くまくま

コーヒーとか。自転車とか。クルマとか。

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最近の記事

無題12

泣くことが結構好きだったりする。意味もなくモヤモヤとしているときとか言うに言えない不安を抱えた時に泣くと落ち着く。けどまあいつからか、急に涙が出なくなった。勿論感動とかそういう涙は出るんだけど、自分の整理の為の涙というかなんというか。 熊谷さんは大人っぽく見えてて、泣いてる姿に幻滅したみたいなことを言われてから泣けなくなった気がする。ある種のトラウマみたいなもの。 たった数十文字の言葉のせいで今もなお苦しんでいる。誰にも話してないけれど、noteに書いたのは、これが誰に向

    • 釣行記2

      夏の川。茹だるような暑さの大気と皮膚を刺すような冷たさの水の間に時折白い靄がかかることがある。川に沿って現れるこの白いモヤのことを人は「龍」と呼んで親しんだ。 一人で龍の腹に潜り、川底をプラグで丹念に探る。良い渓相だが何も出ない。暑くて日が昇ってしまうと魚もグッタリしてしまうのだろうか。 一時間もすると、集中が切れはじめた。河原に座って一服する。エナジーバーとか現代的な行動食もいいが、こういう時はとことんクラシックに。僕の定番は羊羹とコーヒーだ。 川で冷やしたコーヒーを

      • 無題11

        9月と12月が近づくと、必ずEarth,wind and fireを聴く。曲は勿論SeptemberとDecember。R&Bを語る上で絶対に欠かせないほどの名曲で、僕の大切な思い出の曲のひとつ。 洋楽、しかも70s80s90sと呼ばれる、古臭くて、古典的なクラブミュージックを聴き始めたのは中学生の頃だった。その頃の僕は至ってふつうの趣味や思考で、今みたいに「コダワリ」を持つ人間ではなかった。けれど、その時の友人の一人にとんでもない曲者がいて、そいつがなかなかどうして、「コ

        • 無題10

          今日は無性に寂しい日だった。仕事でうまくコミュニケーションが取れなくて、自分の不甲斐なさに苛立ちを覚えた。けれどもそれをうまく話せる人がいるわけでもなく、でも一人で抱えるにはきついものがあって。 きまって、こういう時はインスタのストーリーの投稿が多くなる。反応来ないかなあなんて考えながらふとした瞬間を切り取っては、上げる。大抵反応なんて来ないのだけれど。 ストーリーにはいつからか、【親しい友達】みたいな、非情なリストが出来た。一方的に親しさを感じていたら面白いなと思いつつ

          無題9

          ここ1年で嫉妬の感情を失った。正確には、ほぼ、抱かなくなった。 昔から人と関わるのが苦手で、自分の中の上辺だけで付き合っているような、浮わついた感覚で過ごしていた。そのお陰で、仲良い人とか、彼女とか、頼れる人が出来てしまうとついついおんぶに抱っこになってしまって…。そんな自分に嫌気が差して、急にその人から離れてしまったり。という事が日常だった。我ながら理不尽なことを繰り返してきたと思う。 そんなことしてる癖に、彼女に人が近づいたりするとどうしようもなく嫌な気持ちになって。

          無題8

          冬が好き。四季の中で一番。特に、東北の冬は、20年も慣れ親しんだ事もあってか心地が良い。まだまだ愛知の冬には慣れそうもない。 冬は生命が減って、次の機会を待つ時間になる。強制的にシャットダウンさせられるようなものだ。昔の人はこれに倣って、冬は次の春に備える準備期間に充てていた。でも現代は四季によって仕事を休むなんてことはほとんどないわけで。こうした休みというか、なにかに備える時間って呼べるものはほぼ無くなった。 なにか大きな事をやろうとか、一発奮起して違うことをやってみよ

          無題7

          いつかに書いた地震の話の続きをしよう。 どこまで話したか、ああ、母が帰ってきて、父のいない家で過ごしている時までだったかな。 正直な話、そこから先、記憶が曖昧になってきていて。祖父が、「こういうときにしか出来ないこともある」といって、釜で米を炊いたり、普段は閉じている井戸を開けて水を汲んだり、僕たちの気が滅入らないように気遣ってくれていたのは覚えているのだけど、辛いことや不安だったことに関してはめっきり思い出せなくなった。人というのは都合が良くできている。 たぶん、僕みた

          音楽を忘れる時

          音楽が好きだ。緻密に練られたエレクトロも、キャッチーなポップスも、古典的なブラックミュージックだって好きだ。 でも渓流に釣りに行った時だけは音楽を忘れる。普段はイヤホンで塞いでいる耳を自由にして研ぎ澄ます。自分の足音、木を揺らす風の姿、擦れる葉の音、水の爆ぜる音、全てを聞き漏らさないように。そうして音から得た情報を元に自分を自然に溶かしていく。パーソナルスペースと自然との境界線を解く。 人だって動物だって魚だって基本的には同じで、自分のパーソナルスペースと相手のパーソナル

          音楽を忘れる時

          釣行記1

          「荒雄川にでも行くか」 週末久し振りに帰省をした。 正月以降初めてだから、10ヶ月ぶりになるだろうか。 秋の仙台は、成熟した葉の茂る銀杏並木と、深く聡明な空が広がっていて、実は一番好きだったりする。祖父母や知り合いに挨拶周りをしながら、東北の澄んだ空気を楽しんだ。 やることをある程度済ませたら、家に戻り、父親と作戦会議を始める。「海とか、管理釣り場も悩んだけど、せっかくだから、荒雄川にでも行くか」 荒雄川は県内有数のトラウトスポットで、鳴子漁協が管理しているCR区間は、禁漁

          無題6

          年相応の若さじゃないとよく言われる。たぶん悪い言葉では無いし、ぼくも嫌な気持ちじゃない。ただたまに、もっと遊んどかないとダメだよ!とか、若々しくいなよ!とも言われる。それもたぶん悪い言葉では無い、けど、ぼくは少し嫌な気持ちになる。 ちょっとやそっとじゃあ、動じなさそうな雰囲気を見て、大人びてると思うんだろうけど、あの大地震を思春期に経験して、肝を座らせるなというほうが酷な気もするんだよな。 小学6年生だった僕は、3/11の日、音楽室の掃除をしていた。その日は卒業前の恩返しだ

          無題5

          いつかある日 山で死んだら ふるい山の友よ 伝えてくれ 母親には 安らかだったと 男らしく死んだと 父親には 伝えてくれ いとしい妻に 俺が帰らなくても 生きて行けと 息子たちに 俺の踏みあとが ふるさとの岩山に 残っていると 友よ山に 小さなケルンを 積んで墓にしてくれ ピッケル立てて 俺のケルン 美しいフェースに 朝の陽が輝く 広いテラス 友に贈る 俺のハンマー ピトンの歌声を 聞かせてくれ 山に取り憑かれた事のある人なら知ってるかもしれないこの詩は、フラン

          無題4

          好きな事を好きと言えるってなんか良いなと思った夜だった。 今の僕はこわくて素直に好きと言えない瞬間が多い。 人に対してもだし、モノに対しても、なかなか、言えない。 好きという言葉のこわさというか、責任というか、そういうものを必要以上に重く受け止めているきらいがある。 それはいつからかだろうって思った時に、ぱっと思い浮かぶのは、やはり前の彼女にフられた記憶で。 今はもう、素敵だなぁって思える人と出会えたお陰で、割となんともないんだけど、ほんとに2,3ヶ月前までは度々思い出

          無題3

          小学生の頃は大工になりたかった。 中学生の頃は自動車整備士に。 高専の頃には設計者を夢見た。 今はなにを目指しているんだろう? 変わらず設計者?それともコーヒー屋さん? はっきり答えられない自分に呆れてしまう。 そもそも、いまやっている「設計」ってなんなんだろう。 我が大いなる師である、 wikipedia先生にはこう書いてある。 “設計(せっけい、英: design)とは、建築物や工業製品等といったシステムの具現化のため、必要とする機能を検討するなどの準備であり、

          無題2

          名古屋にいる友達は、みんな宮城にいる時の僕を知らないし 宮城にいる友達は、みんな名古屋にいる時の僕を知らない。 どちらも自分なのに全くちがう振る舞いをしている。 別に意図した訳ではないけど、結果としてこうなっている事に どうしようもないおかしさを覚える時がある。 例えば名古屋の友達はみんな、僕が静かで声が低くて年不相応な落ち着きを持ったジェントルマンだと思っている。(思っているよね?) けどたぶん、宮城の友達は僕がわりとコミカルで声もめちゃくちゃ張るし、21になってもフ

          無題

          note書かないの?と、ふいに問われてハッとした。 テキトーな人に言われるならまだしも、 好きな人に言われてしまったものだから、なんだか情けない。 きっと、彼女はそんなつもりで言った訳じゃないんだろうけど。 そもそも、なんで始めたのか、 そして、なんで辞めたのかも、思い出せない。 ある意味フレッシュな状態だ。 半年前の投稿なんて、無かった事にして また少しずつ投稿しよう。 そうしよう。 3日坊主も、10回繰り返せば1月分です(?)

          変化

          テレビもWi-Fiもラジオも無い。あるのはスピーカーと珈琲器具と積み上げられた自転車の部品。こんな状態で1年過ごした。 もともと寂しいのが苦手でテレビをつけっぱにして生活することが日常だったのだけど、車を運転するようになってから徐々に音楽に切り替わっていった。 そんなことがあって、現住居にはテレビを置いていない。 テレビを見る時間すべてが音楽に置き換わった。 音楽はとても良い。 特にブラックミュージックは心に響くものがある…。 中学生の時、Earth wind&fire