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ダイビングのプロフェッショナルとして1/3章

 前回までダイビングの仕事をしようと思ったきっかけを綴りましたが、今回からは3編にわたり「プロ」として書き留めていきます。もし共感頂いたり挑践することのヒントになればうれしく思います。

【上達していく喜びと認められる嬉しさ】 
 1998年4月「ブルーアース21くまなん」へ入社。今まではお客様として通っていた店舗であるがとても新鮮な気持ちで店舗へ足を踏み入れたことを今でも覚えている。

 当時は熊本県内でも約20店舗は同業者がある時代で、週末になるとホームゲレンデとなる「妙見浦」がダイビングスクールのお店だらけで駐車ができなる位、どこのお店も賑わっていた。
 私に与えられた任務は
・ダイビングに興味ある方を探し体験ダイビングを勧め
・ダイビングライセンスを取得するアシスタントを務め
・ライセンス取得後天草の海へ多く潜って上達し世界の海へ潜れるダイバーへ導く

 これが最初の仕事。

 まだプロライセンスを持っていない身であり【とにかく経験値を増やす】のが急務で毎日のように天草の海へ出かけて行っていた。

 朝6時に起床し7時に熊本市内を出発、潜り、往復運転をして、夕方店に戻ってからは提携先の温水プールで講習するか、学科講習。
 何もないときはお客様を店舗に招き食事会をするか街へ出向き飲み会へ参加して営業活動。

 帰宅するのは夜中1時過ぎ、時には店前に車を停め海出発まで車中泊もよくあるような生活。
 それでも、海から上がってきて「楽しかった」お店に戻ってきてから「充実した一日を過ごせたといってもらえるのがとにかく気持ちよかった

 周りからは「いつ寝ているの?」と心配されていたが、不思議と疲れは無い。

 とにかく「上手くなりたい=認められたい」という気持ちが強かった。

ここまでの中での学びは
・好きなことを夢中になっている時は時間が足りなくなると感じる
・承認欲求(認めてもらう)為に、人は全力を尽くせる
ということである。

【ダイビングのプロ資格取得で味わった悔しさ】
1998年冬のこと

ゆいまーれ石垣島 江口和也
RayReef/レイリーフ西表島 川満学
エバーブルー屋久島 前田豊

こちらの3名はインストラクター養成のコースでの同期で、現在もオーナー兼ガイドとして現場で活躍している。

 当時のインストラクター資格は「最愛の人を任せることができますか?」

このコンセプトのもと、現代の講習ではありえない(当時の講習は改めて書き綴ります)トレーニング内容でした。しかし同じ期間を力を合わせながら約2週間の訓練を終え、最終試験へと臨みます。

最終試験は学科テスト、限定水域、レスキュー、オープンウォーターと4つの内容で構成されておりすべて口述や実技があるのですが全て順調にクリアしていきました。

そして結果発表

私だけ「条件付き合格」...。

 条件付きとは1科目だけクリアできない項目があり、次回の試験でそれをクリアすれば正式にインストラクター活動を開始できるというものであり、何が悪かったのかを試験官へ詰めよりました。

 私に足りていなかったのはオープンウォーターでの実技で「安全管理」が認めれらなかったという理由でした。結果は覆るものでもないので、この試験での全員合格を私のせいで果たすことができず、石垣島の桟橋で1人涙流しながら一夜を過ごしたことは一生忘れられない思い出となりました。
(前田君、めだか、まなぶ、板倉さん本当にゴメンね)

※ここで完全合格できなかったことが私にとってのプロとして誰よりも
「安全で楽しいダイビング」をグループコントロールしながら取り組めるようになったことに繋がります。

翌年3月無事条件部分もクリアして正式なインストラクターとしての活動が始まりました。



つづく

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