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行年逝人

時間は連続していて、そこに暦とか特別な思い入れを刻むのは刻む側の勝手である。とはいえ、長年その刻みのなかで生きているので、この時期になれば「この一年は」などと考えることも出てくる。なんとなく訃報を検索するのがこのところの習慣になっていて、昔、新聞を購読していた頃には訃報をエクセルに記録していたこともあった。社会人になって最初の配属が法人営業だったので、当時の営業マンの基本動作として、「新聞は訃報から読む」と指導された。そこに自分が担当する企業の役員や元役員が出ていたら、故人と面識があろうがなかろうがとりあえず弔電を打つ、というのである。そんなわけで、社会人としての刷り込みとまではいかないにしても、流れとして新聞の小さな囲み記事に注目するようになった。その後、2007年9月からは新聞の購読をせずに今日に至っている。それで何の不都合もない。と、こんなことを書いて急に気になったので新聞の発行部数を見てみたら、2007年が5,200万部で2020年は3,500万部(各年10月、日本新聞協会調べ)だ。ずいぶん減っているが、当然だろう。価値のある記事など殆ど無いし、何より面白くないのだから。

それで訃報だが、今年は世界的な感染症の大流行があって少し多い気がする。その中で目を引いたのが1月21日に亡くなったテリー・ジョーンズ (Terence Graham Parry "Terry" Jones)だ。モンティ・パイソン (Monty Python)のメンバーである。中学生の頃、金曜の夜遅い時間に東京12チャンネルでモンティ・パイソンの日本語吹き替え放送があって、毎週楽しみにしていた。中学生といえば、少し背伸びをしてみたい年頃だ。その背伸びの象徴が私の場合はモンティ・パイソンとビートルズだった。ビートルズは既に解散していたが、モンティ・パイソンの放送があった頃は「来日10周年」と称してビートルズ関係の様々な企画が行われていた。近頃はすっかりラジオ放送から疎遠になってしまったが、当時は「電リク」という電話によってリクエストを受け付け、それによって放送する曲目が決まるというような番組があった。電話は単にリクエストするだけでなく、その時々のお題のようなものがあって、そこに気の利いたコメントをすると放送で紹介されたり、運が良ければ放送に生で流れたりしたものである。私も当時の中学校の仲間もそういうものに登場したという話は聞いたことがないが、家の黒電話にしがみつくようにして、訳もわからないのにわかったようなことを言ってリクエストをしたものである。

それでテリー・ジョーンズだが、何しろ中学生の頃に観たテレビ番組のことで、記憶が定かではないが、手元にDVD ボックスが一つあるので、観ようと思えば観ることができる。ただ、それをやると際限がなくなるような気がしてできないのである。そのDVDボックスにある「Monty Python's Personal Best - Terry Jones' Personal Best」の中で今でも印象深いのは「自転車修理マン」だ。その内容はここでは書かないが、落語の「一眼国」に通じる話で「価値」というものの根源を雄弁に語っている。テリーは自転車修理マンではなく、自転車を修理してもらう方の役で登場している。「スペイン異端宗教裁判」も面白い。Monty Pythonのネタは総じて宗教とか権威に対して冷笑的なものが多いが、その典型的な例だ。落語も寺の説法をルーツの一つとしながら、宗教批判めいたものがあり、そういう点では「茶漬け閻魔」(新作)と通じるかもしれない。「ランバージャック・ソング」は2002年11月29日にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われたジョージ・ハリソンの追悼コンサートにも登場した演目だ。多分、自分のなかの「笑い」を形作ったものの一つは間違いなくモンティ・パイソンだ。モンティ・パイソンの下地があればこそ、落語の体験がその上に蓄積されたとも言える。いわば自分の人格の一部と言っても過言では無いだろう。それだけに、彼の訃報は心の奥に響くものがあった。

それで、こんな話ばかりではなく歌を詠まないといけない。

今よりも昔の記憶鮮やかに他人(ひと)に通じぬ思い出語る


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