と言うのが今回の出立の所以だったのです。

 水無神社を参拝した際も近くの民俗資料館に立ち寄りました。職員の方が地域の風俗に詳しく、色々な話(かつて羊毛産業も盛んだったこと、水無神社の狛犬は山犬を模しているということなどなど)で盛り上がり、予想外に楽しい旅になりました。

 今井家住宅の館長さん、恐らくはどこかで教鞭を執られていたか研究に携わっていたか、そんなにおいのする方でした。大変失礼ながら十年後行っていらっしゃるかどうかはわかりません。今だからこそ聞けた話、見れた景色。行く先々でそう言ったことに恵まれます。そう、恵まれているのです。こういった経験は当然のものではありません。大切に思わねばならないのです。

 十年後も同じような旅をしたい。ふらっと訪ねてエキサイティングな経験をできるような。そのためにはどうすればいいんでしょうか。祈ればいいんでしょうか。どうか旅先がエキサイティングでありますように、と。そんな祈り、きっとどこにも届きません。

 帰路、エンジンを唸らせながらひるがの高原SAまで駆け上がり、無事にプリンを買えました。今回の旅先に全く関係ないお土産ですが、まあ、おいしければなんでもいいのです。友人らには昨日名古屋の洋菓子を買いました。愛知県、足すら下ろしていませんが。

 美濃市を発つ前に兄弟から連絡が入りました。一緒に夕飯を食べないか、と。ぎりぎり間に合います。速度に気をつけながらトンネルを走り続けました。トンネルを抜けるたび、辺りは暗くなっていきます。

 震災報道写真集の、能登の塞がったトンネルを思い出しました。山肌が崩落してトンネルのだいぶ手前から埋まってしまっています。あのあたりは山が険しく、海岸線の道路はそのまま集落の生命線です。例えばこのトンネルが埋まるとどうなるでしょう。北陸と東海が寸断され、その行き来に大きなロスが発生します。

 中上健次『枯木灘』を読んで、自身も少しばかり現場管理を見学して、土木工事と言うのはまさに祈りの営為なのだと思い知りました。土を捲り、土を留め、地球という果てしない規模の力に耐えうる構造物を造る。耐えられることもあれば、そこまでして負けることもある。北陸道の崩落部分を通過します。祈ります。能登里山も思います。早く復旧しますように。こんな祈り、何の意味もありません。

 なにかまとまりのある話を書ければと思いましたがどうにもうまくいきません。帰り道は取り留めのない考えばかり浮かんで、消えて、旅はもう終わっていました。ICを下ります。待ち合わせ場所にはまだいませんでした。

 思えば遠くまで行って、よく無事に帰ってきたものです。兄弟にはこの旅のことをどう伝えようか。うだつのことは外せないし、花鳥園は好きそうな話です。

 ベンチから立ち上がって手を振ります。向こうに姿が見えました。


何でもないけど気に入っている一枚