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妄想列車 〜倭人って?〜

こんにちは、よんごひんご⭐︎くまです。

そもそも倭人ってなんでしょう?
倭は、『わ』とも『やまと』とも呼んだりしてますが
私たちにとっては『倭』=『日本』ですよね?

実は古代中国にも『倭』と呼ばれる人々がいたようなのです。

紀元前500年頃の古代中国(春秋戦国時代)に呉という国がありました。
成立した時代は不明(紀元前10世紀頃とも)ですが、『周王朝』の王子太伯が建てた国と言われます。
3兄弟だった太伯は、三男の季歴が一番優秀なので次男と共に三男に国を譲って出奔。長江沿いの土地に流れ着きます。
ほど無くして周王朝の使者が迎えに来ましたが、その土地の風習に倣い全身に刺青を入れて、周に帰らなかったと言います。
そして、そのまま句呉(こうご:※後の三国時代の呉と区別するため、句呉というらしい。)を建国したらしい。

あれ? 倭人の話はどこに?

実は、長江上流域(今の雲南・貴州・四川一帯)が、句呉だったようで、そのあたりに住まう人々のことを『倭族』と呼んでいたようなのです。
倭族は鉄器製造技術に長けた一族で、稲作を始めたのも彼らでは無いか…とも言われてます。
倭族は、その後長江流域にその勢力を広げていきますが・・・
秦始皇帝、漢武帝に討伐されてしまいます。

哀れ・・・倭族

しかし、中国の古代史料『魏略』に
「倭人は自らを太伯の後裔である」
と語ったとの記載があることから、子孫の一部は日本に渡って来たようです。

一方、日本側の史料では・・・
松野連(むらじ)に伝わる系図で、句呉の最後の王夫差から繋がる系譜が伝わっています。
その系図によると夫差の子供(忌)のところに
「孝昭三年来朝。火の国山門に住む。菊池郡」
と記されていることから、紀元前473年には熊本県の菊池にいたことになります。
(紀元前660年2月11日に神武天皇即位とした場合)

夫差→忌→順→景弓→阿岐→布怒之→玖賀→支致古→宇閉→阿米→熊鹿文→厚鹿文→宇也鹿→(子)→謄→讃→珍→済→興→武→哲→満→牛慈→長提→廣石→津萬→大田満呂→猪足

松野連系図

あれ!?
どっかで見かけた名前がありますね。。。
今回は横に置いておきます。
この伝承が本当だとすると、早い段階で倭人(族)が日本にやってきて、稲作と鉄器文明を伝えてきたことになります。
その後、(中国大陸の王朝交代などの原因によって)分散的に渡来してきた人々がいたのではないかと想像できます。

ちなみに、素戔嗚尊とは『を補する族』であり、太伯の事ではないかって説もあるようです。
呉音で『周』は『す』らしいので、この説も中々面白いです。

今は昔で、真実はわかりませんが
倭人のルーツは古代中国の倭族(太伯)にあると考えると、稲作のこととか夷州(台湾:中国南部)の謎とかスッキリしてきそうです。
そういえば、神社の鳥居も中国南部にあるとか・・・(聞いたことがある程度)

まぁ、渡来は一度っきりって事は無いでしょうから、
秦や漢の討伐の手を逃れて、日本に逃げて来た一派がいても不思議ではないですね。
ということで、妄想は次回に続きます。


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