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【未来小説】喜怒哀楽の値段

20XX年。AIの進化により、人類は労働から解放された。

国は社会保障の一環として、各企業に一定人数の雇用を義務づけた。
個人は名義上いずれかの企業に属し、給与という名目のベーシックインカムを一生涯もらえるようになった。

俺の所属する会社では、福利厚生としてメタバース上に仮想オフィスを設置している。
実際にはAIが自動的に業務を行っているので、出社の必要性は全くないのだけれど、暇つぶしと好奇心からきまぐれにリモート出社していた。

隣の席の新卒の山田さんという女性のアバターが結構好みで、無駄話をするのが楽しいという理由もある。
本名も実年齢も性別も、会話してるのがChatBotなのか実人間なのかも全く知らないけれど。

向かいの席の佐藤という男はちょっと苦手だ。
どうやら俺と同様に時おり本人が登場しているようで、アバターに要課金のブランドスーツを着せていたり、海外出張設定をしていたりするのが鼻につく。
山田さんと仲が良さそうな点も、気に入らない。

その佐藤が退職することになった。
そしてなぜか、出社最後の日にリアル飲みに誘われた。

佐藤が指定してきたのは、リトル江戸にある居酒屋だった。
バーチャル職場宴会には毎回アバターを参加させているけれど、同僚とリアル飲みに行くのは始めてのことで、何を着て行けばいいのかも分からない。
とりあえず早めに家を出て、レンタル服屋に寄った。

待ち合わせ場所がリトル江戸と言うことで、和装を提案されたけれど、無難なオフィスカジュアルにしてもらった。

指定された居酒屋にはだいぶ早めに着いてしまった。

最近はCGインテリア、ホログラム接客の店が多いのに、この店はインテリアは江戸アンティークもの、接客も和装したリアル人間だ。
相当お高い店なんじゃ?

メニューが書かれた壁の木札に目をやると、無人運営の居酒屋よりは高めだけれど、心配するほどの値段ではなかったのでほっとした。
ビールらしき麦酒という文字を見つけて注文する。

和装客には割引があるようで、レンタル服屋で勧められたちょんまげウィッグにすれば良かったかなと少し後悔した。

隣のテーブルは多国籍な顔ぶれ、和装好きのオフ会だろうか。うち2人はホログラム?よほど性能のいい翻訳イヤホンを使っているのか、皆が違う言葉を話しているのに大盛り上がりしている。
あの茶色の物体、タヌキ用アイテムだと思っていたけど、酒を入れる容器だったのか?

少しして現れた佐藤は、江戸の町娘の恰好をしていた。
仮想オフィスでのアバターは同期の男性設定だったけれど、中の人は女性で、俺より少し年上のようだ。

リアルでは初対面の相手とあって、少し身構えていたけれど、酔いが回ってくると会話も盛り上がった。

佐藤さん(女性だったのでさん付けにする)は、やはりたまに本人が登場していたそうで、オフィス内の事情をよく知っていた。

俺のお気に入りの山田さん、中の人はヨーロッパ在住の80代の男性で最近寝たきりの状態になり、時折奥さんの方が登場しているとか。
50代男性部長、中の人は佐藤さんと同世代の女性で、自分でコードをいじってわざとパワハラ上司設定しているとか。

ひとしきり盛り上がった後、佐藤さんの転職の話になった。

何でもずっとリアル出社に憧れてリアルオフィスを設置している企業に応募し続けて、ようやく採用が決まったのだそうだ。
そのリアルオフィスは昭和時代設定で、デスクは灰色のスチール製、通信手段は有線電話やFAX、リアル忘年会では男性は頭にネクタイまくんだとか。

「ポジションは年下の女性社員をいじめるお局OL。OLって上司にお茶を出したり、コピーとったりする仕事らしいんだけど。職場のいじめってどんなことしたらいいのかリサーチ中。お菓子外しとか?給湯室での陰口とか?」

佐藤さんは楽しそうに語ってくれる。

リアルオフィス設置ってコストがかかるし、そこまで本格的に昭和を再現しているとなると福利厚生の枠を超えている。
企業にとって何のメリットがあるんだろう?

佐藤さんの話によると、その企業は人間の感情データを集めて解析するビジネスをしているんだそうだ。
リアルな人間関係がどんな感情を引き起こすのか、物的環境は感情に影響するか、AIのシミュレーションとの間にズレがあるのかどうか。
人間の感情体験の売買は今やビッグビジネスになっているのだそう。

そういえばこのところ悩みもなく、ただただ平穏に過ごしていたな。
進学も就職も自動マッチングされて、成功体験もなければ失敗して泣いた経験もない。実家の親の小言も、ChatBotに応対させてスルーしている。
自分が最後に感情を揺さぶられたのは、何年前だろう?思い出せない。

「リアルな体験は今となっては入手困難になっちゃって。肉体労働は運動になって体にいいって人気が出すぎて、今じゃ20代しか採用されないみたい。このお店のスタッフさんなんて無給で衣装代も自腹なのに、応募倍率は10倍超えだって。昭和の通勤ラッシュ体験イベントに行ってみたら、ものすごい人出でホログラムなしでリアル満員電車が再現されてたよ。」

「苦労は買ってでもしろ」という古の諺を聞いたことがあるけれど、かつては苦労は無料だったんだろうか?現代では、苦労は買わないと経験できない。
喜怒哀楽、どの感情の値段が一番高いんだろう?
酔いの回った頭で、ぼんやりそんなことを考えていた。

それにしても、佐藤さんはどうして俺を飲みに誘ったのか?
まぁどうでもいいか。おかげで明日はいい二日酔い体験ができそうだ。


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