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翻訳通訳会社で役に立った、大好きな絵の経験、美大を卒業したこと。絵の敗北は無駄じゃなかった。人生で無駄なことはない。

武蔵野美術大学を卒業してから、44歳になるまで、良い絵を描こう!とそれだけを考えて生きていました。


僕は物心ついたころには、絵を思うように描くことができました。
僕につらい態度を見せた大人も、この点だけは、目を見張り、認めていたようでした。

僕は子供の頃、病院等に連れていかれ、小児科医、また、カウンセラー的な人(当時、カウンセラーという言葉はなかった)に面会し、心理テストを受けさせられるような子供でした。
周囲からはMasaはアホといわれていました。

ママからは
「お前はアホ、何をやらせてもダメ」
とあきれられていました。
彼女が6歳の僕を捨てたのはおそらく、そのせいです・・。
僕がバカすぎたんです・・。

ママは再婚し、僕の養育を辞めました。
児童相談所を経て、児童養護施設へ。
僕は流転していきました、全く関与できない、問答無用の運命です。

運動、勉強も平凡、箸もろくに使えず、モノをぼろぼろこぼし、服にはしみがついていました。お前、バカだろ?!って言われて・・。

高学年になっても、無意識に尿が漏れ、下着を汚し、おねしょしていました‥情けなかった・・でも、どうにもできなかったんです!
 
僕は、そんな生まれも悪い、背もちび、外見も醜い、ケンカも弱い、臆病で、いじけたねしょんべん垂れでしたが、絵においては、僕をたたき叱る大人、学校の先生や、僕をバカにするクラスメート等、だれもが認め
「Masaは、絵だけは超~うめえよな!すげえよな!」
「Masa君は、絵ができる、絵の道に進みなさい」
という風に褒めてくれた
んです。

恵まれない男児への哀れさ、生い立ちが、不憫に思え、周囲の同情を誘ったという面も、多分にあったでしょう‥。

幼児、小中高と、僕は同級生はおろか、他学年、しいては学校内で、絵の腕で知られ、チヤホヤされ、自分で書くのもなんですが有名でした。

ニュージーランドでホストマザーに激励され、絵を学ぼうと、
帰国し、12年後、武蔵野美術大学を卒業できました。

個展や、展示でも、僕の描いた絵を買ってくださる方に恵まれ、入選もし、公の場、美術館で僕の絵が掲げられました。

単純に、僕のみじめさを脱却させてくれて、自信をくれた絵、
絵を描くのが楽しかったんです。
気が付くと、44歳になっていました‥


だけど、絵でご飯を食べることはできませんでした。
簡単に言うと才能がなかった・・。
お花畑の世界に住んでいたアホだったんです。

「絵は楽しんで一生描くんだ‥」
なんて、きれいごと、負け惜しみを言ってますが、率直に言うと・・・

絵では成功できなかった・・
お前の絵は魅力がない、ゴミ・
絵の才能がなかった・・
上手くいかなかった・・
挫折したんです・・・
負けたんですよ・・・
あきらめたんです・・
つらいです・・
悲しいことです・・・

ですが、44歳の時、一念発起し、英語を仕事にしよう!と、
現在は運良く、子供の頃からの、もう一つの特技、大好きだった英語で、通訳を本職とし、翻訳や、その他の英語に関するフリーランス案件などで稼いで、ご飯を食べれています。

紆余曲折、逆境の遅れた人生において、
結局、僕にできことは英語だけだったのです。



ただ、美術大学まで行き、絵をやったこと、子供のころから、得意としてきた絵が無駄だったわけではないという体験を、現在の翻訳通訳会社いたしました。


美術関連の翻訳、建築、デザインなどの仕事、
図面翻訳があると、masaくんは美大を出たのだから大丈夫だろう?!ということで任せてもらえるのである。

翻訳通訳会社では、デザインの仕事が必要になった時、なぜか美大を出ているということで、他の人は、まあmasa君は、美大卒だからデザインもできるでしょう、ということで、ロゴやマークのデザインを任されたことがありました。
会社が担当した案件の現場に、大きく掲げられる会社ロゴいりの垂れ幕をデザインしたのです。
そしてそれは初めてのデザイン実績となりました。


また、図面翻訳も、Masa君は、美大まで行ったのだから
「デザインはわかるでしょ、建築もわかるだろう?」
ということで、信用してもらえます。
実際、僕が勉強していたのは造形、主に絵画制作であり、デザイン科ではありませんが、美大を知らない人にとっては、
まあ、デザインもできるだろう?ということになるらしいのです。

絵をやった人は立体的に物が把握できるから、イメージもつかみやすいだろう、通訳現場において、英語だけでなく、Masa君は絵をかいて説明もできるから連れて行けということになるのです。

なので、自分が絵を勉強していた、美大を出たということが、通訳、翻訳の仕事にも役立つ場面があるのです。

なので皆さんが英語で仕事する際、それは通訳であるか、翻訳であるか、英文事務であるかは分からないですけれども、それまでの過去の経験が仕事に役立つこともあると思います。
人生、無駄なことはないと思った経験でした。


オマケ雑談・もし人生をやり直すことができたら?

ですが、次、人生で生まれてくる時は、美術大学には進まないとおもいます。
絵より、英語をいち早く専門にして東京外語大学に進みたいですね。


48年生きてきました。
子供のころから大好きで、得意としてきたのは
まず、絵、そして英語の二つでした。

僕は絵描きになれると思っていた・・
でも、残念ながらその才能はなかった・・。

そして、意外にも、唯一、運良く、専門で、ご飯が食べれる程度に、
モノにできた技能は二番目に好きな英語
でした‥。
絵描きさんとしては成功できなかったけれど、子供の頃からの夢、あこがれだった通訳にはなることができました。

この経験がさらに自分と英語を密接にしたのです。
そして自信をくれました。
だから今、英語がなによりも好きです。
これからも英語一択でいきていくでしょう。
英語が僕の人生の全てになったからです。

人生48年で唯一、僕はまともにできたのは英語だけでした・・
人生をよりよくしてくれたのは英語でした。

これからも、英語人生の継続あるのみ。

(Google Pixel 8a 音声入力により執筆)




子供の頃から、絵を描くことが大好きです!オリジナルキャラのペン画を制作しています。いい絵を描ける日が来ればいいと思い、日々、制作しています。ニュージーランドにつながるための道としての英語学習、TOEIC900点トライ!も、継続中です。サポートしていただけたら、ありがたいです!!