見出し画像

1stを探せ! その2

どうもこんにちは、よんごひんごひんごです。

最初に「くまもと」を名乗った1st隈元さんを探索します。
家伝の系図は手元にない(本家の本家にあるらしいが、本家の本家は今どこに?)ので、史料を元に探してみます。
鹿児島県はありがたいことに『鹿児島県史料』を出版しており、なんとネットでの閲覧が可能となってます。
この史料の中に、家ごとに伝わっていた古文書『家わけ』集があります。
家わけ9』のなかに、鹿児島神宮文書・隈元文書を発見。
幸いにも、近世までの系図が載ってましたので、この中から1stさんを探っていきます。

『酒井勝』から系図がスタート私は酒井さんでもあった様です。

4代孫の『奉季』の時に鹿児島(大隅)にやってきた様です。
具体的な年月は記載されてませんが、注釈文を読む限り鎌倉時代初期の様です。

そして初代『酒井勝』から数えて13代孫の『為助』

為助
 彦太郎 修理所 検校
 ⚪︎建武4年2月28日賜 左馬頭直義可励軍忠旨御教書
 ⚪︎大隅州桑西郡隈之城代々居住スルニヨツテ号隈本
 ⚪︎於薩摩国市来遂戦死者也

正八幡宮氏人牛丸酒井氏併修理所職系図

それっぽい人物を発見。。。

その人物は、建武4年に足利直義(尊氏の弟)より軍忠状をもらっています。
そして、これは前回の予想『1stさんは、鎌倉後期から室町初期頃の人』と合致することから、まず間違いなさそうです。

と、いうことで1st隈元さんは、
『隈元修理助検校彦太郎酒井為助』さんでした。
注釈文から
⚫︎鹿児島神宮の営繕職の管轄長
⚫︎足利尊氏の九州大返しに加勢した(?)
⚫︎南九州における南北朝争乱で落命
⚫︎代々、隈之城に住んでたので『隈本』を名乗った
ことが解ります。

『隈之城』というと薩摩川内市を思い出しますが、由来となった隈之城は、現在の霧島市隼人町にあった『隈城字』であることが別資料から解ってます。
しかし、残念ながら詳細な場所については不明です。
鹿児島神宮の近くにあるということまでは判明しているので、
現地調査を行なっていく予定です。

ひとまず、1st隈元さんは判明したので、次回からは隈元さんち酒井さんちのことを深掘って行こうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?