珈琲一杯
珈琲を淹れ終え響く虫の声
(コーヒーを いれおえひびく むしのこえ)
季語は虫の声、秋。コーヒーが好きだ。一時期、梅ヶ丘の焙煎職人の家に通って、抽出やコーヒー豆のことを勉強したこともある。その時の仲間で勤めを辞めてコーヒー豆の焙煎業をしている人もいる。彼はしばらく大塚の自宅のガレージを焙煎所にしていたが、10年ほど前に巣鴨で店を構えた。私は今の団地に引っ越す前に巣鴨に住んでいて、彼の店がその住まいの近所だったので、豆はたいていその店で買っていた。今も土曜日に陶芸で池袋まで行くので帰りに巣鴨に寄ったり、勤務先のある大手町からは巣鴨まで三田線ですぐなので、勤め帰りに寄ることもある。
コーヒーに関してはいろいろ自分で試してみたので、自分で淹れたコーヒーが一番美味いと思っている。ただ、この人の淹れたものにはかなわないと思っている人が何人がいる。昔、小石川に橙灯というカフェがあった。そこの主人である坂崎さんの淹れるコーヒーは旨い。結婚してご主人の実家の近くに引っ越されてしまい、店は南町田へ移ってしまったので、もう何年もご無沙汰だ。恵比寿のヴェルデというカフェのコーヒーも旨い。昔、人に勧められてヨガをやっていたことがあり、その教室の近くだった。ヨガは、ダウンドックができなくなったので10年ほど前にやめてしまい、恵比寿に出かける用が無くなってしまったので、ヴェルデとも疎遠になってしまった。橙灯もヴェルデもネルのハンドドリップなので、紙で淹れるのとはわけが違うし、あちらは商売で、こちらは家事なので、そもそも比較にはならない。それでも意識するのである。今暮らしている調布にも、もちろん何軒も焙煎業者もカフェもあるが、自分の舌が納得しているところで調達したいし、また、そういう豆を焼いている人と一言二言でも世間話をしたいのである。
コーヒーは不思議な飲み物だ。茶は日本茶に茶道があるように、中国茶も紅茶も淹れ方のフォーマリティが確立している。その道を学んだ人に淹れてもらえば、同じ茶葉で同じ水、同じ道具であれば誰が淹れてもある程度は同じ味に仕上がるようになっている。ところが、コーヒーは、自称「コーヒー好き」の淹れ方は十人十色だ。私が焙煎職人のお宅に通うようになったのも、その先生が主催するコーヒー教室で、同じ豆、同じ挽き加減、同じ湯、同じ分量で私を含め4人で淹れ比べをしたところ、同じコーヒーとは思えないくらいに違った液体が4種類出来上がったのを目の当たりにしたのがきっかけだ。なぜ、そんなことになるのだろう、という素朴な疑問が湧いてしまったのでコーヒーから離れられなくなってしまった。
見出し画像は稚内にある津軽藩兵詰所記念碑。コーヒー豆の形をしている。日本で最初にコーヒーを常飲したのは、ここにあった津軽藩兵詰所の人たちだった、という話がある。江戸時代、日本の最果ての守りのために津軽藩は蝦夷地稚内の守備を命じられた。それでここに詰所が設置されたのだが、藩兵たちは日照不足によるビタミンD欠乏症に悩まされた。そこで、長崎から南蛮渡来の薬が持ち込まれて症状改善に役立ったという。その「薬」がコーヒーだったのだそうだ。どのような飲み方をしたのか知らないが、当時の交易経路から推測すればジャワからオランダ船で持ち込まれたものだろう。
念の為、断っておくが、ここで言う「コーヒー」とはアラビカ種のことである。他にロブスタ種があり、ベトナムで盛大に生産されているが、これは主にインスタントコーヒーの原料になる低木のコーヒーだ。最大の輸入国は日本。エスプレッソ用のブレンドにも少量用いられるが、欧州でのコーヒーは基本的にアラビカ種だ。
コーヒーの飲み方が文化によって異なることに意味を持たせた映画に「バグダット・カフェ(原題:Out of Rosenheim、英題:Bagdad Café)」がある。ドイツ人の夫婦が車でアメリカを旅行していて大喧嘩になり、奥さんが荷物とコーヒーの入った水筒と共に車から追い出されてしまうところから物語が始まる。その水筒のコーヒーがその後の彼女とバグダット・カフェの人々との出会いのなかで意味を持つのである。ドイツ人がアメリカで、というところとオリジナルのタイトルOut of Rosenheimは映画の中のシニフィアンやシニフィエを考える上で注目すべきところだ。人が口に入れるものというのは、料理にしろ飲み物にしろ、深い意味を持つことが多い気がする。そこに世界展開のカフェチェーンや惣菜屋が幅をきかせるようになった。これはどういうことなのだろうか。
コーヒーといえば、中学生の頃、ラジオからこの曲もよく流れていた。
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