先入観の先入観

おばんです。6月ですね。6月の日照時間が長いの大好きです。大大大好きです。19時半過ぎにカーテンバサッと開けて日が落ち空がグラデーションになっているのを見て「気持ちーー」というのが最近の楽しみです。「暑いー」と暑いだけでテンション上がっているのと同じです。日が長いのがとにかく好きなんです、なんでだろう、、、そんななんでだろうの根源とは。

次回は先入観について書こうと思い下書きをしては辞めを2度ほどしてようやく書けました。前からどうしても先入観について書きたかったのです。

まずいきなりですが、いえ毎度のことなのですが愚痴ります。固定概念にとらわれたバカの一つ覚えが大嫌いなんです。過信にあふれてる人多いですよね。人の話からなにかを学んだり相手の事情や生い立ちを考慮する努力が無いので、常に話の中心にいたがったり自分がオチでありたがる。人を羨ましがる、人が評価されているの事に便乗する、自分の話したこと覚えてない。とにかく日常は知人であれ他人であれ嫌なことにあふれている。
僕はいつもこのようなことがあると『先入観を変えることはできないのか』と思います。先入観を変えることは成長においてとても大事で、行動を起こして得る収穫は先入観の上書きのこと。知的好奇心が高い人は常に固定概念を打ち破る新たなことに挑戦してる。

このような先入観が愚かなままの人とそうでない人について書こうと思っていた。嫌な人のことならいくらでも書けるし、僕自身先入観の上書きで良かったエピソードも沢山ある。だが1つの壁にぶち当たり、この投稿に時間がかかった。

『自分自身だって譲れない先入観はあるではないか』

僕の譲れない先入観を紹介します。
僕は女性の腋毛が苦手です。女性が何故そんなに体毛を剃らなければいけないのかわかりません。美しさの定義がいくつもあり、その1つに体毛を処理することがある。しかしながら処理するには手間も時間も使う。少しくらい手を抜いてもよいのではないかと思います。しかしながら腋毛だけは処理した方が絶対に良いと思ってしまうのです。なんて理不尽な考え方なのか。腋毛を処理する事が美しさに繋がる説明は全くできません。ただただ苦手なのです。

椎茸の刺身が全く理解できません。ちょっとお高い居酒屋などに行くとこういったことが起きる。トウモロコシ、茄子もそうである。生で食べて美味しい野菜は沢山ある、レタス、キュウリ、ネギ等々。生野菜代表に選ばれなかった野菜を生で食べても当然美味しくはない。しかしながら新鮮だから生で食べれるという口説き文句を付けるとたちまち美味しいと言って喜んで食べる人がいる。そもそも野菜は生で食べれるのに。トウモロコシも椎茸も虫の住み家なのに。

文章で(笑)を使ったことがありません。人生で一度も。そんな人間がwwなど解る訳がない。ダブリューてなんなんだと思いながら生きてきました。月日が経ちすぎて人に聞くに聞けなくグーグル先生に教えてもらいました。それまでwwは音量で動く棒がならんだゲージ(オーディオスペクトラムというらしい)だと思っていました。興味がないので。

このように僕自身変えられない先入観は山ほどあります。根拠や信念があれば説得できるかもしれない。しかしながら意味もなくなんとなくや、興味が無いから好奇心が湧かず進化しなかった先入観もあるということ。

今日があって明日があるというような言葉あるように、記憶が先ずるのか先入観が先ずるかはまだ分からないが、考えを変え新たな考えになる。先入観が記憶なのか、記憶したことが先入観になるのか、しかし先入観によって記憶もかわる。脳の事は説明できない。しかしこれだけ言えるのは、常になにか選択の連続に追われそれをいろいろな観点から見直さなければならない。なるべくは言い訳ばかりで変われない人間にはなりたくない。

最初に言った愚痴のような先入観による人との違いに不満を思うことは必ずある。これを変えるには『人に対して諦めることの先入観』を養うしかないのかな。バカにつける薬は無いので。

僕の中で諦める先入観でなんとなく腑に落ちたので今回書けました。
ちなみにここまで17回先入観って書きました。

読んで頂きありがとうございます。したっけ。


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