古賀史健 『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』 ダイヤモンド社
「人生最後の晩餐には何を食べたいか」などと話題になることがある。今なら、あつあつのご飯と納豆、と即答する。納豆に限らず大豆を使った食材が大好きで、納豆を筆頭に、豆腐、がんもどき、油揚げ、ただ大豆を茹でただけのもの、といったものがすぐに思い浮かぶ。我が家には大豆が数キロ常備してある。大好きな納豆は自家製だ。自家製といっても、発酵のスターターには既製品の納豆を使うので、純粋の自家製ではない。茹でた大豆を紙コップに適量ずつ盛り、各コップ毎に数粒の既製品納豆を置いてラップをかける。それをダンボール箱に並べて蓋を閉め、電気アンカを箱の上に置いて、プチプチシートで包んで、ひとまわり大きな段ボール箱に収めて3日ほど放置するだけのこと。納豆菌というのは大変に強力な菌でそこら辺至るところに浮遊しているのでスターターなしでもできる、という話は聞いたことがある。試してみようかなとは思わないではないのだが、失敗してせっかくの大豆を腐らせるのは忍びないので、いまだに試してはいない。
納豆のほか、我が家では味噌、梅干し、甘酒、などを作っている。味噌は寒の内に仕込む。毎年、使う材料や量を少しずつ変えてみるのだが、都内で作られている麹を使うといい味になる気がする。その土地の麹菌で作るのが風土にあって良いのかもしれない。尤も、大豆も塩も東京から遠く離れた産地のものだし、梅干しの梅は毎年紀州から調達する。甘酒は健康の為、実家に老親を訪ねる時に手土産にする。どれも最後の晩餐にいただきたいものばかりだ。
なぜ最後の晩餐などと考えたかというと、この本を読んだからだ。こういう本が大手を振って書店に並ぶようになるとは世も末だと思ったのである。当たり前のことをうだうだと書き連ね、しかもスカスカのレイアウト。今は総じて印刷物の文字が大きくなっているが、本書も例外ではなく無駄にボリュームを大きく見せている。「この一冊だけでいい。」などと帯がついているが、この一冊ではどうしようもない。「ほぼ日」の記事を読んで、興味を覚えたのだが、今度ばかりはがっかりした。
ふと落語の「寝床」を思い出した。そういえば、落語をはじめ芸事の多くには学校も教科書もない。何故だろうか。