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「誰のために描くのか」が変わった

熊本で夢が叶った、画家夫婦の暮らし

金の長髪に、長い髭。インパクトがある見た目が特徴の松永健志さん。彼の職業は画家。油絵の具で描く熊本の景色や日常の風景。優しくも力強いタッチは見た人の心を一瞬で掴みます。
熊本市に住み、活動する松永さんはまだ画家として生計が立てられなかった頃、夢を掴みに上京しました。しかし、夢半ばで帰郷。なぜ彼は今、地方である熊本市でブレイクできたのでしょうか。彼をずっと支え続けている奥様の裕子さんも一緒にお話を伺いました。

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夢を追いかけるための、東京。
自分らしく生きるための、熊本。

ー 健志さんの画家としての活動は熊本市がスタートだったと聞いています。

【健志さん】そうです。故郷の熊本市で小学生の頃に絵を描き始めました。大人になって熊本市の繁華街で絵の路上販売をしている時に出会ったのが、妻の裕子。その後、東京で活動を頑張ってみようと、彼女と一緒に上京しました。
東京でも活動内容は変わらず、毎日10キロの荷物を抱え路上へ出向き、絵を売り日銭を稼いでいました。ちょうどその頃、リーマンショックが起こり、全く売れない日が続いたんです。結局、生活のためにアルバイトを始め、絵を描く時間がなくなってしまいました。夢を掴むために上京したのに、生きていくことにいっぱいいっぱいで、僕たちは何のためにここにいるのか分からなくなってしまったんです。

ー 東京では、生きていくのに苦労されたんですね。

【健志さん】満足に食べられず、2人共どんどん痩せこけていってました。「もうダメかなぁ」と思った矢先に起こったのが、東日本大震災。2011年3月のことです。東京を中心に日本は混乱していて、絵を売ってる場合じゃない!これは帰るしかない!と、帰郷する事を決めました。

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ー 帰郷後、お2人はどうされていたのですか?

【健志さん】ホッとしていました。大好きな阿蘇にすぐ行ける距離感、食べ物はどれを食べても美味しいと感じ、水道水がゴクゴク飲める。野菜は味が濃く安い。空気や土の香りすべてが愛しく思えました。自然に触れることが出来る日々に癒やされた僕たちは、ここで画家をもう一度目指そうと決心したんです。ホッとしていました。大好きな阿蘇にすぐ行ける距離感、食べ物はどれを食べても美味しいと感じ、水道水がゴクゴク飲める。野菜は味が濃く安い。空気や土の香りすべてが愛しく思えました。自然に触れることが出来る日々に癒やされた僕たちは、ここで画家をもう一度目指そうと決心したんです。

ー 裕子さんは、帰郷する際に再起の作戦はありましたか?

【裕子さん】彼は”夢担当”、私は”現実担当”と役割分担をしました。彼には絵を描くことに専念してもらい、私はパートに出て家計を支えました。あとは、雑貨店に「夫の絵を置いてくれませんか?」と頼んでみたり、私なりに夫の活動範囲を広げるための模索をしていました。

突然訪れた転機で世界が変わった

ー 熊本での画家生活は、順風満帆だったのでしょうか?

【健志さん】帰郷して約3年経った頃、『河原町アートアワード』というコンテストに出品しました。4部問を受賞し、その中の一つが「長崎次郎賞」。この賞の特典は”『長崎書店』と『長崎次郎書店』での個展開催”。この書店での個展は昔から憧れだったので、受賞したその時の気持ちを鮮明に覚えています。
念願の初個展は『200円2000点の小品たち』。手描きのポストカード2000点を1枚200円で販売、といった内容です。制作期間は約1年。たくさんの人に選んでもらえれば…と思い、この価格にしました。子どもたちが200円を握りしめて選びに来る姿を見た時、僕は涙が止まりませんでした。

ー 小学生時代に絵を描き始めた松永さんですから、その光景にグッとくるものがあったんですね。

【健志さん】たくさんの方たちに喜んでいただけたようで、2000点のポストカードはみるみるうちに売れていきました。更に描き足し、個展が終わる頃には合計2234枚も売れたんですよ。東京では1枚も売れない日や、絵を踏みつけられる事だってあって…それを思い出すと、これだけ多くの人に見てもらい買ってもらえるなんて、夢でも見ているんじゃないかという気分でした。これは現実なんだ!と気づき、妻と泣きながら労い合いました。

更に嬉しい出来事が続きます。翌年の2018年に、長年挑戦していた熊日美術公募『描く力2018』でグランプリ部問の大賞に選ばれたんです。

ー このニュースは熊本の新聞やネットニュースで大きく取り扱われ、SNSで拡散されましたね。「画家・松永健志」の名が瞬く間に熊本中に広まったように感じました。

【健志さん】その後も、熊本や福岡での個展、東京でのグループ展、『長崎書店』『長崎次郎書店』での2度目の個展を開催。作品が企業CMに起用されたり、2019年に出来た『熊本城ホール』のエントランスロビーに大きな桜の絵を常設していただけるなど、画家として活動できていることを日々感じられています。

【裕子さん】最近は熊本市の事業の一貫で、ロサンゼルスで企画展を開催しました。熊本をモチーフにした20点の油絵を展示し、現地の方々に熊本市の素晴らしさをPR。貴重な経験をさせてもらいました。

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ー 健志さんの絵を見かけない日は無いと言っても過言でないくらい、熊本市の街中には松永さんの作品でいっぱいですね。東京にいた頃と帰郷後の変化はどんなところですか?

【健志さん】画家として生計が立てられるようになったことですね。妻はパートを辞め、僕のマネージャーをしてくれています。
そして、絵の作風もだいぶん変わりました。東京での活動時は、ピカソみたいなタッチで抽象画ばかり描いていたんですよ。暗い色彩が多かったなぁ。人を描いても、後ろ姿ばかりでした。帰郷後は、明るい具象画を描くようになっていきました。上京したからこそ、熊本の美しさに改めて気づけたんだと思います。僕の「熊本愛」です。

ー 芸術で大成するためには舞台は東京にしかない!と思っていましたが、松永さんのお話を聞いて、地方にも可能性があるんだと感じました。夢を追いかけている人たちにとって、新たな視野が広がるお話だと思います。

【健志さん】注目される機会を狙って上京する人は少なくないと思います。けれど、東京は街中が魅力的なアートやカルチャーで溢れていて、自分の作品はあっという間に埋もれてしまいました。
熊本では、作品に興味をもってくれる人に恵まれました。僕の見た目のインパクトも相まっているところはあると思います(笑)。
おかげ様で、今は様々なプロジェクトを経験させてもらえています。東京にいた頃は自分のために絵を描いていたけど、ここでは誰かのために絵を描いています。

ー 現在、移住を検討されている人たちにメッセージをお願いします。

【健志さん】熊本は自然と水が豊かで、住んでいる人も心が豊かだと感じる街です。東京では時間の経過を早すぎると感じていましたが、ここでは時間の流れがとても穏やか。新しいもの好き(わさもん)が多くて、人との距離感が近いから、興味があることをとことん応援してもらいやすいのかもしれません。僕たちは東京で絶望を経験したけれど、ここで再び立ち上がることができました。夢を追いかける人には、心強い場所だと思います。


お名前:松永健志さん
取材時の年齢:30代
ご職業:画家
移住歴:7年目
家族構成:妻
移住前の居住地:東京

お名前:松永裕子さん
取材時の年齢:30代
ご職業:健志さんのマネージャー
移住歴:7年目
家族構成:夫
移住前の居住地:東京

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