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人生の最終ラウンドをデザインする

人生を四分割すると

大学院の1年目をまとめたこの前のポスト、たくさんの方に読んでいただけているようだ。

ここに書いたように、来月からフィンランドに長期滞在をする。これに対して「思い切った決断ですね」といろんな方からコメントいただいたり、直接メッセージをいただいたりもした。なので、私がなぜそんなふうに考えたのかをちょっと書いてみたいと思う。

自分の人生を20年おきに分けて考えてみた。

誕生から20歳まで 第一フェーズ
20歳から40歳まで 第二フェーズ
40歳から60歳まで 第三フェーズ
60歳から80歳まで 第四フェーズ

人生100年時代だとすると「第五」もあるわけだけど、80歳を超えたら、もういつ迎えに来ても・・・と思っているので、そこは考えないようにしている。80歳以上まで生きられたらとしたら、ありがたいボーナスだと受け止めるつもりだ。

この考え方の何がいいかというと、「自分の現在地」がわかることだ。たしかに、20年刻みで考えると、これまで区切り的な出来事があった気がする。

ゴールまでの「仕込み」の時期

この区分でいくと、私はすでに第四の人生、つまり最終ラウンドに入っている。これまでの人生も一生懸命生きてきたつもりだけど、フィナーレを飾るこれから迎える最後の20年は、とりわけ大事な時間になる。終わりよければすべてよし。満足して、心置きなくこの世を去るための「仕込み」の時期とも言える。

この最後の20年をどうデザインするか。ここは人生観や価値観がもろに出てくるところだと思うが、私の場合、「最後ぐらい冒険がしたい」と思ったのだ。冒険というか、explore、つまり「探検」のほうがあっているかもしれない。これまでとは全く違う環境に身を置いて、探検、探索、探求をする。いろいろ見聞きをしたり調べて、できればそれをまとめて形にしたい。今回の長期滞在は、これからの新しい20年のスタートにしたいと思っている。

もともと旅するのが好きで、若い時から海外に暮らしてみたいと思っていたけど、残念ながらその機会には恵まれなかった。今もし死の床にあったとして、何が悔やまれるかと聞かれればひとつはそれだ。「心置きなく」のために、私にはどうしても必要なことなのだ。

知らない土地で病気になったらどうしようとか、言葉の問題とか、物価高とか、心配事はいろいろあるけれど、きっと失うものより得るもののほうがずっとたくさんあるんじゃないかと思う。

昔から「根拠のない自信」にだけは自信がある。面白いことにいろいろ出会えるのを楽しみにしている。

※写真は先週の金曜、桜満開の千鳥ヶ淵。午後から雨、奇跡的に晴れた瞬間だった。


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