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「春日信仰と小田原文化財団 春日神霊の旅展に寄せて」 本編

標記講演会の登壇者
花山院弘匡 春日大社宮司
多川俊映 興福寺寺務老院
杉本博司 現代美術作家、小田原文化財団設立者
瀬谷貴之 神奈川県立金沢文庫主任学芸員

最初に瀬谷氏による30分弱のレクチャーの後、瀬谷氏を進行役に他の三氏が鼎談形式で1時間ほど話をした。一言でまとめれば、人は自然と共にあるということだ。

なるほどと思ったのは花山院氏の話で、人も地球も水でできているというのである。神道の世界では神が宿る場所として神山というものを想定し、そこから流れ出る水で生命、生活が生まれる。神とは自然を司るもので、自然は多様な存在形態がある。そうした多様性を受容する姿勢があるので、外来の神を無闇に排除しない。それが神仏習合という信仰の有り様につながるというわけだ。多川氏の話もほぼ同様の論旨で、神仏習合というあり方が日本の文化であったと断言していた。

慶応4年に神仏分離令が出るまでは、春日大社と興福寺は一体のものだった。尤も、それは今でも変わらず、春日大社の宮司は退任すると出家するのだそうだ。仏教には仏像や曼荼羅といった造形があり、神道の神は目には見えない存在で、従って神像というものは本来あり得ない。しかし、特に世の中が乱れている時には、人は目に見えるものに縋って安心したいものである。そこに本地垂迹という考え方が生まれる土壌がある。また、形あるものは物事を考える材料になる。仏教美術にはそうした意味もある、との話もあった。

近頃、SDGsなどと言って「持続可能性」に注目することが新しいことであるかのように言われているが、人間の古くからの営みはそもそも孫子の代に命を繋げることを念頭に置いたものであったはずだ。農耕であれ、漁撈狩猟であれ、眼前の資源を使い果たしたら未来が無いという当然の節度を持って人間の生活は営まれてきた。それが後先考えずに刹那の欲望が暴走するかのように果ての無い消費蕩尽に人類が動くようになったのは何故だろう。

確かに、「文明」と呼ばれるものは自然界の秩序とは対極に位置付けられるように見える。自然を蹂躙して元の姿を留めないようにすることだけを目的にしているかのような加工を施すことが、人間が望む「文明」であるかのように振る舞ってきた。それは自然を「克服」すべきものと捉え、闇雲に天然資源を消費蕩尽することが喜びであり理想であるかのようにすら見える。結果として、確かに世界人口は急増している。統計の漏れが少なくなったというようなテクニカルな要因も皆無では無いだろうが、実際に増えているのだろう。日本で暮らしていると、都内においてすらシャッター商店街が出現し、廃墟のような住宅も珍しくなくなろうとしているので、眼前の風景としては人口急増を実感できない。しかし、「温暖化」と呼ばれる現象やそれに伴う気象災害の増加は地球規模での人口変動と無関係であるはずはない。

勿論、それは喫緊の課題として社会で認識されており、二酸化炭素排出量の削減が喧しく言われている。例えば自動車はEV化される流れになっている。二酸化炭素の排出抑制や石油資源の消費を抑えるなどの環境負荷軽減が目的らしい。しかし、ガソリンなどの石油系燃料の消費はEV化で抑制されるとしても、電池・電源に関連する希土類の消費が増えるとか、それらが石油以上に偏在しているために採掘を巡ってより大きな地政学上リスクを抱えるとか、EV化が本来的に地球環境への負荷軽減にどの程度有効なのかという話はあまり聞こえてこない。世間の様子は幼児の球技のようにボールに群がって右往左往しているかのようだ。

尤も、そういう目先を追うだけのお祭り騒ぎのようなことが人類の本来的な在り方なのかもしれない、とも思う。「祭り」の元は目先の生活を守る祈願であり「祭りごと」=「政」でもあり、人知を超えたところの神仏への祈念でもある。政治も経済も科学であるかのような風を装っているが、本質的なところは成り行き任せであり、その時々のポピュリズムと環境状況や施政者の巡り合わせの結果でしかないのではなかろうか。

政治のあるべき基本は民主制で、「最大多数の最大幸福」を実現することが理想とされている。しかし、民主制の基礎である選挙において、我々は候補者のことをどれほど知っていると言えるだろうか。我々は世の中のことをどれほど理解していると言えるだろうか。「民主」の「民」はどれほど当てになる存在なのだろうか。「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」というのが、結局は人間社会のオチのようにしか見えない。

近頃よく耳にする「持続可能性」というのは、そう呼ぶかどうかは別にして、大昔から人間生活の守るべき原理原則の一つであると認識されていたことは間違いないだろう。欲しいだけ、今あるだけ消費蕩尽するのではなく、節度を守って暮らす、というのは人の暮らしを結果的に豊かにするという経験則であったのだと思う。また、そうした経験則を生活の知恵として日々の暮らしに活かす程度の知能を人間は持っていたのだと思う。便宜上「神」や「仏」と呼ぶが、実のところは経験に基づく科学であり、知見なのである。また、人の暮らしが農耕や漁撈と狩猟採集の上に成り立っていた時代には、そうした「神」「仏」を基軸にした秩序が結果として人々の「最大幸福」につながるという経験則が世代から世代へと受け継がれていたのだろう。意識するとしないとに関わらず「持続可能性」が暮らしの知恵の中核にあったのだと思う。

人知が今よりも素朴だった時代の神仏信仰は今の「宗教」という言葉で表現されるものとはかなり違うものだったはずだ。人類史が下るに従い、いわゆる科学の領域が拡大し、あたかも科学自体が宗教であるかのような様相を呈しているように見えなくもない。それと表裏を成すかのように神信心はキワモノのように扱われたりもする。しかし、我々人間は何を知っているのだろうか。何を理解しているのだろうか。

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