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愛なんか、知らない。 第7章⑨初めての夜、初めての朝

 翌週、圭さんにこれからのことを相談するために作業場に行くことになった。
 事情を説明すると、
「そっかあ。葵ちゃんも自分の仕事のほうが大事だし、そっちを優先して考えなきゃいけないよね。小説のカバーだしね」
 と、残念そうに言う。

「なんか、すみません。いろんな方法を考えてみて……たとえば、材料を持って帰って、家で作業して送るって方法もあるかなって」
「そこまで考えてくれたんだ。ありがとね。でも大丈夫? 小説のカバーのお仕事なんて、大きな仕事なんだから、そっちを落とすわけにはいかないでしょ?」
「それで、後はどんな作業をすればいいのか、確認したくて」

 この二カ月でバリ島のコテージはだいぶ形になってきてる。
 バリ島では藁の代わりに「アランアラン」っていう草を屋根に使ってるみたいで、圭さんはちゃんと取り寄せて屋根を作った。圭さんにそういうこだわりが復活して、ホントによかった。
 天井にはファンがついていて、籐のソファやテーブル、タンスが置いてあって。後はインテリアや観葉植物を作ったら、できあがるんじゃないかな。

「最近、手の震えが落ち着いてきたんだ。だいぶまともに作品を作れるようになったから、後は僕だけで何とかなるかも」
「ホントですか?」
「うん。葵ちゃんと会えなくなるのは残念だけど」
 何気なく言ったその一言に、ハートを撃ち抜かれそうですよ…。

「小説のほうはどんな作品にするの?」
 私はスケッチブックを圭さんに見せた。
「これです。『夜の音楽室』っていうタイトルにしようかなって」
「うわあ、いいね。これ、窓から月光が差し込んでるんだ」
「そうなんです。指揮者のユイカが主人公だから、指揮台を照らすようにして。譜面台には、指揮棒代わりに花を一輪置いて」

「素敵な発想だね! すごいよ、葵ちゃん、こんなのを思いつくなんて。さっすが、センスがいいよね。みんなの評価はどうだった?」
「南沢さんは、すごいすごいって連発してました。編集者さんは、このスケッチをそのままカバーにしてもいいぐらいだって、褒めてくれて」
「すごいじゃん! じゃあ、全集中で取り組まないと」
「そうなんですよお」
 圭さんにも褒められて、私はテンションが上がって体が熱くなった。

「じゃあ、今日はできるところまで作品を作っていきますね」
「ありがとう! 助かる~」
 それから、圭さんとおしゃべりしながら作業を進めた。
 私は籐の鳥かごとか、ロッキングチェアとか、圭さんが作るのは難しそうなミニチュアを作ることにした。圭さんはカーテンとかクッションを縫っている。
 井島さんから誘われて教室をしていることも、初めて話した。

「へええ、あの井島さんが。覚えてるよ、最初のころは毎回ワークショップに来てくれてたし。でも、全然上達しなかったんだよね。いつも雑に作って、それでも気にならないって感じだった気がする」
「うーん、手先が器用ではないんですよね。だから、いつも、何度もやり直さないといけない感じで。でも、途中で放り出すことはないですよ。時間がかかっても仕上げてます」

「へええ、葵ちゃんの教え方がうまいんだろうね」
「そんなことないですよ。うちの教室はもう3年もやってるから、自然と上達してるだけで」
「3年も同じ人に教え続けるなんて、それはそれですごいことだよ。僕は1回限りのワークショップだけだからさ」

 そっか。確かに、同じ生徒さんとずっと教室を続けるミニチュア作家さんって、そんなに多くないのかもしれない。私はそういうのが向いてるのかもしれないな。老人ホームのワークショップも、3回コースだと、参加者さんとそれなりにやりとりできるから楽しいけれど、一回だけだと物足りない感じがするし。

 来年の今頃は、私は卒業してる。1つの教室の人数を減らして、もっとがっつり教えるのもいいかもしれない。
 

 その日も、終電ギリギリまで私は作業をした。
「ありがとう、葵ちゃん。ここまでできたら、後は一人で何とかなるよ」
「ホントですか? もし必要な作業があったら、いつでも連絡くださいね」
「うん、ありがとう」
 私があたふたと帰り支度をしている姿を、圭さんがじっと見つめている視線を感じる。

「もう、会えないのかな」
 ふいに、圭さんはポツリと言う。
「え? え?」
 私は驚いて圭さんを見た。寂しそうな瞳の圭さん。
「なんか、ここで葵ちゃんを帰したら、二度と会えない気がする」
「え、え、そそそんなことないですよっ。手が足りなかったら、また手伝いに来ますし」
「でも、葵ちゃんはもう、売れっ子だからさ。もう僕のことなんか見向きもしないんじゃないかな」
「そそそそそんなこと、ない、ですですよ」

 なななんだろ、この展開。私の心臓は激しく高鳴る。鼓動が圭さんにも聞こえちゃうんじゃないかなってぐらいに。
 私は圭さんの顔を見れなくなった。
「それじゃ、しつれ」
 慌てて帰ろうとした時。
 圭さんはゆっくりと近寄ったかと思うと、ふいに背中からふわっと覆いかぶさった。
「っ……!」
 圭さんの腕が、私の身体をそっと包み込む。

「こんなセリフ言うの、どうかと思うけど」
 熱い息が耳にかかる。
「帰したくない」
 言葉が出ない。え、え、どうしよ、どうしよ。
「イヤだったら、言って?」
 圭さんのささやき声。
 イヤ? イヤなの?
 ……ううん、イヤじゃない。イヤなわけない。高校の時からの、ずっと憧れの人で。

「い、イヤなんかじゃ」
 やっと絞り出した声は、かすれてて。
 圭さんはフッと息を吐くと、私の首筋にキスをした。
「……っ!」
 身体に、電気が走ったようで。
「そんなに、硬くならないで」
 圭さんはそれから、私に正面を向かせて。しばらく見つめ合う。
 圭さんは、そっと私の眼鏡を外す。圭さんの顔が近づいて、私は目を閉じて、圭さんの唇を受け止める。

 ファーストキス。
 圭さんの唇はやわらかくて。
「葵ちゃん、好きだよ。ずっとこうなるのを待ってたんだ」
 私の髪を優しくかきわける、長い指。
 圭さんの右手は、いつの間にか私の胸に置かれていた。
「ホントにいいの……?」

 私は、小さくうなずく。圭さんはゆっくりとブラウスのボタンを外しはじめた。
 私は心のどこかで、「勝負下着を着けててよかった」なんて、現実的なことを考えてた。圭さんと会う時は、何かを期待してたわけじゃないけど、いつもお気に入りの下着を身に着けてた。よかった、変な下着じゃなくて。
 こんな時に、こんなどうでもいいことを考えちゃうなんて、全然、ロマンチックじゃないよね、私。圭さんと両想いになれたのに。
 両想い? そう、私は圭さんと。
 圭さんは慣れた手つきでブラのホックも外す。
 圭さんの手が、汗ばんだ手が、私の胸に。

 翌朝、私は見知らぬ場所で目を覚ました。
 自分の部屋とは違う部屋、自分のものではないベッドに、戸惑いながら体を起こす。  
 自分が裸なのに気づいた。
 そっか。私、昨日、圭さんと。
 ここは圭さんの部屋だ。
 シングルベッドとクローゼットがあるだけの、殺風景な空間。
 ここで、圭さんと結ばれた。

 セックスするのは初めてな私に、圭さんは何度も「大丈夫だよ」「怖がらないで」と囁いて、私の中に優しく入って来た。ちょっと怖くて、ちょっと痛くて、私は圭さんに必死にしがみついてた。
 気持ちいいかどうかなんて、分かんない。体を見られるのが恥ずかしくて電気を消して欲しいって言っても、「どうして? キレイな肌だよ」と圭さんは私の身体に舌を這わせた。
 思い出すだけで、顔が熱くなる。
 私が、こんな朝を迎えるなんて。それも、圭さんと。まるでドラマみたい。

 隣の部屋で物音がする。
 ベッドの周りに散らばっている服や下着を身に着けて、ドアを開けた。とたんに、コーヒーのいい香りがふわっと鼻をつく。
「おはよう」
 ジャージ姿の圭さんは、コーヒーを飲みながらミニチュアを作っていた。

「お、おはようございます」
 うう。どんな顔をすればいいのか、分かんないよ。
 圭さんは笑顔で私に近寄ると、おでこにキスした。
「コーヒー淹れるね」と、キッチンに消える。

 あ、普通、こういうのって女の子がコーヒー淹れたり朝ご飯作ったりするんじゃなかったっけ? でも、ここ、圭さんの家だし。
「あ、朝ご飯作っとくから、シャワー浴びてくれば?」
 キッチンからひょこっと顔を覗かせる。
 今日は学校に行かなきゃいけないことを思い出した。家まで帰ってる時間はさすがにない。お言葉に甘えてシャワーを浴びることにした。

 バスルームの鏡を見ると、夕べ圭さんに愛された裸の私が映っている。
 胸元に、赤いあざのような……あ、これ、キスマークってやつ!?
 私に覆いかぶさる圭さんの顔を思い出して。
 変な声が出そうになって、慌てて蛇口をひねった。
 バスルームにあるのはメンズのシャンプーやボディソープ。なんかひんやりしてヒリヒリするけど、圭さんと同じものを使ってると思ったら、それだけで嬉しさと恥ずかしさが同時にこみあげて来る。

 それにしても。私は圭さんと何を話したらいいのか分かんなくて焦ってるのに、圭さんはいつも通りだ。
 それだけ、大勢の女の子とつきあってきたってことだよね。
 圭さんがガラス戸をノックして、小さくドアを開けた。

「葵ちゃん、ここにタオル置いとくから、よかったら使ってね。後、この辺にドライヤーとか化粧水もあるから、使って」
「あ、ありがとうございます」
 さすが圭さん、何から何まで気が利く。
 ドライヤーで髪を乾かして、化粧水も使わせてもらう。これ、私が使ってる化粧水より、高そう……。

 リビングに行くと、ハムエッグとトーストとコーヒーという、絵に描いたような朝ご飯が作ってあった。
「さ、食べよ」
「は、はい」
 小さなテーブルで向かい合って、圭さんと朝食を食べる。
「いただきます」
 圭さんはきちんと手を合わせてから、フォークを手に取る。
「僕は半熟が好きなんだけど、葵ちゃんは半熟でも大丈夫?」
「あ、ハイ、私も半熟が好きです」
 圭さんは苦笑した。

「つきあってるのに敬語は変だよ。普通に話そ?」
「あ、はい、あ、えと、うん」
 目玉焼きの焼き加減は絶妙で、私よりも上手かもしれない。。。
 圭さんは、トーストにたっぷりとイチゴジャムを塗る。へえ、意外。甘党なんだ。
 これから、誰も知らない圭さんの顔を、私はたくさん見ていくことになるのかもしれない。
 そう思うと、なんだかこそばゆい気持ちになった。

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