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月例落選 短歌編 2022年9月号

すっかり定着した観のある「月例落選」シリーズだ。『角川短歌』9月号への投函は6月13日。一読して選ばれようという気が無いことがわかる。

題詠の兼題は「こだま」。素直に考えれば「木霊」なのだろうが、身近なのは東海道新幹線のほう。新幹線が開業する前にあった特急「こだま」は写真でしか知らない。

山登りこだま返らぬ深き谷声を発した我はいずこへ

駅に着きひかりとのぞみ通過待ちこだまのなかで我泣きぬれぬ

こだまには団体客が多くいて先を急がぬ先のない人

雑詠は以下の4首。毎年6月の初旬に近所で営巣した燕が巣立つ。通勤の行き帰りに駅前のマンションの1階軒下にある巣を見上げるのが習慣になっている。昨年は雛が育たなかった所為もあり、今年は特に気になっていたが、無事に巣立って行った。巣立つ頃になるとどれが雛でどれが親だかわからないくらいに成長している。本人(本鳥)はそれが当然だと思って命懸けで長距離の渡りをして、営巣して、また渡っていくという生活史を繰り返しているのだろうが、側から見れば、もっと安楽な生き方があるだろうと思ってしまう。たぶん、安楽であることが幸せではないのだろう。それは燕だけのことではなく、どの生き物も同じなのだと思う。いろいろ大変なことがあればこそ、それが一段落した時の安息が尊いものに感じられるのだろうし、だからこそ生きていられるというところもある気がする。燕がそんなことを感じているかどうかは知らないが。

渡鳥渡る世間に鬼ばかり渡りに疲れ独り安らふ

渡鳥留鳥たちの明るさに巣を建て増して定住試す

燕雛家族で巣立ちしたものの独り戻りて生き方思案

夏が来て渡る理由をふと思う住めば都と居残り決める


今年、ひとつの巣が二回転した。上の歌を詠んだ時点では居残りだと思っていた燕が、後に第二陣であったことが判明する。

その軒下には新旧いくつかの巣が並んでいる。ある日、すっかり大きくなった雛が窮屈そうに並んでいた巣が空になり、その雛たちが揃って隣の巣の中で同じように並んでいた。翌日、その雛たちの姿が見えなくなり、元居た方の巣の縁に燕が一羽だけとまって首を傾げていた。それをてっきり仲間から逸れた居残りだと思ったのである。第二陣も無事に雛を育て、7月16日ごろに巣立って行った。

一つの巣で燕の家族が二組過ごしたというだけのことなのだが、それだけでなんだかいい夏になったなぁと思ったのである。

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