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献血ルームとつながりのない居場所

献血ルームが快適すぎるので、たまに献血に行っていたけれど、このところ献血前検査でヘモグロビン値が低く、献血できないことが続いた。
何となく「居場所がなくなったなぁ」と喪失感を感じた。

お金さえ払えば、居場所はいくらでもある。
飲食店やネットカフェ、フィットネスクラブ、習い事、その他いろいろ。
パチンコや競馬などのギャンブルや、宗教活動、マルチビジネスなども、居場所ビジネスの側面もある気がする。

無料もしくは格安で過ごせる居場所、となると福祉的な意味で設置されている場所、老人福祉センターや子育て支援センター、最近クローズアップされている「第三の居場所」「子ども食堂」になるだろうか。
あるいは商業化していないサークルや、ネット上の匿名掲示板など。
「居場所=つながり、コミュニティー」が前提になっている活動と言えるのかな。

そこでふと思ったのだけれど、自分の場合は、居場所は欲しいけどつながりは欲しくない。
独身一人暮らしだと、職場くらいしかつながりがなかったりするけど、地方で家族がいたりすると、居場所はないのにつながりだけはやたらとある。しかも自分では取捨選択できないつながりばかり。もうお腹一杯です…

費用をかけずに、かつ「つながらなくてもいられる場所」となると、本当に限られてくる。
献血ルームがまさにそれ。
成分献血などは、事前予約しないとできないくらい人気だし、平日日中なのになぜかスーツ姿のサラリーマンが来ていたりする。

カフェのようなきれいな環境で、ジュースやお菓子が無料、漫画や雑誌も読み放題、血液検査で健康チェック、おまけに人のために役に立てました的な自己満足まで得られるとは言え、自分も含めてどうしてわざわざ献血に行くんだろう?と思っていたけれど、「居場所」目的と考えると納得がいく。

図書館やショッピングモールのフードコートで1日中過ごす高齢者を見かけると、お金をかけずに過ごせる老人クラブや同好会にでも行ったらいいのに、と思っていたけれど、やっぱり人とつながらずに過ごせる場所が欲しいのかもしれない。

献血自体は日本では無償行為だけれど、現実的には血液を売って、居場所を買っているといったところか。図書館も税金で運営されているわけだけど、かなりのコストがかかっていそう。
金銭が可視化していないだけで、ビッグビジネスなわけか。

「つながらなくてもいられる場所」は難しくても、「ゆるやかつながり」くらいの関係性で過ごせる居場所があったら、結構ニーズがありそうだなぁ。
というか、自分がそんな場所が欲しい…

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