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note: 『宮島ひでき』

本日分までの全記事を読了。宮島さんは1985年に大学を卒業して就職されているので、社会人としては私と同時代を生きている。人と人とが何事かを共有するとき、言語、空間、時間の三要素はかなり大きい。ここまでの己の来し方を振り返ると、宮島さんと重なることはないのだが、宮島さんが書かれることはだいたい了解できる。例えば、仕事や職場の空気感のようなものは、業種が違えども想像可能である気がする。それはたぶん、同じ時代、同じ世代を生きているからだろう。

宮島さんの記事には食べものの話題が多いが、自分の好みと重なっているのも親近感が湧く大きな要因だ。生きることは食べることでもある。食が共感に影響を与えるのは人間だけという研究結果もあるらしい。記事を読むだけで共に食べているわけではないが、きんぴら、焼きなす、おから、切り干し大根、玉子焼き、ポテトサラダ、そしておむすび、といったものを記事に上げるところに何か惹かれるのものを感じる。

だいぶ以前のことだが、講演会で或る大学の経済学部の先生が「今の学生は「景気」というものがわからない」と言うのを聴いて、いろいろなことが一気に了解できた。確かに、1990年以降にこの国で生まれた人は景気の良し悪しの波、殊に好況とか「景気がイイ」という状況を体験していない。物心ついたときから、「ナントカ不況」とかデフレとか、右肩下がりの景気しか知らずに育った人に、大志を抱けと言ったところで、「大志」の「大」がそれほど大きくならないのは当然のことだ。

これが破滅的な不況なら、世の中が荒廃してなんでもありという弾けかたも出てくるかもしれないが、なまじ経済規模が巨大で良くも悪くも大きく動かないなかにあっては、程をわきまえて堅実に動けば個人レベルでは大過なく過ごすことができてしまう。人には当然に自己保存とか自己防衛に傾く傾向があるだろうから、社会の性向としては総じて堅実な方へ向かう。だからますます閉塞感が強くなる、ということだろう。

そういう若い世代と、自分の世代の間に大きな溝のようなものがある気もする。その所為かどうか知らないが、このnoteを読んでいても、気がつけばよく読むのは自分と同世代の人のものに傾きがちになる。

落語に『文七元結』という噺がある。今でも口演されているかどうかしらないが、今の現役世代の人たちは、よほど上手い高座でないと、白けてしまう気がする。この噺の肝は、見ず知らずの相手に自分の娘が吉原に身を沈めてこしらえた大金を恵んでしまう、ということを違和感を抱かせることなく語るところにある。現役世代の感性からすると、その肝の部分が通じ憎いような気がするのである。もちろん、落語は作り話だ。しかし、ありそうに聴こえないと面白くはない。そして、面白いと思うか思わないかは思う側の問題でもある。


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