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1985年2月20日 マドラス

マドラスの朝は思いの外涼しく、爽やかだった。昨夜、最後まで私と行動を共にしたのは雨宮さんという一級建築士だった。2ヶ月の予定でインドへ遊びにきたそうだ。雨宮さんも私もさすがに疲れていたので、今朝はゆっくりしてしまい、宿を後にしたのは午前10時半ごろだった。チェックアウトの時、受け付けにいた宿屋のおじいさんは朝飯を食べてゆくよう勧めてくれたが、もう陽が高くなりはじめていたので我々は先を急ぐことにした。といっても特に予定があるわけではなかった。

宿を出て線路沿いに中央駅のほうへ歩いた。昨夜は暗くてよくわからなかったのだが、牛が多い。インドで最もメジャーな宗教であるヒンドゥー教では牛は神聖な動物なのだそうで、誰も牛をじゃまだとは思わないようだ。尤も、牛自身が己の神聖さを自覚しているのか否かは別としても、私の目には横暴なところも卑屈なところも感じられず、自然に振る舞っているところが好ましく映った。

宿から駅へ至る道(Wall Tax Rd.)は、線路側に窓枠や車(自動車ではない)の部品などを作る小さな工場が並び、その向かいには宿や食堂が並んでいる。工場からはカンカンと金属音が響き渡り、なんだかみんな忙しそうである。通りには牛以上にリクシャーも多く、駅方面へ営業に向かっていた。我々はそのまま歩いて駅前までゆき、比較的構えの大きな食堂で朝食兼昼食を食べることにした。記念すべきインドでの最初の食事である。

何をどう注文して食べてよいものかわからなかったが、私は何故かアイスクリームが食べたくて、チャパティーとコーヒー、そして注文を取りに来た食堂のオヤジが自信たっぷりに勧めたなんとかアイスを注文した。全部で8.75ルピーだったが、このうち7ルピーがアイスの代金である。そのアイスは豆腐大でチョコ、バニラ、オレンジの三色構成になっており、上にアーモンドの粉末がかかっていた。オヤジが自信をもって勧めるだけあって、なかなか美味であった。でも、あまりに高額なので、しばらくはアイスを食べないことにした。チャパティーは通常、これだけで食べるものではなく、カレーをつけて食べるものである。そのことは私も知ってはいたが、メニューに「カレー」というものはなく、様々な種類のカレーがそれぞれに名前をつけられており、何がなんだかさっぱりわからなかったので、チャパティーだけを注文することになったのである。食べ終わって勘定を払った後、給仕が卑屈にチップを求めて近づいてきた。チップのことなど全く考えてもいなかったので相場がわからず、かといって「いくらが相場か」と尋ねるわけにもゆかず、10ルピー紙幣で支払ったおつりが1ルピー25パイサだったので、その半端の25パイサをやった。給仕は飛び上がって喜んだ。どうも多すぎたようだ。

食事の後、雨宮さんと別れていよいよ私のインド旅行が本格的に始まった。まず、政府観光局へ行き、マドラスの見所や宿探しをすることにした。食堂の前でオートリクシャーを拾い、マウント・ロード(Mount Rd.)にある観光局を目指す。リクシャーにはタクシーメーターのようなものがついていたが、機能していなかった。運ちゃんは20ルピーを要求した。20ルピーといえば日本円で約400円。ちょっと高いと思ったが、そのまま支払いを済ませて観光局へ。建物の中は冷房が効いていて気持ちがよかった。しかし、ここで働いている人にとっては必ずしも気持ちよくはないようで、私の相手をしてくれた職員はさかんに鼻をかんでいた。一通り聞きたいことを聞き、市街地図を手に入れた後、観光局を後にして、トラベラーズチェックを両替するために銀行へ向かった。ところで、観光局の職員氏によれば、中央駅から観光局まではオートリクシャーで4~5ルピーとのことだった。

昨夜、空港で両替した6ドル分のルピーも底をつき、何はともあれ現金が必要であった。最初、観光局と同じくマウント・ロードにある State Bank へ入る。ここの支店でもアメリカンエクスプレスのトラベラーズチェックは両替してもらえなかった。両替のできる支店を教えてもらったところ、それはマドラス港の近くの支店であった。今いる場所からかなり遠いが金がないのでリクシャーにも乗れず、歩くしかなかった。昨夜着いたばかりの異国の街を、炎天下に大きな荷物を担いで歩くのはつらい。しかも、至るところに牛や路上生活者が陣取っていてまっすぐには歩けない。マウント・ロードを北へ進み、クーム川(Cooum River)の手前を右に折れる。川はどぶ川のような悪臭を発していて、暑さと臭いで頭がくらくらしてくる。そうしたことに耐えながらしばらく行くとマドラス大学のヨーロッパ風の建物群が右手に広がってくる。この道路は海岸沿いを走るビーチ・ロードに突き当たる。ここで左へ折れてノース・ビーチ・ロード(North Beach Rd.)を北上する。クーム川が流れ込んでいる海なので、海岸も少し臭い。しかし、景色は良い。ビーチ・ロードには南国風の街路樹が植えられており、風にそよぐ姿がなんとも絵になる。それにしても暑いので、バス停の屋根の下でしばらく休憩することにした。バス停のすぐ後ろがセント・ジョージ砦(Fort St. George)という植民地時代の軍事基地である。赤茶けた石の壁が巡らされていて中の様子は見えなかった。マドラス大学も煉瓦色の建物が多かったが、ここの植民地時代の建物は煉瓦色が多い。再び歩き出し、しばらくすると港周辺のオフィス街に入った。昨夜のYMCAもこの近くである。観光局を出て一時間あまりがたち、既に時刻は午後1時半を回っていた。

State Bank の Overseas Branch を目指してここまできたのだが、たまたまAmerican Express の看板が目に入ったのでそこへ行くことにした。入り口には機関銃を持った兵士が二人で警備をしていたが、何事もなく二人の間を通り抜けて建物のなかへ進んだ。中では太った中年の婦人が二人、客の姿に気がつかないはずはないのに英語でおしゃべりを続けていた。しばらく待った後、相手にしてもらったら、ここは旅行部門の事務所で現金類の扱いは行っていないとのこと。トラベラーズチェックの両替なら向かいの Corporation Bank へ行くようにと言われた。言われた通りに外へ出てみると、向かいに "Corporation Bank" という看板を出した建物があり、その入り口には "American Express" のステッカーが貼ってあった。こちらの入り口には兵士ではなく、路上生活者が構えていた。中へ入り、トラベラーズ・チェックの換金をしたい旨伝えると、二階("1st floor" という)へ行くようにいわれた。二階にあがるとすぐにそれらしいガラス張りの部屋があり、真ん中の机には米国大統領候補のジャクソン師に似た行員がいた。その部屋へ入ると、彼が椅子をすすめてくれた。トラベラーズ・チェックを渡すと一通りの手続きの後、チェックは他の部署へ回された。現金が出てくるまでの間、その行員とちょっとしたやり取りがあったが、その中でひとつだけ気になったことがあった。
行員:"Do you come to India alone?"
私:"Yes."
行員:"Oh, that's a hard decision."
この "hard decision" というのはいったいどういう意味なのだろうか。そうこうしているうちに現金が出てきたので、エアコンが効いていて快適なこの銀行を後にする。

現金が手に入ったところで宿探しを始めなければならない。銀行から外に出ると再び灼熱の世界である。銀行のある裏通りを Netaji Subhash Chandra Bose Rode へ向かう途中に中学校のような学校があり、子供たちが校庭で遊んでいた。彼等のなかの数人が道行く私の姿に気づき、校門から外へ出てきた。彼等の中の比較的背の高い少年が私に向かって
"Excuse me, what time is it ?"
と声をかけてきた。私は最初、自分の腕時計を彼の方にに向けたが、折り悪く太陽の光が文字盤に反射して、それが彼の目を直撃してしまった。
"Excuse me, I can't see your watch. Would you tell me the time ?"
そりゃそうだろう。"It's one thirty."
"Thank you very much."
そんな短いやりとりがあって、私は目指す通りへ歩き出した。時間を聞いてきた少年が他の少年に取り囲まれて何となく誇らしげにしている様子が私の視界の片隅に残った。「外人相手に話しができたんだぞ」というような様子であった。ここでは私は異邦人であるという当然の事実を改めて感じた。誰でもない、ただの異邦人。

まずは冷たいもので喉を潤してから行動を始めることにした。YMCAの並びにあるジューススタンドで、パイナップル風味のシャーベットを食べながらガイドブックを開いてだいたいの目標地域を決めた。特別に理由はなかったがエグモア駅周辺の宿屋街をあたってみることにした。ジューススタンドを出てオートリクシャーをひろう。今度はメーター・チャージでエグモア駅へ飛ばした。

駅前から南へ伸びる Kennet Lane に建つ宿を片っ端からあたってみたが、どこも満室だった。五軒目あたりを振られた頃、リクシャーのオヤジが近づいてきていい宿があるという。どうせろくでもない話だろうと思い、はじめのうちは彼を相手にしなかった。しかし、なかなか宿が決まらないので私にも焦燥感が芽生え始めていた。オヤジの勧める宿は一泊45ルピーだという。少々高いと思ったが、ボヤボヤしていると日が暮れてしまうので、その45ルピーという話に乗ることにした。リクシャーに乗って間もなくチェーンが外れるというアクシデントがあったものの、10分ほどでリクシャーはマウント・ロード近くの工事中の建物の前に着いた。工事資材の塊を縫うようにして一階を通り抜け、奥の階段を登ると宿の受け付けになっていた。宿の名は "Hotel Mallika"。幸い部屋は空いているというので、まずは部屋を見せてもらう。バス・トイレ付きでベッドも部屋もなかなか清潔だった。ただ、窓を開くと隣の建物の壁というのはちょっと難であったが、もう疲れていてこれ以上宿探しを続ける気力がなかったのでここに泊まることに決めてしまった。そのとき、リクシャーのオヤジがまだ宿の受け付けのところにいるのに気がついた。彼が紹介してくれるという宿の値段は聞いたが、リクシャーの料金はまだ交渉していなかったのである。彼は15ルピーも要求してきた。これは法外な値段である。ちょっとカチンときたので、私のほうは4ルピーという安めの値段を提示した。五分ほどああでもないこうでもないとやり合った後、10ルピーで決着した。オヤジは不満をたらたら言いながら帰っていったが、この勝負は私の負けである。この程度の距離なら7ルピー以上の料金は払いすぎである。しかし、細かい現金の持ち合わせがなかったので4ルピーでだめなら10ルピーを出すしかなかったのである。こんな調子ではこれから約1ヶ月資金がもたなくなるかもしれない。この次はがんばらなければ。

部屋に落ちついてから、まずは洗濯をして、部屋のなかに洗濯物を干し終えた頃、宿の従業員が商売のネタを求めてやってきた。何か売る物はないかという。そんなものは無いといって断ると、今度は別の奴がトイレ掃除だといってやってきた。ほんの形だけ掃除をして、チップをよこせという。まあ、掃除をしたことは事実なので25パイサやるとなんともいやらしい笑みを残して出ていった。まったくインドに着いてからというもの、ほっとする暇がない。昼間の銀行員が言った "hard decision" という言葉の意味がなんとなく判ってきた。

午後五時頃、食事をしようと思い、宿の近所の食堂へ出かけた。言葉が全く通じないのでメニューを適当に指指した。何が出てくるかと思ったら、大豆をつぶして油で揚げたような団子状のものが二個とカレーの入った小皿が一つ、スパイスの効いた白いソースのようなものが入った小皿が一つ出てきた。辛くて味がよくわからなかったが、とにかく平らげて、口直しにコーヒーを一杯もらった。コーヒーは歯科医のブクブクコップのような金属製のカップに大きな金属製の受け皿がついて出てきた。他の客を見ると、みんなカップから受け皿へコーヒーを注ぎ、それをカップに戻し、、、というような動作を繰り返してから口に運んでいた。何故、そのようなことをするのかわからなかったが、私もそのようにして飲んでみた。味は普通のミルク入りコーヒーだったが、かなり甘かった。以上で2ルピー。日本円に換算すれば40円ほどでしかないが、ここでは高いのか、安いのかよくわからない。

インドに来る前に、インドの安宿は虫が多いという話を聞いていたので、取りあえず殺虫剤か蚊取り線香を調達することにした。食堂の並びの薬局へ行くと、結構混雑していた。木製の枠取りがしてあるショーケースのなかには薬品や歯磨きなどが並んでいたが、そのなかに亀の絵がかいてある四角い箱が目に入った。"Odoms" というその商品は『地球の歩き方』によれば蚊取り線香である。早速、それを買い求め、混雑した店を離れた。

同じ Mount Road 沿いにほんの数メートル駅方面へ行ったところにジューススタンドがあったので、口直しにりんごジュースを作ってもらった。子供の頃、自分の家にもあったような旧式のジューサーにりんごの破片を次々に放り込んで押し込むと、クリーム色のジュースが出てきた。砂糖など余計なものを加えず、文字どおりりんごだけのジュースなので味はいたってあっさりしていてうまみが足りない気もするが、なんとなくほっとする味だった。

腹も気分も落ちついたところで、「市民の憩いの場」であるという海岸へ行ってみることにした。Wallajah Road を15分ほど歩くと海岸の砂浜にたどり着く。もう、午後6時半をまわっているというのに、海から吹いてくる風は熱く、クーム川の河口に近いせいもあって、ドブ川の臭いがあたり一面に立ちこめている。周りを見ると、そんなことを気にする風でもなく、多くの人々がおしゃべりや散歩を楽しんでいた。

インドの他の町の様子はまだわからないが、少なくともこの町は多彩である。路上生活者からハイソサイエティに至るまで、実に様々な人々が様々に生活している。夕方、海岸へ向かって歩いているときに大きな競技場を見つけた。道路に面しているところは壁で囲まれているのだが、数カ所に入り口が開かれており、扉の鉄格子越しに中でクリケットを楽しんでいる人々の姿が見えた。この暑いのに真っ白の上下のウエアを着ていかにも余裕がありそうな人々であった。その扉のこちら側では路上生活者の親娘が猿のように髪の毛繕いをしていた。格子扉を挟んでのこの風景の対比が妙に心に残った。

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