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なんにもないが、オモシロイ。

自転車でアラスカからメキシコを旅をして、日本に帰国してから3年が経った。帰って来たばかりの頃の僕は、自信を喪失し、自己嫌悪に陥り、今まで出来ていた事が出来なくなっていた。

その時(2016年)に書いた文章が残っている。

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旅を終えることについて

僕がメキシコを自転車で走ったのは、バハカリフォルニアだ。北部はアメリカと、西部は太平洋に接する半島。どこまでも続く荒野の一本道を走っていた。喉の乾きを抑えるために水を確保する。道路脇に生えている5m級のサボテンたちをにらみながら宿泊場所を探す。カナダの大自然に囲まれながら走った緑いっぱいの景色との違いを楽しんでいる。まさに自転車旅らしい冒険をしていた。

「あ~なんて美しいのだ!周りには何も無い。サボテン、砂漠、荒野、、、日本で見ることができない景色を、僕は独り占めしているのだ!これこそが旅だ!冒険だ!」

バハカリフォルニアの美しい景色に魅了されながら、思いとは反して僕はある決断をすることにしていた。

自転車世界一周の旅を終わりにすることである。

アメリカ大陸を縦断してから、ヨーロッパ、アジアを横断し、3年間をかけて世界一周をしようとしていた。結局は、アラスカのアンカレッジから、メキシコのバハカリフォルニア半島のラパスまでの約12,000kmの距離を走った。予定していた距離の25%の進捗率。3年前に会社辞めて、2年間の準備期間を経てスタートした旅は、1年弱での幕切れだった。

溢れんばかりの情熱を持っていた出発前の僕は、ラパスに到着した時にはなくなっていた。もう走らなくてもいい安堵感の方が大きかった気がする。自転車世界一周を100%できるし、やる!と思っていた僕は、どこか遠くに行ってしまった。

旅を辞めようと思った3つ理由はある。

1.日本にいる彼女と結婚するため

旅を始める前から、お付き合いをさせてもらっている人がいる。僕は今年で32歳になり、彼女は1歳年下の女性。付き合う前から自転車世界一周をすることを応援してくれていた。旅がスタートしてからも、電話で近況報告をしながら情報共有をしていた。お互いが結婚にベクトルを向けて話し合っていたので、関係が破綻することはなかった。もちろん笑って話し合うだけではなく、しばしばケンカをすることもあった。その度に、何が原因でイライラするのかを話し合い、解決に向かう努力をしていた。彼女との接点はメールと電話だけなので、表向きは原因を分析して解決したように思えていた。

けれど、ある時に根っこの原因は自分だということに気付いた。旅をスタートした時点で、それは分かっていたことだが、見てみぬフリをしていたのだ。僕はただ自分がやっていること、やろうとしていることで悦に入っていただけだった。将来は結婚しよう!などと口先だけカッコつけて、パフォーマンスをする。全く行動が伴っていない。そんな重みの無い言葉に彼女は気付いていたのだろう。これから残りの2年を海外で過ごした後に、僕は彼女を幸せにできるだろうか?それは分からない。今、辞める決断をすれば、旅中に感じる彼女の不安を取り除ける可能性が高いかもしれない。ロサンゼルスの街を、つまらなそうに下を向いて歩いている時に思った。彼女に会いたい。決して彼女のためではなく、自分のために決断を下した。僕は寂しいがり屋だったのだ。

2.旅を楽しめなくなっていた。

アラスカをスタートした時は、目の前に映る景色、文化、人、全てが強烈に新鮮だった。北海道の大自然なんて目じゃないほど、ダイナミックな山々が永遠と続くように感じる。食べ物や習慣の違いに戸惑いながらも、その国の文化に従う。ヘタクソな英語を駆使しながら、外国人とコミュニケーションをとる。そういったもの全てが、小さい頃から憧れていた海外そのものだった。旅を始めて半年ほどは、素晴らしい自然の美しさや、旅人との偶然の出会いを心から楽しんでいた。

けれど、それが当たり前に思うようになってきている自分に気がついたのであった。30年以上培ってきた経験の枠外にあったはずのものが、自分の経験の内側に入ってきてしまったのである。今まで見たことがない景色に感動せず、偶然出会った人たちの優しさも当たり前に享受してしまう。これからする経験は、これまでの自分の枠内で消化できてしまうだろう。それを思ってからの僕は、この先の2年間がクッキリと見えてしまったのだ。まだまだ世界のことなんて、これっぽっちも知らないのに、僕はそんなことを思ってしまったのだ。もしかしたら今後、今まで出会ったことがないような経験に出会う可能性もあると思うが、出会いたいという気持ちがなくなっていた。こんな気持ちのままで、今後を楽しめるのだろうか?わがままな子どものように、僕はツマラナイという言葉を吐き捨てたのだ。

3.日本でも旅はできる

最近の旅人のスタイルはインターネットありきである。航空券や宿の予約、次に行こうとする街の情報収集など、インターネットの恩恵を受けてない旅人はいないだろう。僕がバックパックをした10年前と比べても、パソコンを持っている人は圧倒的に多くなった。ご多分に漏れずに僕もパソコンを使いながら仕事や情報収集をしていた。海外にいながら、日本と変わらない質の情報が手に入る。ネットサーフィンをしていると、日本では新しいサービスや会社が、日々生まれている。僕はそれを見て焦った。日本の日進月歩に対して、カメのようにノロノロと進む自分のスピード感に絶望したのである。自転車に乗って幾千の山を越えて頑張っている自分がカッコいいと思っていた。

けれど日本という島国では、僕よりも何十倍も努力をして、人々を巻き込み、世の中に一石を投じようとする人たちがいる。そう思った時に、なぜ人が旅をするのかを考えた。自分の経験の枠外にある新しい経験に期待し、出会いたいからだと思う。僕自身がそうだった。日本だと、新しい景色、文化、人に出会うのは難しい。海外に出てしまえば、それを簡単に手に入れられる。

それは嘘だ。日本にいても新しい経験は手に入れる事ができる。世の中を変えようとする人たちは旅人気質を持っている。何かを変えたいという思いが形となり、顧客に対して「新しい経験」を創造する。もらう側ではなく、与える側に僕はなりたい。海外にこだわる必要なんてないのだ。日本にいても新しいものには出会えるし、作ることができる。僕は海外という安全地帯に逃げていただけかもしれない。

話を旅の最終地点に戻す。

ラパスに到着した後は、船とバスを使って首都であるメキシコシティへ。日本への帰国まで2週間ほど時間があった。宿で知り合った旅人たちと一緒に観光を楽しんだり、タコスを食べながら、どこのタコス屋が美味いなど、目的もなく過ごしていた。みんなの前では笑っていたが、心の中は暗い。

出発をする前の僕は、大きな夢を描いていた。旅する前に僕がかけていた色メガネは、見たいと思ったものが見えていた。旅をするという行為が、僕に無限のパワーを与えてくれる。ペダルを漕げば漕いだ分だけ成長して、精神的に強くなり、どんな困難でも乗り越えられる自分が見えていた。

実際に旅は人々にパワーを与え、成長をさせてくれる。大自然の美しい景色を観て心の奥から溢れ出す喜び。誰かに大事なモノを奪われるかもしれないと疑う猜疑心。太く短い時間を共に過ごした仲間と別れる悲しみ。異国の地で見知らぬ誰かとグラスを交わす緊張感。日本にいる時には感じることができない心の機微を大きく揺さぶり、喜怒哀楽をハッキリと感じる事ができる。

今まで経験したことが無い感情に対して、考えを巡らせ、答えを出して行動をする。旅が進めば、新たな感情に出会い、同じ思考を繰り返す。つまり、PDCAのサイクルを自然と行い、生き方の改善を繰り返しているのだ。

けれど、旅する時間が長くなってくると、だんだんと心の機微がなくなっていく。あれだけ敏感に感じていたものが、日本で過ごす時の感情と同じになってくる。波のように打ち寄せ続けてきた新しい体験を、自分の経験の枠内で処理できるようになってしまったのだ。気付いた時には、僕がかけていた色メガネは全く違うものになり、ペダルを漕いで変わるのは距離だけになっていた。

僕は旅に対して何を求めていたのだろう?

僕が求めていたのは、自転車で世界を旅をする姿を見て欲しかっただけなのだ。「カッコいい!凄い!真似できない!」という大いなる賛辞。皆から注目を集めて、自分の存在価値を認めてもらいたかったのだ。

その答えが見つかった時、僕はとてつもなく恥ずかしく、悲しかった。

自転車世界一周という大きな旗を指差して、あたかも凄いことをすると叫ぶ。目の前にあるレールはガタガタなのに、夢と理想を語れば進んでいけると思っていた。大きな目標に目を奪われた僕のレールは、脆くも崩れ去ってしまった。

旅が始まる前は、確実に自転車世界一周をすると思っていた。この気持ちが変わるわけがないと思っていた。そんな根拠なき自信は、日本に帰国する時に手元にはなかった。代わりに、自転車世界一周をできなかったという事実が、僕の自信を奪っていった。

帰国をしてからの1ヶ月ぐらいは、自責の念にかられ、自分で自分を疑う日々が続いていた。出来ると思っていたものが出来なかったことに対して自分を責め続ける。自分が辞めるという決断をしたけれども、まだ腹に落としきれていない。ただ自分を責め続けた。

そんな僕を救ってくれたのは周りの人々であった。自分の気持ちを話すと、よく走ったよと言ってくれる。中には期待していたのにという言葉もあったが、決して僕を責めるものではない。みんなの優しい言葉で、僕がどれだけ救われたことか。人と会っていくうちに、少しずつ自分自信を疑うことをしなくなり、これから何をしていこうかを考えられるようになってきた。

そこからもう少し経ってから気付いたことがある。

とてもシンプルなことであった。

それは「人生は旅」だということ。

当たり前のことであり、誰しもが思うことかもしれないが、今の僕にとってはスーッと身体の奥底に入ってくる言葉である。旅に夢を思い描くのではなく、人生に夢を思い描く。海外の旅で受動的に新しい体験をするのではなく、日本で能動的に新しい体験を創造する。日本にいながら、いつだって旅ができることに気付いたのだ。

自転車世界一周をするという大きな旗や、そこへ向かうレールは今もうない。今は小さくてもいいから、出来ることを少しずつ増やしていき、目の前のレールを敷いていくしかない。

出発する前と、今では価値観が大きく変わり、全く別の人間になっているように感じる。変化することを喜びながらも、変わらないものを受け入れよう。僕がいつまでも僕であるということを。

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あれから3年が経った。

その当時は、自分の歩んだ道を振り返りながら、無理やり文章を書いていたのを思い出す。

その時は「人生は旅だ」という、当たり前なワードを書いてるが、3年が経過した僕が思う旅の定義はこれだ。

「旅は孤独を知る手段だ」

「孤独」は人間が生きる上で大前提でありながら、現代はテクノロジーの発展によって孤独を感じにくい世の中になっている。

そんな時代だからこそ、「孤独」強烈に突きつけてくれる旅が必要なのだ。

自分の弱さに、気づこう。
自分の弱さと、話そう。
自分の弱さを、知ろう。

「孤独」は人を弱くするし、自分の中に"何にも無い"を突きつけられる。

けれど、痛みを知らない人間に、感情の奥行きや深さは生まれない。自分の弱さを認める事で、他者を受容するチカラを手に入れる。そのチカラを手に入れた時に、きっと本当の強さと幸せを手に入れるのだ。

最後に、僕が好きな映画の一節を送りたい。

「幸福が現実となるのは、それを誰かと分ちあったときだ」
(映画『イントゥ・ザ・ワイルド より)

さぁ、孤独を知りに旅に出よう。
"何にも無い"が、オモシロイのだ。

▼くまがい けんすけ自転車旅の参考記事URL
・挫折をプラスに変える。400回以上のイベントを開催したコミュニティビルダーの履歴書
https://entrenet.jp/magazine/14980/

・「正直、自分に負けて帰国した」くまがい けんすけが語る、それでも価値がある自転車旅の魅力
https://www.sagojo.link/sugoi-labo/show/74

・先輩旅人のロードバイクを受け継ぎ、新しい旅へ出発・発信してくれる旅人を募集!
https://www.sagojo.link/work/show/401


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