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1985年2月21日 マハーバリプラム日帰りツアー

マハーバリプラム(Mahabalipuram)への日帰りバスツアーに参加するため、朝5時に起きて観光局前へ行った。寝坊するといけないと思い、予約は入れなかった。あいにく政府観光局主催のツアーは満員で参加できなかったが、「捨てる神あれば拾う神あり」というわけで "KING TOURS & TRAVELS" という民間のツアーが拾ってくれた。料金は40ルピー。バスは一見したところ普通の大型バスだが、エンジンが運転手の隣にあるため、その分客席が少なく、40人程度しか乗れない。こちらのバスもほぼ満席だったが、どうも外国人は私だけのようだった。私はいかにも飛び入りらしく、一番後ろの列の真ん中の席をあてがわれた。バスにはビデオがあり、出発直後からアクション映画のようなものが始まった。みんな、子供のように恍惚として画面に見入っていた。その様子は滑稽でもあり、不気味でもある。このくそ暑い中、エアコンもないのに、画面がよく見えるようにカーテンを閉め、音声が聞こえるように窓を閉めるという入れ込み方なのである。確かに、私にとってはこのようなツアーは初めてなので興味深くはあるが、ヒンズー語だか何語だかわけのわからない言葉で演じられているビデオを見ながらひたすら暑さに耐えるというのは難行苦行でしかなかった。

乗務員は運転手の他に3人おり、場所の説明や集合時間を乗客に説明する者、バスがバックする時などに合図を送る者、なんだかよくわからない者というように役割分担が決まっているようだった。停車地が近づくと、陸上競技選手のエドウィン・モーゼスに似た乗務員が立ち上がり、乗客に向かって
"Place, ○×△."
などと言うのである。最初の停車地は Sculpture garden で入場料が10ルピーとのことだった。手持ちの金があまりなかったのでここはパスすることにした。結局、乗客の半分ほどが私と同じように Sculpture garden の前でバスから降ろされ、残りの半分の乗客が見学を終えるまで門の外で待つことになった。みな、道端に腰をおろして思い思いにぼーっとしていたようだ。あたりには、この庭園以外に何もなく、目の前には今通ってきた道とその向こうには空き地が広がるというところなのでぼーっとする以外にやることがないのである。

1時間ほど待ったところでバスが帰ってきた。まずは置いていかれなくてよかった。次の停車地はワニ園であった。ここは入園料が1ルピーだったのでなかに入ることにした。入り口のところで椰子の実をピラミッドのように積み上げて売っている少年がいる。結構、マドラスの町中でも同じような光景を目にして気になっていたのでひとつ買ってみることにした。売り子の少年はその山の中から一つ取り上げると大きな鎌のような刃物で器用に外の皮を削ってゆく。果汁の詰まっているあたりにくると手の動きが慎重になり、ちょうどストローが刺さる程度の小さな穴をあけ、ストローを刺して差し出してくれた。大味でさっぱりしており、水代わりに飲めるような味だった。飲み終わった椰子の実を売り子の少年に渡すと、彼はそれを豪快に半分に割り、皮の一部をスプーン状に削ってくれた。これで椰子の実の内壁を削って食べるのである。白く弾力に富んだ内壁は固いヨーグルトのような食感で、冷たくておいしかった。この椰子の実は2ルピー20パイサであったが、小銭の持ち合わせがなく、2ルピー札と1ルピー硬貨を渡すと売り子のガキは "Just price" とぬかして釣り銭をよこさなかった。ところでワニ園はつまらないところだった。

さて、いよいよマハーバリプラムである。ここはマドラスの南約60kmに位置し、7世紀ごろには交易の中心として栄えたそうである。ここの海岸寺院は当時の繁栄の名残で、もともと7つ並んで建っていたそうだが、現在はそのうちひとつだけがかろうじて残っている。「かろうじて」というのは、この現存する寺院も風化が進んでおり、嵐や地震がくれば容易に崩れ落ちてしまいそうなのである。それでも、ここは東京のインド政府観光局で手にいれた観光パンフレット "Discover Madras and the South" の表紙を飾っているほどの場所であり、多くの観光客を集めて7世紀とはまた違った繁栄をしている。

バスが海岸近くの駐車場に停まると、乗降口に物売りやバクシーシー(喜捨)を求める者が殺到する。商品はリスの剥製、鞄、サングラス、アクセサリーの類など様々であるが、「マハーバリプラム名物の」というような物は無かった。

バスのなかも暑かったが外も暑い。みんなの後について海岸寺院へ歩いて入る。「寺院」というより、「寺院の名残」のようなものである。様々の彫刻が施された大小の四角錐の仏塔で、中はそれほど広くない。寺としてはすっかり荒れてしまって、もっぱら観光スポットのようになっているが、きちんとお供え物はあがっていた。私の乗ってきたバス以外にも数台の観光バスから観光客が吐き出されており、白人も少なくない。寺院のなかで私の前を歩いていた白いノースリーブの白人女性の肌は日焼けで赤く腫れ上がっていて、そういう痛々しさのようなものにも南国を感じてしまった。

この海岸はマドラスと違ってドブ臭さもなく、水もきれいであった。スニーカーを脱いで少し海に入ってみると、冷たくて気持ちのよい感触がしてなんだかほっとした。なかには服まで脱いで泳ぎ出す人もいて、海岸の砂浜にはそういう人たちの服が点々としていた。

海岸寺院の他にも、ここには岩をくり貫いて造った寺院(Ratha)や「アルジュナの苦行(Arjuna's Penance)」という高さ15メートル、幅30メートルの岩に神々や動物を彫り込み、ヒンドゥー教の神話を体現したものなどがあった。残念ながらこれらをじっくり見る時間はなく、間もなくバスの出発時刻となってしまった。

次の休憩でバスが停まったところには果物の屋台がたくさん出ていたので、その一つでバナナを買ってみた。4本で1ルピーだというので、言われた通りに金を払うと売り子の少年は「してやったり」というような顔をした。マドラスの町中では2本とか1本で1ルピーだったので自分としては安いと思ったのだが、実はもっと安いようだ。さっそくバナナを頬張りながらその辺をうろうろしていると物乞いの子供が寄ってきたのでバスの他の乗客が集まっているあたりに避難した。今度は同じツアーの客でハイデラバード(Hyderabad)から来たというおじさんが私が肩にかけていたバッグに関心を露にし始めた。私が持っていたのはごく普通の黒いパラシュート・バッグだったのだが、確かにこちらではあまり見かけないデザインではあった。おじさんはここの物売りから黒いビニール・レザーの手提げ鞄を買いしきりに私のバッグと比べていた。

この後、いろいろな意味で待ちに待った昼食である。それまで写真でしか見たことがなかったが、実際にバナナの葉を皿代わりにして食事を頂くことになった。まず、食堂の片隅にある流しで自分の手をよく洗う。インド料理は自分の手で頂くのであるから、この食前の儀式は大変重要である。尤も、石鹸は使わない。そして、威風堂々と自分の席につく。すると、カップ1杯の水と半分に折ったバナナの葉がテーブルの上に置かれる。おもむろに葉を開き、カップの水を少しずつ使って葉の表面を軽く流す。葉の上に残った水は当然のごとくに床の上に捨て、改めて自分の前に葉を広げる。間もなく、ご飯の鍋を持った者、カレーの入った鍋を手にした者、ヨーグルト(こちらでは「ダヒー」という)の入った容器を持った者が入れ替わり立ち替わりやってきて、葉の上の所定の位置にそれぞれの料理が並べられるのである。ご飯とチャパティーが盛られたところで、数種類のカレーの小鍋を持った給仕がやってきて、客に何かを尋ねながら鍋のカレーを配っている。どうもカレーの好みを聞いているらしい。私はそんなこと聞かれてもどのカレーがどういう味なのか皆目わからないので、なんと答えたらよいだろうかとドキドキしながら待っていた。給仕が私のところに来たとき、絶妙のタイミングで私の隣の席のおじさんが給仕に指示を出し、めでたく私のバナナの葉にはカレーが3種類ほど並べられた。なんとなくほっとして、隣のおじさんに目をやると、わずかに微笑んで頷いた。結局、私はたた食べるだけだったが、食べ方がよくわからない。なんといってもこのような食事は生まれて初めてである。まわりの人たちがするように、自分もご飯とカレーを手で混ぜながら食べる。味は辛いという以外によくわからない。とにかく辛い。こう辛いと水が飲みたくなる。生水は危険などと言っていられなくなる。みんな平気で飲んでいるのだから自分も大丈夫だろう、、、などと考える間もなく手は水の入った大きなグラスを口にはこんでいた。でも、やはり不安である。日本から持参した正露丸はインドの水あたりにも効くだろうか、「下痢」を英語でなんというのだろうか、などと様々なことが頭のなかに浮かんでは消え、浮かんでは消えしている間に、目の前のコップの水は空になっていた。食事が辛いせいか、カレーを食べた後に口にしたダヒーは美味に感じられた。

食べ終わって席を立つ時、やはり給仕にチップをあげなくてはいけないのである。しかし、このとき私は適当な小銭の持ち合わせがなく、どうしようかと思っていた。席を立とうとした将にその時、またまた隣のおじさんが私の方にそっと20パイサ硬貨を持たせてくれた。その硬貨を近くにいた給仕に渡し、隣のおじさんに礼を言うと、おじさんはやはり静かに微笑んだ。この後、食堂の片隅にある流しへ行き、手を洗い、口を濯いで外へ出る。外では、黒い鞄を買ってしまったハイデラバードのおじさんからココナツパウダーというものをひとつまみもらって口の中へ放り込んだ。これは食後に口臭を消すためのものだそうだ。おじさん曰く "The smell of your mouth make sensation."

このあと、バスはカンチープラム(Kanchipuram)へ。ドラヴィタ様式と呼ばれる大きな塔のような門のある寺院を見学した。当たり前なのだが、寺院というところは神聖なところなので土足厳禁なのである。その大きな門のなかでは坊さんが1足10パイサで客の靴を預かっていた。ばかばかしい出費とは思いながらも中へ入るには金払って靴預けるしかないのである。門のなかから境内に眼をやると石畳の回廊が青空の下に伸びていた。炎天下にさらされた石畳の上を素足で歩くのは熱いどころではない。まるで舞いを舞うように、いや無様に飛びはねながら歩くことになってしまった。ふと周りを見れば、みんな平気な顔をして歩いている。足裏の皮膚が違うらしい。私はとても寺を見て回る気持ちになれず、日陰に腰をおろしてぼんやりと門の巨大な塔を見上げていた。

すると、日本人らしい青年が近づいてきた。どちらからともなく「日本の方ですか」ということになった。彼は今朝、私が乗り損なった政府観光局のツアーのバスでこちらへ来たそうだ。インドには北から入り、南下の途中とのこと。私はこれから北上するので北の様子をいろいろ尋ねた。彼は2月はじめからインドを旅しており、北部ではまだセーターが必要な陽気だったそうだ。あれこれ話をしているうちにバスの出発時刻が近づいてきたので、寺の外へ出て、バスの近くでジュースでも飲もうということになった。寺の前には数軒のライムソーダの店が並んでいた。そのなかで、一番冷えたソーダを出してくれそうなところを選んで一杯注文した。これは、コップに氷を入れ、ライム(インドの人たちは「ニーンブ」と呼んでいた)を絞り、"Limca" という瓶入りの炭酸飲料で割ったものである。一杯1ルピーと手頃である上に爽やかでおいしい。ふたりでライムソーダを飲みながら話をしていると、次から次ぎへと物売りが近寄ってきた。革製のサンダルは1足5ルピーと言っていたが、ライター3個でもよいという。いらない、と断るとライター2個に値下げした。しっかりした作りのものであるように見受けられたので、少し心が動いたが、特に必要もなかったので結局買わなかった。この時初めて、100円ライターが貨幣として通用することを体験した。そうこうするあいだにバスの発車時刻となり彼とは別れた。

次ぎの停車地も寺院だったが、暑さで観光意欲がすっかりなくなり、バスのなかでぼーっとしていた。バスのなかではタイ人かと尋ねられた。確かに私の顔は南方系だし、単独行動だし、「こいつ何者だ?」という好奇心が湧くのは当然だと思う。

ところで、同じバスに乗っているインドの人々と話をしていて感じたことだが、こちらでは政府やその関連組織に勤務していることがある種のステイタスらしい。そして聞いていた通り、自分のカーストに対する誇りのようなものが非常に強く伝わってきた。インドの街を歩いていると、それこそ人々の生活の様はピンから切りなのだが、それぞれに生き生きとしていて私のような異邦人すら元気づけられてしまうようなところがある。その背後には、みんながそれぞれに自分の依って立つものをしっかり持っているからであると感じたのだが、どうだろうか。

バスツアーは無事終わり、マドラス中央駅の前でバスを降りた。次の移動のことを考えようと、鉄道の予約カウンターの下見をすることにした。駅の敷地に入り、駅舎を正面にして向かって左手に工事中の中層ビルがある。看板によると、このビルが出札窓口であるらしい。今日は金の持ち合わせもなく、行き先も決まっていないので、出札口の場所だけ確認して宿へ帰ることにした。

駅前に出ていた果物の屋台でパイナップルを買った。小さいけれど、いい色つやで甘い香りがした。値切ったけれど、結局8ルピー以下にはならなかった。でも、訳もなくどうしても食べてみたくて買ってしまった。屋台のオヤジがサービスだといって葡萄をひと掴みくれた。皮がうすくて、甘くおいしい葡萄だった。このまま、オートリクシャーを拾って夜の街を宿へ急いだ。勿論、今回はメータチャージである。

宿に戻ってから、今朝、バスを待っているときに土産売りから買った絵はがきを書いた。

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