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探しもの

 用事があって夜の山へ向かった。県境の峠道から脇にそれ、街灯ひとつないうねった道をしばらく進むと尾根に出る。右と左で県が違う。それをまた上がったり下がったり車を走らせる。慎重に。また脇道に入る。谷へと下りる道だ。雨が降って落ち葉で滑りやすい。ゆっくりゆっくり下りる。ふと頭をよぎる。雨とはいえ夜は動物の時間だ。熊や猪が出れば車に乗っていようとひとたまりもない。熊は出ないだろう。彼らは賢いから。猪は馬鹿だから、近くをうろついているかも。

 道の終わりに家がある。谷の下っ腹にようやく作った平らな場所に貼りつくように建っている。エンジンは止めず、ライトも点けたまま家に入った。車の唸り声が少し遠ざかり、代わりに屋根を打つ雨音がよく響いた。

 ジャケットのポッケから懐中電灯を取り出す。逆手に持って頭に横づけする。玄関から居間、台所、風呂場、物置、手洗い、二階の広間、屋根裏部屋、何ひとつ見落とさないように見て回る。木くずやすんば・・・が靴下の裏を汚した。寒い。首筋が冷える。

 外に出て車のトランクを開ける。合羽を取り出ししっかりフードまで被る。足は濡れるが仕方がない。

 家の周りを一周する。裏手で蛇を見たとじいさまが言っていた。草むらは避け、明かりだけ照らした。何もなかった。

 谷の底を覗き込む。下草の向こうから轟々と大きな川音が鳴り響く。底までは見えない。何かあろうか。何かあろうか。わからない。たぶん、ない。探しものは、ない。

 雨足が強まる。限界だと悟った。冷えに冷えて手が震える。頭の天辺が痺れてきた。これ以上は自分の身が危ない。合羽を着たまま運転席に乗り込む。革靴が泥で汚れ、ブレーキを踏み込むと少し滑る。ゆっくりと方向を切り替え、来た道を再びゆっくりと帰った。

 前照灯を高々と掲げたとて、一寸先は闇。谷から上る道。谷を出て尾根筋、山間へ分け入る道、峠道まで気を抜くことはできない。尾根筋でなにか横切った。兎か、テンか。思わずブレーキを踏んで、ずっとタイヤがずれるのがわかった。心臓が痛むほど打ちつける。滲んでいた手汗を腹回りのシャツで拭う。

 人里まで戻る頃、ようやく電波の繋がった携帯にメッセージが届いた。路肩で確認すると弟からだった。深く息をつく。返信をして実家へとハンドルを切る。

 見つかってよかった。