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『長谷川潾二郎画文集 静かな奇譚』 求龍堂

一時期、絵を観ようと思って、ジャンルを問わずさまざまな絵を観た。余計なことは気にせずにただたくさん観た。何年か続けて、それでわかったのは、自分は絵描きにはなれないということと、絵についてどうこう言えないということだ。そういう断りを入れた上で、妙に記憶に残ってしまっている絵というものがある。

いつのことだか時期は記憶にないのだが、東京駅の丸ノ内駅舎が復元される前の東京ステーションギャラリーでベトナム戦争の時のベトナム兵が戦闘の合間に描いた絵を観た。新聞紙だか事務連絡に使う帳面だかの切れ端に描かれた花や女性の姿が、断片的ながらも脳の片隅に引っかかって取れないのである。絵心のある、戦時でなければ絵描きになっていたかもしれない人の絵なのか、特に絵に縁があるわけではないけれども戦時の緊張を和らげるために手慰みで描いただけのものなのか、キャプションに説明があったかもしれないが何も覚えていない。でも花や女性の顔の線とか、ありあわせの色の付くもので最小限の彩色を施した、下地の新聞や書類の文字がはっきりと見える絵が、なんだかとても美しく見えた。それで刺激を受けて、スケッチブックを買って絵を描いてみたりもした。美しい絵は描けなかったが、笑いを誘う自信はある。

ところで昨日、長谷川潾二郎のことに少しだけ触れた。長谷川は作品を描くのが遅かったらしい。長谷川の作品「猫」は長谷川が自宅で飼っていたタローを描いたものだ。

ある日、アトリエで眠っているタローを見ていると、急に画に描きたくなった。小机の上に座布団を乗せ、臙脂色の布を敷いて、その上に眠っているタローを抱いて来て乗せた。熟睡しているタローはされるままになっていた。(『長谷川潾二郎画文集 静かな奇譚』求龍堂 160頁)

それから数日、同じことを続けて画は形になっていく。ところが、一旦中断して一ヶ月後に作業を再開しようとすると、タローは同じポーズをとらなくなってしまう。画は先に進めない。長谷川は何故タローが同じポーズをとらなくなってしまったのか、あれこれ考える。そして猫の姿勢と気温が関係していることに気づくのである。タローの絵を描き始めたのは9月なので、同じ気候になる次の年の9月を待って作業を再開すると、考えた通り、タローは前年と同じ姿勢になった。

その翌年の九月中旬、考えた通り私はタローの画の続きを描く事が出来て九分通り仕上げた。画の猫には髭がなかった。(『長谷川潾二郎画文集 静かな奇譚』求龍堂 160頁)

この髭がないことが、後になって問題になる。そのことはひとまず置いて、その九分通り仕上がったタローの画を見た「画商のS氏」が欲しいと言い、長谷川は売る約束をする。但し、「髭が出来てから」という条件で。その間にも時間は進行し、季節は変化するので、その年はとうとう髭を描くことはできなかった。「髭くらい」と思う人もたくさんいるだろう。見ていないことは描けない、というのが長谷川で、それは「完全主義」とか「正直」というような表層のことではなく、長谷川の世界観がそうなっているのだから仕方がないことなのだと思う。そうこうしている間にも時間は経過する。タローは老い、病をえて亡くなってしまう。画は完成しない。S氏との約束はある。仕方なく、デッサンをもとに想像で髭を描いた。ところが左の髭だけだ。右はデッサンが無いから描けないのである。左の髭だけが描かれた猫の画を画商のS氏はようやく手にすることができた。タローの画を描き始めて7年が経っていた。「画商のS氏」とは洲之内徹である。洲之内はこの作品のことをエッセイに書いている。

長谷川さんの差し出すキャンバスを受けとって見ると、どういうわけか左半分の髭しか描いてない。しかし私は、どうして右側の髭がないのかは訊かなかった。下手なことを言って、また何年も待つことになっては大変だ。(洲之内徹『絵のなかの散歩』(気まぐれ美術館シリーズ)新潮社 249頁)

絵の商売については何も知らないのだが、ほぼ完成した猫の画を「髭がまだ」という理由だけで何年も待たせる画家も、また、それを待つ画商も珍しいのではないか。私はこういう話の世界に素朴に憧れるのである。

蛇足を承知の上で、「猫」という落語を付けておく。



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