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愛なんか、知らない。 第5章 ③ガクチカって何ですか?

「後藤さんって、インターンシップにはもう行ったの?」
 しばらく、私は話しかけられたことに気づかなかった。
「後藤さんってば」
 強く言われて、やっと気づいてノートパソコンから顔を上げた。
「え?」
「インターンシップに行ったの? って聞いたの」
 ここは臨床心理学のゼミの教室。同じ3年生の鹿島さんが、ムッとした顔をしていた。

「あ、ごめ、ごめんね、気づかなくて」
「いいけど。すごい集中力だね」
「あー、実験のテーマを何にしようか悩んでて」
「なら、私と同じチームにならない? 何人かで組んで実験するって言ってたし」
「え、あ、うん」
「今月中にテーマを決めればいいんでしょ? まだ時間があるんじゃない?」
「う、うん」
 そうなんだけど。ワークショップの準備とか、井島さんたちの教室とか、コンテストの作品のこととか考えることが多すぎて、早く決めちゃいたいんだよね……。

「それより、インターンシップは行った?」
「う、ううん、全然」
「そうなんだ。インターンシップはいくつも経験しといたほうがいいって先輩たちが言ってたから、私、1年の夏休みから行ってたよ」
「へえ、そ、そうなんだ」
「まだ行ってないなんて余裕だね。バイトしてたとか?」

 な、なんか、マウント取られてる気がする……こういう人、苦手だ。
「う、うん、まあ」
 長い休み中はワークショップとか教室とか、注文受けた作品作ってて忙しいからなあ。

「後藤さんは、ミニチュアを作ってるんでしょ? 老人ホームでワークショップやってるって聞いたけど」
 4年生の先輩がスマホをいじりながら会話に入って来た。
「えっ、どうしてそれを」
「高校時代の友達で、老人ホームで夏休みにバイトしてた子がいるんだけど、その子が後藤さんのことを何回か見かけたらしくて。うちの大学の子がワークショップでミニチュアのお弁当とか教えてるって聞いたんだよね」

「そ、そうなんですか」
「後藤さんのワークショップ、人気なんでしょ? 毎回、参加する人の枠があっという間に埋まっちゃうって聞いたよ」
「えっ、そうなんですか? 嬉しいです」
「講師をできるなんて、すごいね。そういう人、尊敬する」
 突然、先輩から褒められて、私は「えっ、いえ、そんな、そんな、たたたいしたこと教えてないし」とヒラヒラ舞い上がって、天井を突き抜けそうになった。

 鹿島さんは面白くなさそうだ。
「ミニチュアって何、それ」
「あー、樹脂粘土っていうのを使って、おにぎりとか卵焼きとか鮭とか作るの」
「それを後藤さんが老人に教えてるの? なんで?」
「子供の頃からずっとミニチュアの家とか作ってて、それで知り合いから老人ホームにいるお母さんにミニチュアハウスを作ってほしいって言われて作ったら、すごい喜ばれて。それで、そのミニチュアハウスを見たスタッフさんから、ホームでみんなに教えて欲しいって言われて」
「ふうん。すごいね」
 鹿島さんは全然すごいと思ってない口ぶりで言った。

「どんなの作るの?」
「えーと」
 私はスマホに入ってるワークショップの画像を鹿島さんに見せた。毎回、みんなが作った作品を写真に撮ってるんだ。
「へえ、こういうの教えてるんだ」 
 鹿島さんは自分から話を振っときながら、全然興味なさそうに画像を見てる。

「そんで、これってガクチカ?」
「え? が、ガクチカって?」
「なんだ、ガクチカを知らないの? 余裕~」
 鹿島さんは明らかに見下したような表情で私を見る。
「就活で学生時代に力を入れたことをアピールするのがガクチカ。そのために、こういうのを頑張ってるんでしょ?」

********************

「あ~、思い出すだけでムカつくっ」
 画面の向こうで優は朝食のトーストを頬張りながら、「確かにヤなヤツだね」と同意してくれた。優は髪をピンクに染めて、メイクも濃くなって、どんどん派手になっていってる。もう、どこに行こうとしてるのか……。

「葵はプロのミニチュア作家として、ずっとやってきたのに。就活のためだけにやってるんじゃないのにね。そういうことを理解してないんじゃない? その人」
「うん、そうだね」

「それで、相手にそう言ったの? 自分は仕事としてずっとやってきてるんだって」
「えっ。言ってないけど……」
「それは言わなきゃ。そういうヤツは黙ってたら、あれこれマウントしてくるよ? そういうの、めんどいじゃん」
「うん、まあ、そうだけど」

「なんで、大事なことをハッキリ言わないの?」
「なんでって……あんまり話したことのない人だし、これから一緒のグループでやってく人だし」
「そんなヤツと一緒のグループになる必要ないじゃん。何か理由つけて断りなよ。『私、あっちのグループの研究をやりたいから』とかさ。その人が葵と一緒にやりたがってるのは、面倒なことを押し付けたいからかもよ? 高校の時もそれで児玉とかにいいように利用されたじゃん。おんなじことを繰り返すのはバカバカしくない?」
「う、うん、まあ」

 児玉。呼び捨てか……。
 優は、ずいぶんキツイ言い方をするようになった。アメリカで、日本人で、しかも一人でやっていくのは大変なんだろうけど。でも、なんかイライラしてる時が多い気がする。

「葵は、いつも相手のことを気にしすぎて何も言わないけど、それって自分が損するだけだよ? バカにされたんなら、ちゃんと主張しないと」
「バカにされたってほどでは……」
「でも、尊重されてないんでしょ?」
「それは、まあ」
 あー、なんか、段々会話するのがツラくなってきた。私は無言で紅茶を飲んだ。
 優も、私が困っている様子なのに気づいたみたい。

「そういえば、私、豆本でビジネスしてるんだ」
「えっ? どういうこと?」
「ホラ、前から、友達のプレゼントにキーホルダーとか作ったら喜ばれるって話してたじゃない? せっかくだから売ってみようかってネットで販売してみたんだ。そしたら、あっという間に完売。ピアスにしたり、ネックレスにしたりしてるんだけど。今度、アクセサリーショップに置かせてもらえることになったんだ。小さいお店だけど」
「へ、へえ、すごいね」

「まあね。まさか、自分でもこんな趣味がビジネスになるなんて思わなかった! これでもっと稼げるようになったら、バイトしなくてもよさそう。あ、作品をアップしてるから、ブログを見てみてね」
「う、うん」
「あっ、もう、こんな時間。学校に行かなきゃ」
「あ、ごめんごめん。それじゃ切るね」
「うん、それじゃね」

 優はさっさとスカイプを切った。別れの挨拶をする前に。
 もう3年も会ってないのか。会ってない時間に比例して、どんどん距離ができていく感じ。もう住んでる世界が全然違う気がするなあ。

「って感じで、何かモヤモヤするんだ」
 私は、老人ホームのワークショップで使う曲げわっぱを作りながら、ぼやいていた。
 0.5㎜のバルサ材を楕円状にカッターで切って、竹皮でグルリと囲んで貼り合わせる。手間暇がかかるから、もっと簡単なお弁当箱にすればよかった……って今も思うけど、お年寄りには毎回好評だから、今更変えられない。ちゃんと蓋も作って、閉められるようにしている。

「優が豆本でビジネスしてるって聞いて、なんか心から喜べなくて。私が教えたのにって思っちゃって、心狭いよね、私」
「んなことないでしょ。教えてくれた葵に感謝の一言もないんなら、失礼な気がするよ」

 心は樹脂粘土の重さをスケールで計りながら、答えた。
 心がワークショップの準備を手伝ってくれるから、ずいぶん助かってる。今も一人一人が使う量に合わせて、粘土を切ってくれている。
「バイト代を払うよ」って言っても、「家に住まわせてもらってるお礼」って、無料で手伝ってくれる。ちゃんと家賃をもらってるのに。。。

 こういう作業をしながら心と話すのって、私にとってはホッとするひと時。
 高校の時の文化祭を思い出す。みんなでワイワイとミニチュアを作った、あの日々。私にはかけがえのない想い出だ。

「葵、優さんって人としばらく距離を置けば? なんか、優さんとしゃべった後、落ち込んでることが多いし」
「うーん、そうだね……」
 結局、高校時代の友達で今も続いているのは優だけだ。明日花ちゃんたちとは、もう全然連絡をとってない。それが寂しくて、優とは関係が切れないようにしてきたけど。
 今は一、二カ月に一回ぐらいしか話してない。それも、私から連絡したら優もスカイプに出てくれるぐらいで、優からはほぼ連絡ないし。

「でも、優の言うことも当たってるんだよね。ちゃんと相手に自分が何をしてるのかを伝えたほうがいいんだろうし」
「そりゃ、そうだけど。でも、大学のクラスメイトなんて、たまに雑談するぐらいの関係なんだから、仕事としてミニチュアをやってるってわざわざ話す必要、ある?」
「うーん、そうなんだよね」

 心も私と同じで、大学では友達がいないみたい。でも、施設にいた時の友達とは今でもつながってるみたいだし、バイト先で市原さんたちにかわいがってもらってるみたい。
 たまに、食堂で一緒になって、ランチを食べることもあるけど。待ち合わせて一緒に帰ることもないし、つかず離れずの距離感が、私たちには合ってる気がする。

「ま、僕も葵と優さんの関係は詳しく知ってるわけじゃないけど」
 そうだね。
 人生は出会いと別れを繰り返す。
 それは分かっているけど、優はこの間まで、一緒に悩んでくれた親友だったんだ。その関係がなくなっちゃうのって、なんか寂しい。

葵’MEMO:バルサ材は軽くてやわらかくて、ミニチュアでよく使われる木材です。本物の曲げわっぱのように木材を曲げるのは大変だから、側面は竹皮で作ってるんですね。底とフタだけバルサ材で作る、簡易バージョンの曲げわっぱです。

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