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土井善晴 中島岳志 『料理と利他』 ミシマ社

料理は人の生活の中の自然だと思う。料理は台所や調理場での行為だが、植物であれ動物であれ食材を通じて地球全体と繋がっている。料理をしようと、食材を探し求めて選ぶ。植物であれ動物であれ、目の前のものを見て旨そうだと直感する。「食」はすでに始まっている。それは食べるものに対する姿勢だけでなく、付き合う相手を見る時の感覚にも通じているはずだ。

料理をするのにレシピを必要不可欠とし、食材はそのものを見るよりも包装に表示された文字情報に依存し、旨いか不味いかまで自分では判断できずにレシピの評を自分の判断とする。何事にも「正解」があると思い込んでいるのか、自分で物事を判じる能力が欠如しているのかわからないが、そういう人もいるらしい。

家電製品の普及で家事労働はかつてとは比べものにならないくらい軽減され、情報処理機器や通信能力の向上で賃労働の作業効率も格段に上昇した。さぞかし生活にゆとりができて人々が生き生きと幸せそうに暮らしているのだろうと思いきや、オメデタそうな人ばかり増えたような気がする。私の周囲だけのことなら良いのだが。

とくに子供たちにとっては、手料理というようなものを食べるという経験が未来への想像力、イマジネーションをはたらかせるというかね、あるいは、「この人こんなこと言うてはるけど、さあ、ええ人かどうか」っていうようなね、いわゆる直観力みたいなものを育むものだということ。目に見えないものをはたらかせる力、いわゆる健康のため栄養のために食べるという以上のものが、料理をして食べることのなかには生まれてくる、ということですね。(45頁)

土井善晴 中島岳志 『料理と利他』 ミシマ社

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