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別冊 太陽 十代目 柳家小三治 永久保存版 平凡社

部屋が散らかってどうしようもなくなって、棚だの押し入れだのの整理をしていて、うっかり手にして読み耽ってしまった。

かれこれ10数年前になるだろうか、以前の勤務先の同僚が放送大学に入学した。放送大学なので、勤めを続けながら学生になったということだ。「学生」なので学生証がある。それを見せると映画館も博物館や美術館も学生料金になるのだという。その話を聞いて早速、放送大学の科目を調べてみたのだが、面白そうだと思うものがなかった。既に陶芸を始めていたので、美大の通信講座を受講することにした。結構ちゃんと手続きをして、或る美大の通信過程の3年生に編入した。それで晴れて学生証を手にした。なるほど、映画館も博物館も美術館も学生料金で入ることができた。その流れで当然のように新宿末廣亭の窓口で「学生一枚」とやった。すると、「ダメです」と言う。私は動揺した。
「え?」
「学生っていうのは30歳までです」
何だそれは、と思ったのだが、一般料金を払って入ったのか、じゃいいやと思って家に帰ってしまったのか、今となっては記憶がない。

ひと頃落語をよく聴きに出かけた。寄席よりも独演会や二人会、三人会が多かった。手元には2014年以降に聴いた噺をエクセルでまとめて控えてあるのだが、一番多いのが柳家三三で29席、次が柳家喬太郎21席、柳家さん喬19席、入船亭扇辰15席、以下、柳家権太楼、桃月庵白酒、立川談笑、柳家喜多八、春風亭一之輔、柳家小三治と続く。時期を遡れば、順位は変動するかもしれないが、噺家の名前は変わらないだろう。「聴いてみようかな」と思って切符が取れた会を集計するとこういうことになるのだが、だいたい噺家の好みはこんな感じだ。

多少バイアスがあるとすれば、自分と同世代の人の仕事には興味が相対に強い。この中で言えば、喬太郎が1963年生まれ、扇辰が1964年、談笑が1965年だ。談笑は高校の後輩でもあるので、なおさら関心がある。その控えを見直して、すごいなと思ったのは喬太郎で、21席一つとしてネタの重複が無い。大概は同じ噺家が同じネタをあちこちでかけたりするものだが、それが無い。それほどたくさん聴いたわけではないので、たまたま、と言ってしまえばそれまでかもしれないのだが、それにしても他の噺家ではこういうことはない。しかし、聴いた噺が多いということは、必ずしもその噺家が好きだということを意味しない。

やはり以前にどこかに書いたが、2016年5月に喜多八が亡くなってから、なんとなく落語から足が遠のいてしまった。もういいかな、と思ってしまったのである。きっと私は落語がそれほど好きではないのだろう。喜多八を最後に聴いたのは2016年4月30日、横浜にぎわい座での「落語教育委員会」での「やかんなめ」だった。喜多八の墓は東京の善光寺にある。表参道交差点からすぐなので、近くに出かける用事があるときは、お参りして手を合わせてくる。墓石には本人が書いた「清く気だるく美しく」の文字が彫られている。学習院大学書道部の出身だけあって、かっこいい文字だ。

いつから落語に目覚めたのか記憶は定かではないのだが、寄席や落語会に足を運ぶようになったのは離婚してからであることには違いない。離婚して、とりあえずロンドンに引っ越して1年3ヶ月ばかり過ごして2009年1月に帰国して、そこからだいぶ熱心に出かけたり、落語関係の本を読んだりした。離婚当初は結婚はもうたくさんだと思ったのだが、いろいろあって思い直し、今から10年ほど前にわざわざ結婚相談所に登録して今の家人と再婚した。それからは二人で聴きに行くのだが、ほんとうはひとりで出かけた方が気楽でいい。まぁ、仕方がない。

それで本書のことだが、よくこんな本出したなぁ、と思う。と同時に、俺もよくこんな本買ったなぁ、と呆れている。やっぱり、噺家は噺を聴いてナンボのものだと思う。こういう余計なものは正真正銘の蛇足だ。尤も、小三治くらいになると、本人がどれほど嫌がっても、周りが放ってはおかないし、浮世の義理もいろいろあるのだろう。まぁ、仕方がない。

本書の圧巻は「ロング・インタビュー 柳家小三治 x 聞き手 古今亭文菊」だ。「インタビュー」となっているが、公開説教というか公開小言というか、読んでいるこちらがハラハラしてしまった。文字に起こして編集してさえそうなのだから、現場のナマの対談は文菊も司会もカメラや録音の係の人も汗びっしょりだったのではないかと思うほどだ。だから、そのインタビュー記事を読んで自分が何を考えたか、というようなことは何も言えない。

本書の終わりの方に「九人の弟子が語る小三治の素顔」という章がある。その中で面白いと思ったのは禽太夫の語りだ。2009年に劇場公開となった『小三治』というドキュメンタリー映画がある。その中で、比較的長く登場する弟子が三三と禽太夫だ。映画の撮影時にちょうど三三が真打に昇進したという事情があり、また、小三治が毎年独演会を開いている長崎での会の撮影にこの年は禽太夫が同行している。見出しの写真は、その長崎でのシーンに登場する菓子屋だ。ここで小三治はカステラを買い、それをあちこちに送るのである。店頭で手帳を見ながら宅配の荷札を書く小三治の姿が映っている。荷札の数がすごい。芸人というのは、実際の形態がどうあれ、個人事業主だ。取引先というか関係各所に対して、どこにいても常に目配りをして義理を欠かさないというのは、やはり基本動作の一つなのだろう。

あと、その映画には前座時代の柳亭こみちが鈴本の楽屋で師匠方のお世話をする姿が映っている。こみちは小三治の弟子の柳亭燕路の弟子だ。その後、こみちも真打になった。でも、女性の噺家って、どうなのかなぁ、と思っていた。たまたま今年に入って、上方の桂二葉の高座を2席聴いた。「真田小僧」と「天狗さし」だったが、芸というものに関して性別というのは個人の個性の範囲内のことでしかないのだということを実感した。それと、噺はやっぱり江戸よりも上方だなとも思った。

で、禽太夫が車の運転のことを書いている。

 師匠は自分で運転もするし上手だった。
 走ることに関しては、動き出す、止まる、曲がるの操作の基本に忠実な、理にかなった運転をキッチリ教えられ、求められた。
(略)
 師匠は運転も巧いが、道にも詳しかった。
 師匠の家からNHKの放送センターへ行くには、渋滞の多い場所を走らなくてはならない。それを避けるのに住宅街を抜けて走ることになる。
 次は右だ! 突き当たりを左だ! とアミダくじのように走って近道をした。
 それも、毎回同じ道ではなく、いくつものルートを使って抜けて行く。毎回、私が運転するわけではないので、師匠は、かなり試行錯誤を繰り返しながら、いかに早く抜けられるかを考え、探したのだろうと思う。
(略)
 これは何も道に限ったことではなく、噺の作りにも繋がっているのだろうと思う。
 台詞一つの言い回し、気持ちの乗せ方もいくつものやり方を試していくのと、この角を曲がって、こっちへ抜けてと道を探して行くのは同じ発想なのだろうと思う。
 それが師匠の生き方で、それが噺に出てくる。
104-105頁

「生き方」というと大袈裟な感じがするが、その人その人の癖というか個性というか、物事の発想の根本、落語でよく言うところの「了見」は、やはりその人のあらゆるところに出るものなのだろう。近頃よく思うのだが、俺はセコイなぁ、と。でも、そういう小さいところが我ながら愛おしくもある。いわゆる芸事に触れるたびに、いつもそんなことを感じるのである。

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