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三杉隆敏 『やきもの文化史 景徳鎮から海のシルクロードへ』 岩波新書

長崎に行ってきた。長崎県美術館で開催している「永田玄の眼」というタイ古陶の展示を観るためだ。暮に茶話会で永田さんの話を聴いて、永田さんが集めた器のいくつかを手に取って、永田さんが構想した私設美術館に展示するはずだったものを直に見てみたいと素朴に思ったのである。茶話会でこの企画展の紹介もあったが、その時は「長崎かぁ、わざわざ行けないなぁ」と思った。大晦日を目前にして、ふと行く気が起こってツレに話したら、旅行に出かけるということを素朴に喜ぶので引っ込みがつかなくなった。12月30日だというのに1月6日から8日までの宿も飛行機も予約できてしまった。

永田さんが構想した美術館は反政府的なものと見做されて厄介なことになる可能性があると現地のアドバイザーに指摘されて建設を断念したとのこと。そこに並ぶはずだったものを前にして、これが反政府的な展示なのか、と少し面白かった。身も蓋もない言い方だが、ただの陶器だ。しかし、現物を置いてその由来を語ったら、今ある国家権力の正統性とされていることと矛盾が生じてしまうというのはマズイのである。何がどうマズイのか、他所者にはわからない。わからない人、善意の第三者が現政権の権威を脅かすようなエビデンスを勝手に持ち込むことが不都合なのである。

現在の世界の国境はそれほど古いものではない。しかし、日本で日本人として生まれ育つと、自分が「日本人」であるように、他所の人も自分と同じように父祖の代からずっとそこで暮らしてきた「ナントカ人」であると思ってしまう。しかし人類の歴史は移動の歴史でもある。日本は地理的に吹き溜りのような辺境に位置していることもあり、世界の火山や地震の約2割が集中する過酷な環境であるにもかかわらず、或いは過酷な環境ゆえに、世界に類なき長い歴史のある共同体を維持してきた。それでも、他所の国々との交際が活発になって様々な変化が一気に起こり、政体が大きく転換する時には例えば廃仏毀釈のような強引な価値転換が起こるのである。それが大陸のなかで陸続きに他所の国や集団と接しているような土地ではどういうことになるか、推して知るべしであろう。

まとまった量の陶磁器を生産するにはそれ相応の産業基盤が必要だ。土や釉薬の原料となる鉱物の採掘、製造設備の考案や生産、流通の仕組み、といった諸々を担う人や組織を安定的に確保できなければならない。それを可能にするのは権力でありそれによって統治された安定的な社会だ。しかし、言うは易く行うは難し、だ。安定というのは物事が自分の都合良く長続きして欲しいという願望から生まれた幻想で、そんなものは端から生まれようがないのである。日本においてすら

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

鴨長明『方丈記』青空文庫

という認識は古くから広くある。だからこそ何か確かなものを求めたいのだろう。

鶏が先か卵が先か、という話になってしまうのだが、産業が興るには大きな権力機構が不可欠だし、実効ある権力機構を支えるに足る産業がなければ強国は存在し得ない。陶磁器生産が古代中国やペルシャなどで盛んであったのは中華帝国やイスラム帝国の国威国力を見れば必然で、一方で産業としての成長を支える分業体制が整備されていたからこそ、産業も国力も発展が可能になる。本書に以下の記述がある。

 中国の焼き物を理解するのには、分業について考えておくことが大切である。
 大量生産の工程で分業が非常に進む。これは昔も今も変わらない。現代の陶芸家は、土の練りに始まり、轆轤を挽き、絵付けをし、窯づめをし、窯を焚く。弟子たちが手伝っても陰の人である。我々日本人はついそれが頭に浮かび、厳しい分業による中国の焼き物作りを忘れてしまっている。
 しかし、中国の焼き物の生産は徹底した分業主義である。材料の土作りにあたる人はそれだけで一生を送る。轆轤を挽く人は、毎日轆轤を挽いている、目をつむってもほとんど同じ形、寸法の物が作れるといった正確さがある。絵付匠は同じ絵を朝から晩まで描いているので、自然と現れるリズム感がある。絵付けというのは几帳面に描けばどうしても硬くなり文様の楽しさがない。窯を焚く人は窯の中の火色を見、火のはぜ具合で温度を知り、窯の中の熱を、今のような何の計器や測定器もない時代にもかかわらず、まるでコンピュータで制御しているかのように心得て、火の色と共に一生を送った。

52-53頁

アダム・スミスに指摘されるまでもなく、分業が生産性を飛躍的に向上させることは人類の一般常識であった。分業を成り立たせるには、工程全体、産業全体を要素毎に分割し、各部分と全体とを包括的に管理監督する権威や権力がなければならない。中華帝国やイスラム帝国で陶磁器の生産が盛んに行われたのは、それだけの権力機構が存在したということでもある。当然、その生産性や生産力の発現は陶磁器に限ったことではない。

その中国の陶磁器、殊に磁器がヨーロッパの王侯貴族の間で人気を集めた。それがマイセンやセーブルなど今日に続く欧州磁器を生む。中国から遠く離れた土地にもそれほどの影響を与えたのだから、国境を接する東南アジアに産業や国家権力と関連した陶磁器があるのは当たり前だ。

モノ自体は無機だが、その存在に至る経緯はドロドロだったりする。そもそも権力はドロドロだ。そういえば、三種の神器なんていう不思議なものがあることになっていたりする。よく古刹の絶対秘仏の話を耳にする。以前訪れた奈良の小さな古寺の本堂の隅の茶箪笥のようなガラスケースに小さなガネーシャの立像がいくつか並んでいた。その中に掌に収まりそうな小さな二体のガネーシャが互いの片足を踏んだ形で向かい合ったものが数組あった。寺の人に尋ねたら、廃寺の秘仏だったとのことで、いわゆる秘仏にはこの手のものが結構あるのだそうだ。秘仏が収められているとして扉を固く閉ざした厨子の中に、実は何も入っていないということだってあるだろう。

モノはただそれとして存在する。茶碗も皿も壺もただそれだけのものだ。そこに意味を与えたり、そこから意味を見出すのは、見る側の思惑であり勝手である。その昔、民藝運動というものがあり、そうした思惑を離れてモノを素直にモノとして見ようとする思想が生まれた。ところが、それがある程度の広がりを持つようになると民藝という見方そのものが一つの思惑と化すのである。結局、人は思惑から離れて生きることはできないのだろう。人の五感は生物として生きながらえるための感覚であると同時に、価値観や倫理秩序といった発想の座標軸の中に物事を位置付けるとば口でもあるということだ。

長崎県美術館「永田玄の眼」会場 2024年1月6日
展示品のキャプションは全て永田さんが書いたそうだ

遠方に出かけるときは最低二泊することにしている。そうしないと身体が持たない。10年前くらいまでは日帰りでも結構長距離の移動ができたのだが、今はダメだ。長崎に昼前に着いて、美術館に行ったら他にやることがない。結局、着いた当日は長崎県美術館で半日過ごし、ぶらぶらと歩いて宿に戻った。

美術館では「浪漫の光芒 永見徳太郎と長崎の近代化」という企画展が開催されていた。永見徳太郎というのは江戸時代から続く商家の当主で「銅座の神様」とまで呼ばれていた人物だそうだ。実業家として活躍したことはもとより、南蛮美術のコレクターでもあり、文筆家でもあり、写真家でもあり、画家でもあったのだという。後年、活動拠点を東京に移し精力的に活動を続けるが、還暦を迎え、妻に遺書のような葉書を送り失踪する。展示を観てさんざん感心し、展示の終わりの方で失踪のことを知ると、なんだか自分も失踪したくなった。

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