見出し画像

愛なんか、知らない。 第4章 ⑨はじめまして、同居人さん

「え? 何? 一人きりって、一人暮らし始めたの?」
 純子さんは手を止めた。
 その日は、純子さんのワークショップのヘルプに来てた。いつもお願いしてるスタッフさんが急病で来られなくなっちゃって、急遽私に声がかかったんだ。

 準備をしながらあくびばかりしてたら、「寝不足? 忙しいのにゴメンね」って言われたから、「いえ、最近、あんまり眠れなくて」って素直に言ったんだ。
「何か悩みでもあるの?」って聞かれたから、「今家に一人きりだから、怖くて眠れないっていうか」と答えた。そしたら、驚かれちゃって。

「いえ、一人暮らしじゃなくて……あ、一人で暮らしてはいるんですけど。お母さんが、家を出てっちゃって」
「何何何、どういうこと?」
「仕事をクビになっちゃって、怒って何もかもイヤになって、出てっちゃったみたいです」
「は? どういうこと?」
 お母さんがお父さんの会社で働いていたこと、そこで何が起きたのかを掻い摘んで話すと、純子さんは目をパチパチさせた。

「それって、いつごろの話?」
「三週間前です」
「三週間!? その間、葵ちゃん、一人でいたの?」
 私は黙ってうなずく。
「え、それで、お父さんは何もしてくれないってこと?」
「もう新しい奥さんと暮らしてるみたいで。奥さん、妊娠してるみたいだし」
「ええ~、そんなの関係ないでしょ。自分の娘のピンチなのに。毎日じゃなくても、週に何回か葵ちゃんの家に来ることだってできるじゃない」
「はあ……そういうことは考えてないと思います」
 純子さんはしばらく絶句していた。と思ったら、ぐいっと身を乗り出して、私の手をぎゅっと握った。

「葵ちゃん、うちに来なさい」
「え? え?」
「うちは、娘が結婚して家を出たから、部屋が空いてるの。そこでしばらく暮らしなさい。それなら、安全だから」
「え、いえ、そんなわけには」
「ううん、ダメダメ。女の子が一人で広い家に住んでるなんて、変な人に目をつけられたら、何をされるか分からないでしょ? 遠慮なんてしてる場合じゃないの。うちに来なさい。これは命令。ミニチュアハウス協会の理事としての命令です。なんてね」
 私は思わずじわっと涙ぐんでしまった。
「純子さん……」

「葵ちゃん、助けてほしいときは助けてって言っていいのよ。お父さんにも、ホントは助けてって言ってもいいと思う。もうお母さんとは他人だって言ってるお父さんには期待できないかもしれないけど。とにかく、今日は帰ったら荷物まとめて、うちに来て。うちの旦那に途中まで迎えに行かせるから」
「そんな、そんな」
「いいのいいの。旦那は定年退職して、毎日ヒマしてるから。ボランティア活動してるから、人助けが好きなの。旦那も葵ちゃんが来ることを絶対に喜んでくれるから」
「あり、ありがとうござ」
 もう最後まで言葉にできない。

 やっと安心できたって言うか。この三週間、ずっとずっと気持ちが張り詰めてた気がする。
 純子さんはハンカチに顔をうずめている私の頭を、優しくなでてくれた。まるで、おばあちゃんのように。
 おばあちゃん、いつも、私を助けてくれる人がいるよ。
 それで何とか、救われてるんだ。いつも一筋の希望の光を見つけられるんだ。

 純子さんの家は都内の郊外にある。
 そこから大学まで通うのは、中央線と武蔵野線を乗り継いだら、意外と時間はかからない。しかも、通勤&通学ラッシュとは別方向だから、満員電車が苦手な私でも何とかなる。

 純子さんも旦那さんの信彦さんも、すごくよくしてくれる。
 私がお手伝いするために台所に立つと、「娘が帰って来てくれたみたい」なんて喜んでくれて。いい人たち。ホントに。
 純子さんのアトリエは、物置を信彦さんが改造してくれたって聞いた。
「ここのものは好きに使っていいのよ」って言ってくれるから、私もアトリエで純子さんと一緒にミニチュアを作ってる。最高に幸せな時間。

 お母さんと一緒に、こんな風にミニチュアを作れたらよかったのにな、なんてチラリと思ったりして。
 純子さんからはいろんな作り方を教わって、ホント、贅沢な時間だなって思う。
 信彦さんはアトリエまでお茶を入れて持って来てくれたりして、ビックリするぐらい二人は仲がいい。お互いに尊敬しあって、いたわりあって、心から愛し合ってるのが分かる。  

 いいなあ。こういうのが、普通の夫婦なのかな。冗談を言い合って笑ってる二人を見て、私は心底羨ましかった。

 でも、いつまでもこの家でお世話になるわけにはいかない。
 お母さんがいなくなって一か月半が経ったころ、私は優が提案してくれたシェアハウスをやってみることにした。
 大学の掲示板に、「同居人求む」とデカデカと書いたポスターを貼った。元美術部の腕を活かして、アクリル絵の具でカラフルなポスターを作ったんだ。
「何、これ」
「同居人? へえ~」
 何人かが興味を示して読んでるけど、連絡してくる気配はない。
 まあ、そんなにすぐに見つかるわけないか。

 ところが。
 ポスターを貼って三日目に、今まで見たことのない番号から電話がかかってきた。

「ハイ」
「あ、あの、えっと、後藤さん、の電話ですか?」
「ハイ、そうです」
「あの~、学校で、貼り紙を見て」
「‼ ハイ、ハイ!」
「えっと、ちょうど、住む場所を探してて。一度、見学してもいいですか?」
「ハハハイ、もちろんです!」

 名前や連絡先を聞いて、ノートに書き留める。
 二宮こころさん、同じ一期生でマネジメント学部の人だ。
 電話ではボソボソと話す、ちょっと暗い感じの人だった。でも、そういう人のほうが、私はいいかも。パリピのような人が来ても、話は絶対に合わないし。

 チャイムが鳴って、私は玄関に飛んで行った。
 勢いよくドアを開けると、門扉の前に立っていたのは中学生の男の子だった。
 あれ。回覧板?
 って、一瞬思ったけど。
 中学生で金髪ってことはないか……な?
 長い前髪の間から、かすかに見える眼は落ち着きなくキョロキョロしてる。私がじっと見すぎてるのかもしれない。

「えと、僕、連絡した二宮です」
「あ、二宮さん」
 って。あれ? 僕??? でも、声は女の子だったよね? ってか、大学で募集したんだから、女の子しか見てないはずなんだけど。

 私が戸惑っているのが分かったのか、
「えと、A女子大のマネジメント学部の1期生です。一応、女です……」
 と、か細い声で自己紹介してくれた。
「あ、ああ、そそそうですよね、ごめんなさい、ちょっとビックリしちゃって。ど、どうぞ!」
 私は軽く混乱しながら心さんを家に招き入れた。

 身長は、私が160センチだから、150センチぐらい? 古びたパーカーにジーパン姿。体型もガリガリって言ったら悪いけど、かなり痩せてるし。これじゃ、男の子だって思うよね。
 心さんは大きなボストンバッグを肩から下げている。どこかに出かけた帰りかな?

「お邪魔します」
 軽く会釈して玄関に入った。
「あ、これ、どうぞ」
 小さな紙袋を差し出す。
「えっと、これは」
「あ、今日のお礼です。見学させてもらうから」
「そそそんな、気を使わ」
「あ、たいしたもんじゃないんで」

 グイッと差し出されて、私は「そ、それじゃ、いただきます」と受け取った。紙袋の中には焼き菓子の詰め合わせが入ってる。一応、気を使ってくれてるんだ。
「どうぞ、あがってください」
 スリッパを差し出すと、心さんはペコリと頭を下げてスリッパを履いた。

 どうしよう。一人目から、こんなわけの分からない人が来るなんて。こんな人、うちの大学にいたんだ? 金髪だったら、目立ちそうだけど。
 家に上がらせちゃったけど、いいのかな。
 私は不安でいっぱいになった。
 家に入ってもらう前に、断ったほうがよかったかも。急にお客さんが来ることになったから、また今度、とか適当に言い訳して。

「えと、今日は、ありがとうございます。急に時間を取ってもらって」
「いえ、そんな」
 一応、社会常識はあるのかな。なんて、偉そうなことを思ったりして。
 それにしても。見た目は派手だけど、ずいぶんシャイな人なんだな。目を合わせないし、私の顔を見ようともしない。声が小さすぎて、やっと聞き取れる感じ。

「ええと、どの部屋にするのかは、実はちょっと迷ってて。1階の和室か、2階のお母さんの部屋を貸そうかなって思ってるんです。和室から見てみますか?」
 心さんは小さくうなずいた。
 リビングの隣のふすまを開け、6畳一間の和室に招き入れた。
 仏壇以外に何もない、ガランとした空間。おばあちゃんは最期の数か月、ここで過ごしたけど、ベッドやテレビ台は、おばあちゃんの寝室に戻してある。ここでおばあちゃんが息を引き取ったって思い出すのはつらいからって、お母さんがそう決めたんだ。

「ここ、仏壇があるので、ちょっと怖いかもしれないですよね。仏壇は上の階に持って行くことも」
「2階の部屋って、洋室ですか?」
「え、あ、ハイ。洋室でベッドも」
「じゃあ、僕、ここがいいです」
「え?」
「和室がいいです。ベッドより、ゴロンって畳に寝っ転がれるほうがいいんで」
「そ、そうですか。えと、じゃあ、仏壇を」
「仏壇もそのままでいいです。僕、家ではずっと仏壇のある部屋で寝起きしてたんで。仏壇があるほうが心休まるって言うか」
「はあ」

 心さんは仏前の座布団にすっと正座した。
「ここには誰が眠ってるんですか?」
「あ、えーと、おばあちゃんとおじいちゃん」
「お参りさせてください」
 心さんは鐘を小さく鳴らすと、両手を合わせてしばらく黙祷する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?