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山 (愛川町日記 2014年7月23日より転載)

愛川町の三増と言えば

三増合戦

とわかる人はなかなかの歴史通だ。


戦国時代最大の山岳戦。


今の中央養鶏場を正面に見つつ

武田が陣をはり

それに飛び込むように北條が馬を並べる。

志田峠が合戦の行方を握り

最終的には

無数の屍をのにさらし、北條は半原山へ敗走する。


戦国時代最大の山岳戦をざっと文字にすればこんな感じだ。



そう。愛川町は山岳なのである。



今でも地図を見れば

三増から半原にかけては屏風のように山が連なっている。

どれも剣とは言い難く

登るには手頃な山である。

山があれば、川がある。

中津川は鮎の名所としてたくさんの人々が訪れる。


山には人々に食物を与え、川は安住の地となる。

そして、文化が生まれる。

愛川町の文化の流れを見れば

半原方面から興き、川沿いに伝播していく。

坂本方面からの厚木の文化は中津台地の壁に阻まれていたのではないか。

戦国時代からなおも掘り下げれば

愛川町は武田と北條の勢力圏の境であり

双方の文化が、混ざりあった地点ともいえる。


つまり、愛川町を一つの縮図でみてはいけないのだ。


山岳地を抱える半原地域

新興的に開発された台地上

八菅山を中心とした中津川沿い


この3ヶ所にわけて愛川町は見なければならない。


この3つは

それぞれに発達し

それぞれに衰退に歯止めをかけようとしている。

投網的にそれをまとめてはいけない。

同時に、そこには連携を持たなくてはいけない。

いくつかの村が結び付いた町である愛川町独特の考えがあるのだ。

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