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月例落選 俳句編 2022年8月号

角川『俳句』も『短歌』と一緒に届く。やはり真っ先に投稿句のページをめくるのだが、推薦や秀逸に選ばれている句と選評を読んで、「そうかねぇ」と思う。半分は負け惜しみではあるのだが、あまり感心するような句とも思えないのである。その後で、手帳を開いて控えてある自分の投稿句を改めて眺める。投函したのは4月27日。黄金週間直前だ。

出不精なのだが、例年5月の連休は一日だけ日帰りで遠出をするのが習いになっている。今年は水戸の偕楽園へ出かけた。最近、noteの見出し写真に水戸の御老公一行にご登場いただいているが、あれはその時に撮影したデジカメ版とレンズ付白黒フィルム版。この記事の見出し写真は偕楽園の竹林。短歌や俳句は竹のようにまっすぐ、素直な気持ちで詠みたいものだ、と言いたい。なんて、心にもないことを書いてみる。

今回の題詠のお題は「丸」。

誰よりも速く丸描く燕かな

丸干しを肴にひとり花見酒

今暮らしている団地の周りには多くの種類の鳥がやってくる。その所為か、街によくいる鳩や烏がこちらではなんとなく遠慮がちに見える。毎年4月から7月はじめにかけては燕が営巣して雛を育ててどこかへ旅立つ。燕が飛ぶ姿はとても美しく、「流線形」というものは燕の飛型から来たものではないかと思うほどだ。実際に燕が輪を描いて飛ぶところは見たことがないのだが、そんなふうに飛んだとしたら他のどの鳥よりも速く円を描くだろう。

丸干しを肴に飲むということは、家の中にいるということだ。近頃はカセットコンロを持ち出して外で丸干しを炙って花見をする人もいるだろうが、そういう絵姿は想定していない。花見で世間が浮かれている時期に、一人で家の中で窓から見える花を眺めながら呑んでいる。そんな静かな感じを詠んだつもり。

本誌で特選に選ばれた句が「丸」に詠んだものは、水滴、「丸めてゆく日傘」、丸裸、正露丸、日の丸、丸寝。なるほどと思う句もあった。

雑詠は以下の三句。

水温み御虎子は少し臭くなり

温暖化かなり強めの穀雨なり

燕の巣軒の母家も居抜きなり

御虎子とは「おまる」だ。題詠用に考えたのだが、詠んだ後で辞書で言葉を確認したら「おまる」は「お丸」ではなかった。春から初夏になって気温が上がり、おまるや尿瓶も少し臭いがキツくなるという生活を詠んだ。

映画『ラストエンペラー』に、幼い溥儀が陶器のオマルに大便をして、それを取り巻きの御世話係の人たちが奪い合うようにして臭いを嗅ぐシーンがある。尊い人の身体から排出されたものは、何であろうと尊いということなのだろう。しかし、下々の子育てや介護となると、同じものが全く違ったものとして扱われるのではないだろうか。溥儀の便にしても、清帝国と中華人民共和国とでは扱いが違うだろう。臭いものは臭いはずだ。それがありがたがるものになるのか、単なる廃棄物になるのか、何で分かれるのだろうか?

穀雨は二十四節気のうち春の最後のもの。太陽黄経30度。今年の暦では4月20日。春の季語だ。春の雨というと「春雨じゃ、濡れて行こう」という芝居の台詞があるように、しとしと降るイメージがある。しかし、今は春だろうが冬だろうが、台風のような雨が降ることがある。温暖化の所為、と言ってしまえば、なんとなくそういうものかと納得した気になるのだが、本当にそうなのだろうか?

駅前のマンションの一階の軒に燕の巣がいくつか並んでいる。毎年、そのうちのどれか一つで燕が所帯を構える。不思議といくつか同時ということはない。去年はやはり一つの巣で営巣が始まったのだが、雛が孵ることなくどこかへいなくなってしまった。今年は一組目が5月下旬に雛を孵し、6月初旬に一家揃って巣立って行った。と、思った翌日、巣に燕の成鳥が一羽いた。居残りか、と思ったら、二組目だった。無事に雛が育ち、7月中旬に巣立っていった。

その燕の巣が軒下に並ぶマンションの一階と二階は店舗になっている。駅前なので、空きが出ると一階のほうはすぐに埋まる。直近では、写真の現像や証明写真の撮影をする店が突然閉店し、しばらくして、餃子の無人販売所になった。流石にDPEショップが居抜きで餃子販売所になるはずはなく、一旦スケルトンになった後で餃子販売所になった。ネットの記事で見る限りにおいては、けっこう評判の商売らしい。何度か買ってみたが、なかなか旨い餃子だ。しかし、原油をはじめ商品市況が高騰し、世界不況が始まろうとしているかのような経済情勢になってきた。来年、燕がやって来る頃にはどうなっているのか、さっぱり想像がつかない。

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