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無題7

いつかに書いた地震の話の続きをしよう。
どこまで話したか、ああ、母が帰ってきて、父のいない家で過ごしている時までだったかな。

正直な話、そこから先、記憶が曖昧になってきていて。祖父が、「こういうときにしか出来ないこともある」といって、釜で米を炊いたり、普段は閉じている井戸を開けて水を汲んだり、僕たちの気が滅入らないように気遣ってくれていたのは覚えているのだけど、辛いことや不安だったことに関してはめっきり思い出せなくなった。人というのは都合が良くできている。

たぶん、僕みたいな被災したけど、被害が少なく済んでいる人にとっては、トラウマに苦しめられるよりは多少なりとも忘れてしまった方が良い部分があるのかもしれない。けれど、この部分が、自分の中で大きな燻りとして、あの時から、今この瞬間まで残っている。なぜ、たった20km先で大勢死んでいるのに、ぼくは何も感じないんだろう、とか。なぜ、手伝いにも行かずのうのうと暮らしていたんだろう、とか。

こういう思いは偽善なのかもしれない。あとから感化されて思うだけなら誰だって出来るし。その瞬間瞬間で行動できる人がきっと被災地を癒やすんだろうな。

話が発散してしまった。なにを言いたくてぼくはこれを書き始めたんだろう?笑 それはもう分からないけど、、。

この話を文にして、改めてぼくは次に災害が来た時には現地に足を運んで行きたいと強く思っている事に気がつけた。ぼくが被災したときに気付けなかった辛さとか想いに触れたい。少しでも助けを必要としているならば手を差し伸べたい。地球環境ガーとか、SDGsガーとか言う前に、手の届く範囲の人と助け合いながら生きる形を作っていきたい。自分の周りが幸せじゃないかぎり、ぼくに幸せが訪れる事は無いから。

前回とはうってかわって、ただの書き殴りですが、ご容赦ください。

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