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愛する人をコロナで失うということ、そして自分に何ができるのかを考える

今朝のニュースで、ベルリンの前市長、クラウス市長の30年来のパートナーであった男性が、コロナウイルスによって亡くなったことを知った。

2001年から2014年という13年もの間、ベルリンの市長を務めた彼は、「パーティー市長」などと呼ばれて批判もあったようだけれど、常に高い人気を誇り、ベルリンを象徴するような人物であったことは確かだ。

以前にもちょっと書いたけれど、市長選挙前に「私はゲイですが、それもまたよいことです」とカミングアウトした台詞は流行語にもなり、ベルリンについて「ベルリンは貧乏だけど、セクシー」と表現した時も、その台詞はこぞってメディアに取り上げられた。

当時のまだ混沌として、でも変化の過程のエネルギーが街中にあふれていたベルリンを言い表すのに、これほど端的で的を得た表現はなかったかもしれない。

ハンサムな外見で品の良い雰囲気を漂わせていたクラウス市長は、公の場にパートナーであるヨルンさんと度々登場していた。「私はいつも、ゲイとレズビアンの結婚について戦ってきたました。誰もが結婚を許されるのはよいことです。でも、誰もがする必要はありません」と、自らが語ったように、彼らは法的には結婚してはいなかったようだけれど、30年という年月を共に過ごしていた。

人生の半分に渡る長い時間を連れ添ったパートナーを、突然失うという悲しみはどんなものだろう。まだ54歳という若さだった。

でも、クラウス前市長に限らず、連日発表されている多くのコロナウイルスによる死者の数、その一人一人の顔は見えないけれど、彼ら一人一人に家族があり、その死によって打ちのめされている人々が今、世界中にいるというのが現実なのだ。

クラウス前市長の場合がどうだったかは分からないけれど、彼自身も陽性反応が出ているようだし、ウイルスによる患者は隔離されているはずなので、愛する人の死に目にも会えなかったのではないだろうか。

コロナウイルスによる死者の多くは短期間で症状が悪化し、亡くなってしまうパターンが多いと聞く。

他国のニュースでは、亡くなった親族の顔をみることも叶わず、遺品すら受け取れなかったという話を聞いた。

こんな悲しい別れがあるだろうか。

もちろん、ウイルスに限らず、世界は死であふれている。戦争や、自然災害や、事故や・・・

突然の死で、ある日突然、隣にいた愛する人に永遠に会えなくなってしまう。

想像したくはないけれど、今、戦争も、自然災害もないこのベルリンという街にも、今までは存在しなかった、ウイルスによるそんな不条理な形の別れが、毎日街のどこかで起こっているのだ。


そしてもう一人、ドイツヘッセンの財務大臣が、自殺したというショッキングなニュース。

コロナウイルスによる危機に対処するため、リーダーシップをとる立場にいた人物の、突然の死のニュースに、ドイツの政界は動揺していた。

国民の財政援助の期待に応えられるかを非常に心配しており、その懸念が彼を死に追いやったのではないか、と記事には書かれてあった。

彼も同じく54歳という若さで、残されたのは奥さんと二人のお子さんだ。

コロナ感染による死ではないけれど、コロナ禍によって、国の未来がどうなるかということを分析し、今まさに決断し、実行していかなくてはいけない立場にあったであろう彼が背負わなくてはならなかった責任と、その重圧、そしてもしかすると、私たちが想像できないような絶望的な予測に、悲観していたのか・・・

ベルリンでは金曜日、州による自営業主の救済措置の申請が始まったその翌日の悲報だった。他州ではあるけれど、財務大臣が自ら死を選んでしまったという現実は、これからの道のりがどれだけ険しいかということを、私たちにつきつけているのかもしれない。

残された家族のことを思うと、胸が痛い。これも、コロナによってもたらされた死であり、大臣だけでなく、ぎりぎりのところで国の職務に携わっている人が多くいるのではないかということを、今更のように気づかされた。

こんなニュースに触れると、私が日々の買い物を節約し、自分と娘の健康を維持することだけに心を配り、仕事も今のところ通常に近い状態で続けられ、家の中にこもって嵐が過ぎ去るのを待っている、こんな淡々とした日々で居られることが、どれだけ恵まれているのかと思わずにいられない。

昔、自分も店を持っていたことがあるのだけれど、もし、自分がその立場で今のコロナウイルスの影響を受けたとしたら、どんな悲惨な状況だっただろうかと、想像した。

店の売り上げが立たず、それでも家賃や経費を払わなくてはいけない。そして、従業員への対応・・・彼らにも生活があるのだ。

これが大きな企業、そして国、というレベルになったら、いったいどれだけのプレッシャーだろうか。

自分には何もできないな、ということの無力感を感じた。

コロナの影響で、直接的にも間接的にも、多くの人が困難な状況にあるけれど、自分は、それに対して何も、できない。

イギリスでは、医療関係のボランティアに何万人もの人が応募したと聞く。

私には、そんなスキルもないし、万が一、自分が外で感染したときに娘がどうなるか、それを考えると外に出て何か行動に移すという事が、ためらわれる。もし独り身だったなら、もう十分生きたし、人のために役に立つなら多少の危険も受け入れよう、と思っただろう。

でも、今の私の存在価値は、娘のためだけにある。

とりあえず、彼女がコロナの影響を受けず、また元気に学校に通えるようになる日まで、私は最低限の外出という軟禁状態を受け入れ、この期間を慎重に過ごす。

いずれにしろ、実際のところ自分は、今は利き腕が思うように動かせない状態だから、どこにいっても役立たずなのだ。

それでもせめて誰かの、何かの役に立つことはできないかと考え、学校で受け持つ生徒の中に医療機関で働く人が数人いたので、もしもウイルスのせいでスケジュールを変更しなくてはいけなくなったりしたら、代講をするから連絡してね、とメッセージを送った。

外科医として働く生徒が、感謝のメールを返してくれた。

「今のところ、緊急以外の手術を延期して、コロナの患者に備えているから、自分の病院は大丈夫。現在は4人のウイルス患者が入院している。

でも、2週間後に何が起こるか、実際のところ、予想できない状態だから、もしそうなった場合は、先生の厚意に甘えさせていただくかもしれない。親切な申し出をありがとう!」

別の看護師の生徒は、授業で、「今週も連続6日の勤務だったから、ちょっと疲れてる。でも大丈夫よ。先生ありがとう。」と言ってくれた。

他にも、「私は補講の対象にはならないけど、先生のアイデアはとても素敵だと思う。今は色々大変だけど、みんなで乗り越えよう!」そんな返信をくれた生徒もいた。

私は、何にもできないけれど、せめて、クラスに参加してくれる生徒たちが、「ああ、今日も授業に参加してよかった」と、少しでも思ってもらえるように、そこはいつも真剣に考えている。 

みんなは社会人で、それぞれ仕事を持っていて、そのうえ自分の時間を使って、日本の言葉を学ぼうとしてくれている。

その気持ちに、ものすごく感謝しているし、みんなが楽しく学んでくれたら、それが私の一番の喜びだ。

そして今のような時期だからこそ、実際に顔は合わせられないけれど、モニター越しにみんなの笑顔を見れるのは、私自身の楽しみでもある。

「あ~、今日はもう8時間もパソコンの前で仕事してたよ~」なんて愚痴を聞いたり、「どうせ週末やることとないから、宿題いっぱい出していいよ!」なんて冗談に笑いあうと、心が軽くなる。

私の今生きている世界は小さくて、良くも悪くも、誰にも影響を与えることもなく、静かに大人しくこの世界の片隅に存在している。

だからせめて、繋がりのある人が、一瞬でもその交流で笑顔になってくれたり、みんなで共感しあえる前向きな思いを共有できたら、私も少しだけ、自分の存在価値みたいなものを、感じられる気がする。

私は、今、だから十分幸せなんだと思える。あり難いことに。

こんな私は、愛する人を失うという困難を乗り越えようとしている人たちに、何もできないけど、せめて、心からの共感を示したいと思う。

悲しいニュースや、失望するような現実にも負けず、少しでも多くの人の命が救われるように願いながら、みんなで頑張ろうね、と声を掛けあって、しぶとく、諦めずに、いい方向に向かっていくと信じて。

亡くなられた方のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。



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