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三者三様

同じ時同じ所を旅しても見る風景は三者三様
(おなじとき おなじところを たびしても みるふうけいは さんしゃさんよう)

同じ時同じ世界に暮らしても思うところは三者三様
(おなじとき おなじせかいに くらしても おもうところは さんしゃさんよう)

同じ時同じ家族に生まれても運の行方は三者三様
(おなじとき おなじかぞくに うまれても うんのゆくえは さんしゃさんよう)

子供の頃からずっと抱えている疑問なのだが、自分が見ている世界は他の人にも同じように見えているのだろうか。例えば目の前に卵があるとする。丸っこくて白い物体だが、それを他の人も自分と同じように知覚しているのだろうか。そして、その卵の本当の姿は、自分が見ている通りのものなのだろうか。自分の目と脳の間のやりとりが、他人のそれと同じなのか。自分は他人の知覚を窺い知ることができないので確かめようがない。

一昨年、『ケーキの切れない非行少年たち』という本がベストセラーになった。買ってはいないのだが、書店でパラパラとめくってみて、「ほら、やっぱり」と思った。人が見て感じている世界はその人なりのもので、たぶんバラバラなのだ。それが社会の多数派からズレていて、社会との間に利益相反を起こすほどの人が「犯罪者」とか「精神異常」とされて社会から排除されている。「ケーキを三等分」の意味が理解できないのではなく、理解の内容が多数派からずれているということなのだ。おそらく、この本を読んだ人は、ケーキを三等分できないことを他人事のように思うだろう。しかし、誰一人として自分と同じ世界を見ている人はいない、くらいに考えてちょうど良いのが現実だと思う。


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