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1985年2月23日 マドラスからバンガロールへ

ようやく太陽と悪臭の町マドラスを去る。あまり良い印象はないが、どんな町であれ私にとって初めてのインドである。忘れ得ぬ町になることは確かであろう。路上生活者の群、屋台の下の犬の死体、地下道の階段にころがっていた路上生活者の姿、駅前の食堂のオヤジの笑顔、白人観光客の赤く腫れ上がった肌、毎日部屋に来てはたいした仕事もせずにチップだけはしっかりせびり取っていった便所掃除人、椰子の実の味、アルメニアン通りの銀行員、バナナの葉で食べたターリー、最初の晩に宿探しの途中で飲んだラッシーの味、宿代の精算をしている間に私のカバンを振り回して遊んでいた Hotel Itta の女の子、どれも深く脳裏に刻み込まれていることだろう。

マドラス中央駅には列車の出発時刻の2時間前に着いた。列車を待つ間、ぼんやりと行き交う人々を眺めていた。駅には、街の多様性が凝縮されて、まるでひとつの世界のようにそこにあった。さまざまな階級、職業、宗教、そして恐らく人生が幾重にも織りなす世界である。どことなく上野駅に似た雰囲気もあるが、そこで展開されている世界の深さはとうてい比較にならないのである。

列車がホームに入ってくると二等車はすぐに席が埋まってゆく。一等車も発車10分前位には満員になった。インドの長距離列車は各車両が独立しており、車両間を通り抜けることができない。灼熱の太陽光を避けるため、窓は小さめで、無賃乗車を防ぐため、その窓には鉄格子がはまっている。指定席については、各車両の入り口に藁半紙にタイプ打ちされた乗客名簿が貼りだされ、乗客は自分の切符に打たれた番号と乗客名簿の番号とを照合して列車に乗り込むのである。

私が乗るはずのバンガロール行きの列車に貼られた乗客名簿に私の名前も切符の番号もなかった。車掌に切符とパスポートを見せて交渉したら、彼が席を確保してくれた。予約で満員の車両のはずなのに、何処からともなく空席が出てくるのが不思議だった。

12時30分、列車は定刻通りマドラス中央駅を後にした。程なく町並みが田園風景に変わり、後はそのまま単調な風景が続く。水田が多いが時折ココナツ林が現れたりする。潅漑用のため池で牛が水浴びをしている。エアコンのない車両には開け放たれた窓から外の熱気が飛び込んでくる。天井では扇風機が力強く回転していたが、熱い空気を撹拌するだけである。暑さを通り越した熱さと単調な風景が何時間も続くのである。

列車が駅に着くと、そんな単調さが嘘のようにたちまち喧噪と雑踏の寸劇が始まる。鉄格子の窓の向こうをコーヒー売りが通り、イッドリという饅頭のような食べ物の売り子が通り、豆売りもバナナ売りも通る。ホームにある水道には手に手に水筒や空きビンを持った乗客が群をなす。銅鑼が鳴り、汽笛が鳴って列車が動き出すと、すべてが元に戻る。物売りは列車から離れ、乗客は動き出した列車に次々に飛び乗ってくる。列車にそのまま残って営業を続ける物売りもいる。ココナツの車内販売もあった。私も Jolarpettai という駅でコーヒーとミルクを買った。コーヒーはマドラス駅で飲んだのと同じく、底に "Southern Railway" のマークがはいった小さなポリカップに入っていた。値段も同じ90パイサ。ミルクは清涼飲料の空きビンに詰められており、沸かしたものなのか、搾り立てなのか、単に日向に長いことおかれていたのか、温かかった。このミルクはこくがあってたいへんおいしかった。

Jolarpettai という駅を出て間もなく、列車は激しく汽笛を鳴らしながら急停車した。もともとあてのない旅だし、列車が時刻表通りに運行されることなど期待していないので大して気にもならない。隣の席のおじさんが様子を見に出ていった。戻ってきたところで聞いてみると、大きな石のような障害物があったそうだ。列車は10分間ほど立ち往生した後、汽笛を鳴らして静かに動き出した。太陽はもうかなり西へ傾いていた。外には相変わらず水田が広がっていたが、そのなかに点在する民家の形が興味を引いた。土壁の藁葺き屋根で円筒形をしている。たまに四角いのもある。以前、今和次郎の本で見たアフリカのある地方の住居に似ていた。やがて耕地が少なくなり代わってごつごつした岩山や荒れ地が多くなる。夕陽に染まるデカン高原は少し荒涼とした感じがあってなんとも美しかった。

午後9時、列車は定刻より20分遅れてバンガロール・シティ(Bangalore City)駅に到着した。夜に宿を探すのは避けるべきであるという教訓をマドラスで得ていたので、ひとまず駅のリタイアメントルームに泊まろうと考えた。改札の駅員にリタイアメントルームに泊まりたいと言うと、彼の返事は "Why?" だった。リタイアメントルームというのは長距離を旅する者が乗り継ぎなどで暫しの休息をとるための施設であり、利用のためにはその駅から先への切符を所持していなくてはいけないのである。私の場合、切符はバンガロールまでなのでこの駅に宿泊することはできないのだ。それはわかっていたが、敢えてお願いしてみたのである。「自分はごらんの通り右も左もわからない旅人であり、夜が明けるまでなんとか泊めて欲しい云々」などと平身低頭懇願したところ、駅員氏は私に切符を返して無表情に「2階へいってみな」という慈悲深い言葉を授けてくれた。喜び、そしてホッとして2階への階段のとこへ行くと、リタイアメントルームが満員である旨が書かれた看板で階段がふさがれていた。

しかたなく夜のバンガロールへ踏み出した。駅前にはロータリーがあり、その先の通りを渡るとバスターミナルが広がっていた。そのバスターミナルを跨ぐように陸橋が通っており、そこを歩いてゆくと "HOTEL" というネオンサインが輝くビルの群が近づいてきた。少々宿代が高くても取りあえず今晩一晩の休息の場を確保することを優先しようと思い、どこでも泊まれるところに泊まることにした。幸い、2軒目に入ったホテルに空き部屋があった。しかも、1泊29ルピーというマドラスに比べたら半値近い嬉しい価格だった。部屋は広く清潔で、ここなら長居もできそうだった。但し、バスルームは狭く、シャワーは "HOT" へひねっても "COLD" へひねっても水しか出てこなかった。それでも29ルピーでこれだけの部屋なら文句はなかった。身体を水で洗って、パリッと糊の効いたシーツにくるまれた気持ちいいベッドに横になった。

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