1985年3月13日 ガンジス川のガート
何事も度を過ぎるというのは良くない。昨日は昼寝をしすぎたのでよく眠れなかった。午前6時頃起き出して、荷物をまとめ、7時頃には荷物を部屋に残してガートへ向かう。
結局、一時間半歩いた。はじめの40分は比較的人通りの多い賑やかな通りなのだが、やがて迷路のような路地に入り込む。手元の地図はあてにならず、自分の方向感覚を頼りに歩く。交差点や分岐点では、迷った時に引き返せるよう、目印となる建物や看板を逐一頭に叩き込む。なんとも心もとなく、外人ツーリストとすれ違うと妙に安心してみたりする。そんなふうに歩いてゆくと路地の向こうに明るい光が見えた。水面に陽の光が反射しているのである。なんとかガンジス川にたどり着いた。さっそく遊覧ボートの客引きが近づいてくる。もちろんそんなのは無視する。さすがに聖地というだけあって、その風景には心を和ませるものがある。三途の川というのはきっとこんなふうなのだろう。ガートに腰掛けてぼんやりと川を眺めてみる。沐浴に来ている人たちもなんだかんだと話しかけてくる。子供も多い。ここはあまり有名なガートではないようで、観光客は私の他に、ガイドを連れてビデオカメラをぶら下げた白人の老人だけであった。彼はビデオの撮影を終えるとすぐにどこかへ消えてしまった。ガートの下では家族連れが沐浴をしている。奥さんらしい人が私に手招きをして、その手で水面を指す。一緒に沐浴をしろということらしい。「ナーヒン!ナーヒン!」と叫んで手を横に振る。笑っていた。背後から小さな男の子が近づいてきた。私の顔を覗き込んでなにやら話しかけてくるのだが、私にわかるはずがない。ただ、「キャ」という音で始まっているので疑問文であることはわかる。「ごめんねぇ。わからないんだよ」と言ってやる。すると彼は「ABCの歌」を歌い始めた。言葉は通じなくてもこうしているととても楽しい。こうして1時間ほど過ごし、宿へ戻ろうとガートを後にした。沐浴をしていた家族の男の子が走って追いかけてきた。立ち止まって振り返ると彼も止まった。「Good-by」そう言って手を振ると、彼は黙って微笑んだ。
来るときに通った細い道を歩く。来た時より人出が少し多くなっている。急にトマトが食べたくなって屋台のオッサンにトマトが欲しいと言ったが通じなかった。別の屋台のニイチャンに言ったら、とんでもない値段をふっかけてきたので、トマトはあきらめた。大通りは人で溢れていた。通りが人の頭で黒い筋のように見える。来る時は商店がまだ開店していなかったのだが、今はどこも営業中である。魚屋の店先には名前もわからない川魚がゴロゴロしていたり、切り身になって並んでいたりする。それはたいへんグロテスクな風景だが、それに輪をかけてグロテスクなのが肉屋である。店先には四本足の比較的小型の動物が皮を剥がれてぶら下がっているのだが、それが私には犬に見えてしょうがないのである。インドの町にはたいへん犬が多く、至る所で犬の死骸に遭遇する。生きている犬はどれも不健康そうで、毛の色艶が悪い。
暑いなかを歩き続けたので喉が渇いた。学校が近くにあるらしく、制服姿の子供たちが道を急いでいる。彼等の流れが吸い込まれてゆくところが校門であった。その前にはかき氷の屋台が出ていた。大きな氷の塊を鑿のような刃物で削り、それを素焼きの容器に収めてシロップをかけるのである。25パイサだったが、量が少ないので割高な感じがした。駅前の果物屋を覘いて見るとパパイヤが目に付いた。小さいのを計ってもらったら2ルピーだった。これを買って昼飯にすることにした。
宿へ戻ってパパイヤを食べた。一個を丸ごと食べるのは初めてである。まだ十分に熟していなかったが、かえってあっさりとした甘さが心地よい。しかし、食べ終わってみると、さすがに物足りなくて、再び駅前へでかけ、食堂で定食を食べることにした。
朝のうちは午後からサルナート (Sarnath) へ足を伸ばすつもりでいたが、この暑さですっかり出かける意欲を失ってしまった。駅のホームとホームを結ぶ連絡橋の上でサルナートへ行こうかリタイヤメントルームで昼寝をしようか考えてみた。とにかくホームにいるのは耐え難い。蒸気機関車が通るたびに煙に襲われるのである。これから夜行の旅が始まる。いくら休養を取っても取りすぎるということはない。結局、リタヤメントルームへ行った。3時間ほどしか使わないのに10ルピーも払うのはアホ臭い気もしたが、この炎天下を歩き回るよりマシだと思った。リタイヤメントルームを利用するのは初めてだったが、評判どおり清潔で気持ちよかった。
午後4時半にホームへ出た。日本人が3人ほどいた。その一人である出川君は東大の教養学科の学生で、今春卒業するのだそうだ。就職先で私の同期となる永岡君やソニー英会話教室で机を並べた若林君とは知り合いだそうだ。世の中結構狭いもんだと思ってみたりする。
カルカッタへ向かう列車のコンパートメントは出川君と一緒だった。いつものように、コンパートメントには定員を上回る数の客が乗っていたが、4人を残してみな途中で下車してしまった。席が決まるとすぐにボーイが食事の注文を取りに来た。チキンカレーとオムレツから選ぶようになっている。二等車では無条件でターリーだったのに、一等車ではえらく待遇が良くなった。昼にカレーを食べたので、オムレツを選んだ。しばらくして運ばれてきたのは、オムレツとトースト2枚、ポットに入った紅茶だった。食器も陶器で、上品な感じがした。
違うといえば、一等のコンパートメントは広々としていて、しかも定員は二等よりも少ない4名である。寝台には読書灯もついているし、扇風機は風力の切り替えができる。二等に比べるとはるかに快適である。ただし、埃に関しては状況はあまり変わらない。とにかく、これを最後にインドの鉄道とは縁が切れるのがなによりもうれしい。明日はいよいよカルカッタ (Calcutta) である。
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