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愛なんか、知らない。 第5章 ④ミニチュアハウスの注文

「葵さん、ちょっと時間ある?」
 老人ホームでのワークショップを終えて片付けていると、スタッフさんから声をかけられた。
「葵さんにミニチュアハウスを作ってほしいって方がいて。入居者さんの息子さんと娘さんなんだけど。ちょうど今日、面会に来てるから、話を聞いてもらってもいいかしら?」
「あ、はい、もちろん、喜んで!」

 老人ホームでのワークショップはすっかり定着した。最初は一つのホームでやってたけど、好評だからって、系列のホームにも出向いてワークショップをするようになった。なんか、引っ張りだこみたいで嬉し恥ずかし嬉しい。

 今は3回のプログラムをつくって、それが終わったら新規の参加者で1回目から始めるという仕組みにした。1回目はお弁当、2回目はフルーツバスケット、3回目は和菓子。部屋に飾りやすいものを選んだんだ。

 参加者さんに「部屋に飾ってるのを見に来て!」と誘われて、部屋まで見に行くこともある。タンスの上やテーブルに大切そうに飾ってあるのを見ると、何とも言えない感情がこみあげて来る。私が、ささやかな喜びを与えてるかもしれないんだ、って。
 おばあちゃんが、自分で作ったミニチュアを嬉しそうに眺めていた光景を思い出す。

 片付けが終わったタイミングで、スタッフさんに招かれておじさんとおばさんが娯楽室に入って来た。
 おじさんは総白髪で眼鏡をかけた、何となく神経質っぽい感じの人。おばさんは一つに髪を結んで、なんかやつれてる感じがしてる。二人とも、表情が暗い……。
「こちら、海老原さん。お話を聞いてあげてくれる?」
 スタッフさんは忙しそうに部屋から出ていった。
 娯楽室の長テーブルに向かい合って座る。

「あなたが、ミニチュアを教えてるの?」
 おじさんが、私をじろじろと見た。
「あ、は、ハイ」
「ずいぶん若いんだねえ。学生さん?」
「ハイ、そうです」
「ふうん。学生さんがこんなところで、年寄りに教えられるの?」
「え、えーと、ハイ、そうですね、もう2年ぐらいになりますし」
「へええ、よく続いたね。ボケてるばあさんやじいさん相手に、大変でしょ?」
「えっと……」
「まあ、ボケてちゃ、何言っても分かんないから、ラクか」
 ハハハハと乾いた笑い声を立てる。

 な、なんだろう、この人。ずいぶん失礼な発言を連発してるんだけど。
 隣のおばさんは、俯いてて何も言わない。普通は、「そんなこと言わないの」って、たしなめるんじゃないかな?

「ええと、あの、ミニチュアハウスを作って欲しいって」
「そうそう。その件。うちの親父が先月からここに入って、元気ないから、自分が住んでた家をプレゼントしたら喜んでくれるんじゃないかって」
「ええ」
「そういう依頼、多いの?」
「え、ハイ、そうですね。け、結構多いです」
「へえ。いくらぐらいで作ってくれるの?」
 いきなり料金の話! 普通は、「こんな家を作って欲しい」ってリクエストから入るのに。

「えーと、それは大きさとか、手間暇のかかり方によって変わってきます。一部屋だけ作る場合もあるし、家全た」
「あーじゃあ、家全体を作ってよ。美由紀、写真持って来たんだろ?」
 人の話、遮りますか??? しかも、さっきからずっとタメ口だし。いや、いいけど。でも、失礼すぎない? いいけど。
 美由紀さんは、ハンドバッグから茶封筒を取り出した。
「これに、家の写真が入ってます」
 私の顔を見ようとしないまま、美由紀さんはおずおずと封筒を差し出す。

 封筒には家の写真が20枚ぐらい入っていた。外観の写真もあれば、部屋の中を撮った写真もある。
 写真にはお父さんとお母さん、子供二人が写っている。たぶん、昭和のころに撮った写真だろう。ブラウン管テレビも映ってる。

 あぐらをかいているお父さんの足の上に座っている、小学生ぐらいの女の子。これが美由紀さんかな。ソファに座って熱心に図鑑を読んでいる男の子が、目の前にいる失礼なおっさん、もとい、失礼なおじさんかな。このころは、こんなにかわいかったのに……。その隣に座っているお母さんは、優しそう。幸せそうな笑みを浮かべている。

 何気なく写真を裏返すと、キレイな字で「勝志 8歳」「美由紀 6歳」と書いてある。お母さんの字かな? ああ。こういうの見ると、愛されてたんだなあって分かる。

 依頼主さんの写真を、今まで何度も見て来た。それらには普通に家族の日常が映し出されている。それを見るたび、私の胸はチクっと痛む。
 私は、こんな写真はあんまり持ってない。私の小さいころの写真はそれなりにあるんだけど(たぶん、おばあちゃんが撮ってくれた)、お母さんやお父さんと一緒に撮った写真は少ない。
 家族旅行も何回か行ったけれど、ほとんど写真を撮らなかった。ホテルや旅館でも、二人はノートパソコンを開いたり、ケータイをずっといじっていた。私は一人で本を読んだり、テレビを観るぐらいしかすることがなくて。楽しい想い出があんまりない。
 こんな風に家の中で写真を撮るのは、家族仲がいいってことなんだろうな。

「本棚がたくさんあるんですね。これは書斎ですか?」
「ええ、父は教師だったので……高校の」
「そうですか。じゃあ、この部屋は再現したほうがいいですね」
 私はスケッチブックを取り出して、ざっと間取りを書いてみた。

「書斎は一階ですか?」
「いえ、二階です。二階のこの部屋。隣がお兄ちゃんの部屋で、向かいがお父さんとお母さんの寝室、その隣が私の部屋です」
「こんな感じですか? 本棚があるのはこの向きですか?」
「そうねえ、えーと、確かドアを開けたら両方の壁に本棚があって」
「そんなに細かく聞く必要ある? 適当に作ればいいじゃない」
 おじさんは呆れたように口をはさむ。

「い、いえ、でも、できるだけリアルに近い感じにしないと、お父さまも喜ばないんじゃないかなって」
「そうよ。他の入居者さんのを見せてもらっても、すっごく精密に作ってあったじゃない? あれがいいのよ。皆さん、ここのコタツでよく居眠りしてたとか、ソファに洗濯物が積んであるのがリアルでいいって話してたし」
「ハイハイ、好きにしてくれよ。オレ、ちょっと電話してくるから」
 おじさんはスマホを持って出ていってしまった。

「ごめんなさいね、お兄ちゃんが失礼なことばかり言ってしまって」
「いえいえ、大丈夫です」
 よかった。美由紀さんはいい人そうだ。お兄さんがいなくなって、美由紀さんの表情は心なしか明るくなった。
 美由紀さんに細かく話を聞きながら、間取りに書き込んでいった。

「階段や玄関の写真はないんですね」
「そういうのを撮ってる人もいるんですか?」
「ええ。っていうか、今住んでいる家を再現する場合は、あちこちを隈なく撮って画像を送ってくださる感じですね」
「ああ、なるほどね。もう、あの家には入れないしね……」
 美由紀さんはポツリと言った。

 私が首をかしげると、美由紀さんは慌てて、「他の写真もあるか探してみます。なかったら、そこは適当に作っていただいて構わないので」と言った。
「ハイ、分かりました」

「話、終わった?」
 スマホをいじりながらお兄さんが戻って来た。
「うん、大体話し終わったところ」
 お兄さんは座るなり、「それで、料金はいくら?」と聞いた。
「えっ、えっと……これを全部作るんだとしたら、10万円からになります」
「は? 10万円? そんなにかかるの? あなた、学生であってプロじゃないんでしょ? 取りすぎじゃない?」
「えっ、そんなことは……普段もその金額で」
「じゃあさ、一軒丸ごと作らなくていいよ。一部屋だけでいいからさ。それならいくら?」

「お兄ちゃん、二人で払うならいいじゃない」
 美由紀さんがちょっと強めの口調で言う。
「そういう問題じゃないんだよ。値段に見合った技術を提供してくれるかどうかが問題なんだよ。素晴らしい作品を作ってくれるなら、10万円だって払うよ? でも、ワークショップでばあさんたちが作ったのを見たけど、素人じゃん」
「あれは、素人のおばあさんやおじいさんが作ってるんだから、当然でしょ?」
 美由紀さんから突っ込まれて、お兄さんは言葉に詰まった。
「じゃあ、私が6万円払うから。それならいい?」
「ま、まあ、それなら……」

「そんなわけで、後藤さん、正式にお願いします」
 美由紀さんはペコリと頭を下げた。
「は、はい、分かりました」
「それで、いつごろ仕上げてもらえるんでしょうか?」
「そうですね、一軒家を作る場合は3か月ぐら」
「はあ? そんなにかかるの? そんなに時間がかかったら、親父が死んじゃうよ」
「お兄ちゃん、縁起でもないこと言わないでよっ」
 美由紀さんが目を吊り上げた。

「あ、あの、ワークショップとか、学校と並行して製作すると、どうしてもそれぐらいかかってしまうので」
「分かりました。父のためにも、急いで作ってイマイチのものになるより、時間をかけて完成度を高めてもらったほうがいいから、3か月でお願いします」
「はい、ありがとうございます」
 美由紀さんがまともな人でよかった……。お兄さんは面白くなさそうな顔をしてるけど。 

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